改めてこちらに先週末訪ねた集落風景を載せておきます。
南西麓の大坂地区です。ここに限らずですが、いずれの集落も農村集落と大山への兼ねたところだからか、立派な邸宅が目立ったのと、用水の豊かな流れがありました。

孫右衛門 7月11日(金) 20:44
柿原地区。大坂地区から先が通行止になっていて、その迂回路を走っていて偶然見つけたものです。ここは純粋な農村集落のようでしたが、谷間の斜面に密集するさまが絵になっていました。

孫右衛門 7月11日(金) 20:53
西麓の岩立地区。訪ねた中でも特に立派な屋敷が見られました。

孫右衛門 7月11日(金) 20:56
北西麓の赤松地区。ここも立派な塀を持つ御宅が見られました。

孫右衛門 7月11日(金) 21:00
洋風の郵便局のある風景。大瀧(日光)地区。

孫右衛門 7月11日(金) 21:04
北麓の鈩戸地区、ここだけが1泊後の翌日訪ねた所です。
土蔵の表情が豊かな所も各集落に共通していました。
万訪 7月11日(金) 21:35
なかなかの古い家並みですね。これだけ揃っているのは珍しく思います。
瓦が赤と黒が混じっているのも面白いですね。
孫右衛門 7月12日(土) 10:23
屋根の色は私も思いました。大山寺への参道にもあたっていた集落なので、複数の地域の建築風土が混ざったのかもしれません。
谷間や裾野の斜面のような場所に突然集落が現れる感じも不思議でした。
辰巳屋 7月12日(土) 12:26
大山山麓の景観はすばらしいですね。
これは、牧歌的な大山麓集落として訪ねられたのでしょうか。それとも大山道を意識して訪ねられたのでしょうか。
大山は、出雲風土記にも記載され、昔から山岳信仰があり、江戸期から牛馬市が盛んで、この牛馬市に通じる道は、「大山道(だいせんみち)」といわれ、ルートは複数ルートあり、その牛馬市関係者(博労宿)と大山信仰の参詣者の宿として形成されたようです。
大山道(尾高道)、大山道(坊領道)、大山道(溝口道)、大山道(丸山道)、大山道(横手道)などと主要な集落の名称をとり呼ばれています。
牛馬市(博労座)は、現在の大山の観光大駐車場にあったといわれています。
孫右衛門 7月12日(土) 21:30
今回訪ねた集落はほぼ全て辰巳屋さん情報でした。改めて有難うございます。
私の場合大山道というテーマで辿ったのではなく、辰巳屋さんのサイトを見て拾い歩いただけです。全く私の探訪は最近なってません。
しかし、そのような認識を持って訪ねるだけでも違いますね。立派な屋敷もあちこちに見られて驚きました。
今の大山寺門前の駐車場付近に牛馬市があった件、私も知った時最初大変驚きました。しかし、大山道を辿って最終的に集まるところがここだからなのでしょうね。

辰巳屋 7月14日(月) 10:16
街並みを始めた頃、鳥取県には、山陰道と伯耆街道しかないのか、と思っていました。
ある日、大山を南から、日帰りで「御机」という集落を訪問した時、集落の中に「旅館」と書かれた壁を発見し、どうしてこんな所に旅館が、という疑問にかられ、帰宅後調べたら、初めて、大山牛馬市「大山 日本遺産」の存在を知りました。それまで、大山は、大山寺と大山の山だけのように思っていました。
私が気づいたのが、2021年でしたので、そんなに昔ではありません。しかし訪れた集落の地名は、地名辞典を調べると「大山道」に関して記載されていませんでした。
また、大山道は、岡山方面にも延びています。
私は、遠い所に転居しましたので、再度、確認したりすることはできませんが、何かのお役に立てばと思いお知らせします。
南から、備中高松―足守―川崎―大井―広石―福谷(以上岡山市)―吉川―加茂市場―井原―新山(以上吉備中央町)―鹿田―落合―久世―三阪―(山越え)―釘抜小川―土居―藤森―郷原(伯耆街道)―延助(以上真庭市)―大山道(横手道)に合流します。途中私の推測のルートもあります。
小さな街並みが多いのですが、井原(いはら)、新山(にいやま)、釘抜小川、藤森、は宿場の面影を残しています。
画像は、新山です。
孫右衛門 7月14日(月) 22:52
紹介いただいた岡山からの道、訪ねた所もありますが知らない町も多いですね。線でつなげて見るとまた発見があるような気がします。
機会を見て、このルートを辿ってみようと思います。
御机集落での旅館の看板がある建物、私も現物を見ました。
七ちょめ 7月15日(火) 09:37
皆様の受け答えを見ていると矢張り掲示板は良いですね。
いらかぐみの活性化と云っていますが、何にしてもこのような受け答えがあれば、掲示板でもX(ツイッター)でもラインでも何でも良いのでしょう。‥‥ と思います。