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大隅半島の麓 辰巳屋 4月27日(日) 23:58

連休に入りましたが、皆様いかがおすごしでしょうか。
私は、連休前に、大隅半島の麓を中心に訪問しました。大隅半島は、街並み愛好者にとって、なかなか訪問することが難しい場所のようですが、素晴らしい街並み、特に、薩摩の武家集落が残されているようです。

溝部麓、帖佐麓、重富麓、新城麓、田代麓、大根占麓、根占麓、佐多麓、吾平麓、大姶良麓、花岡麓、鹿屋麓、内之浦麓、高山麓、串良麓、大崎麓の16カ所を訪問しました。
主な所を報告します。

鹿屋市の南部にある吾平麓です。
画像は、地頭仮屋のあった場所から麓の景観を写したものです。仮屋馬場と呼ばれている馬場の左右には、広い屋敷が並んでいます。
地頭仮屋跡や仮屋馬場の案内板はありませんでした。

辰巳屋 4月28日(月) 00:01
画像を添付しないで、投稿してしまいました。

画像は、吾平麓です。

辰巳屋 4月28日(月) 00:06
肝属町役場前は十文字馬場といわれ、役場の隣の高山小学校が地頭仮屋跡ということでした。十文字馬場には武家門が残っています。
十文字馬場と高山川の間は、麓の一部を形成し、「神成窪」とよばれています。十文字馬場の東側の四十九所神社の前の南北に延びる通りは、やぶさめが行われる宮馬場、その一筋東には中馬場、五社馬場と並びます。
また、国登録文化財に登録されている二階堂家住宅の南側にある麓集落は神之市馬場と呼ばれています。

画像は、十文字馬場の武家門です。

辰巳屋 4月28日(月) 00:07
画像は、神成窪の武家門です。

辰巳屋 4月28日(月) 00:08
画像は、四十九所神社鳥居の間に見えるのが、宮之馬場です。

辰巳屋 5月 4日(日) 16:32
画像は、重富小学校正門(旧鹿児島県庁正門)です。平成21年4月28日付けで国登録文化財に登録されています。
重富麓の地頭仮屋のあった場所です。

重富麓から近い所に、大口筋の白銀坂が保全されていました。薩摩藩では、街道のことを筋と言いますので、大口筋の白銀坂となります。石を敷き詰めた見事な道路です。

辰巳屋 5月 4日(日) 16:35
この画像が白銀坂です。

辰巳屋 5月 4日(日) 16:37
帖佐麓の地頭仮屋跡は現帖佐小学校に当たり、入口には地頭仮屋跡の説明がされていました。
小学校の南を県道42号が通っていますが、この通りを岩崎馬場といい、小学校から北へ稲荷神社に行く通りを仮屋馬場といい、小学校の東の通りを筋馬場というようです。
この当たりが帖佐麓だと思っていたのですが、別府川を跨ぐ帖佐橋を渡り高樋地区も帖佐麓だと知り改めて訪問しました。

高樋地区には、高樋馬場、中馬場、紺屋馬場とあり、静かな麓の景観がありました。
画像は中馬場です。

辰巳屋 5月 4日(日) 16:58
錦江町の大根占麓の馬場には、武家門の続く街並みがあります。旧役場のそばにあり、武家門のある家が5〜6軒続いています。

本当に落ち着いた武家集落といった印象でした。

孫右衛門 5月 4日(日) 22:18
鹿児島の麓の続報拝見しました。
薩摩半島はごく一部しか訪ねていませんので、詳報有難いです。

連休は本来は2日に神戸でアーティストの音楽ライブ参加後、翌日から岐阜・長野県方面を計画していたのですが、ちょっとした健康的な問題があって取り止め、ライブ関連のみで昨日帰りました。今は症状が無くなっていますが、連休明けに検査する予定で、大きな問題が生じないことを祈っています。
2日は朝から出発しましたので、姫路市網干と高砂市は再訪問しました。またライブ後は泊りましたので、昨日神戸の旧居留地も少し歩きました。

万訪 5月12日(月) 08:16
麓集落探訪、精力的になさっていますね。やはりどこも石塀や庭木がよく残っていますね。最後の写真で石蔵も見えます。鹿児島は石の建築文化が見どころだなぁと改めて感じました。GWにトカラ列島に行ってたんですが、鹿児島港の付近にも石蔵が多く残っていますね。
221x240x45x58.ap221.ftth.ucom.ne.jp

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