生き物を飼うことは、ぼくにとって、常に死を意識することだ。生き物が死に向かっていくことを直視し、いつ来るかわからない、しかし確実にやってくる悲しみにおののくことだ。それに耐えることはとても苦しいことだ。その死に直面するとき、自分がやってあげられなかったことのいちいちを悔い、取り返しのつかない事実にうちひしがれる。そういう自分を精神的に救ってくれる存在がなければ、永遠にその罪にさいなまれる。死について、罪について、何らかの救いを得るために、多くの人は宗教を大切にする。宗教を信じない人は、果たして、自分が自身の死を目前に控えたことを自覚したとき、そこにマザー・テレサが、「もしよろしければ、あなたの不安と恐怖と苦痛を取り除いた状態で、幸せに死を迎えられるようにしますが、いかがいたしますか?」と言われて、拒めるだろうか。ほとんどの人は、そこで初めて、宗教の大切さ、偉大さを知って、喜んですがるのではないだろうか。心の闇と恐怖を取り除いてくれる存在は、それがなんであっても、その人にとって神なのだろう。ぼくは、幸か不幸か、まだ、そのありがたみを知らないでいられる。それは、恐らく、ぼくの周りの多くの人から、自分が助けられているからだろう。人から受ける施しほどありがたいものはない。
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