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驚き 七ちょめ 8月 8日(水) 19:32
昨夜からの続き
岐阜県恵那市の旧中山道大井宿の旅籠宿から続く料理旅館「いち川」の女将さん達です。
14代目、15代目、16代目の女将さんで大女将は92歳と仰っていました。若女将も年齢は知りましたが伏せて於いて、高校生の子供がいると仰っていました。
泊った部屋の隣の部屋で食事したのですが、突然歴代女将が揃って挨拶に来られたのです。ビックリしましたね。
誰が切り盛りされているかは知りませんが、若女将が一番良く動いているようでした。従業員も多かったです。チェックアウトの清算は大女将でした。驚きです。
旅館で目覚めて朝の食事まで時間があったので、スマホでフェースブックを見ると、若女将から友達リクエストが来ていて、これにもビックリしました。
 
泊った部屋の写真を撮ったので削除させられた旅館、お酒が無いと云われた旅館t、朝8時に追い出された旅館、足の悪いおばあさんしか姿を見なかった旅館などなど、旅館も様々です。


孫右衛門 8月 8日(水) 21:12
旧中山道大井宿は昨年再訪しましたがこのような料理旅館があったのですか。

週初めから出張で、先ほど帰ってきました。そのうち津山では「旅館お多福」という創業90年の旅館に泊りました。七ちょめさんの基準からすると創業年の点では対象外になるのかもしれませんが内部も比較的古いままの状態が保たれていて、なかなか貴重な宿でした。

この付近には他にも古い旅館があったのですが、七ちょめさんも泊られたあけぼの旅館以外はもう残っていないようです。

万訪 8月 9日(木) 01:08
まるで旅番組のひとコマのような写真ですね。旧大井宿にまだ元気な旅館が残っていたんですね。いち川?記憶にないなぁと自身のdatabase見たら載せてました。
「大井 中山道が枡形で迂回している部分をショートカットした通りに面した旅館
割と早い時期にショートカット化されたのだろうか。」
と解説していました。
写真は2004年ですから14年前です。門塀が綺麗に復原修理されています。こういう旅館が三代目の女将まで継いでいて、元気に営業されているのは嬉しいことですね。

七ちょめ 8月 9日(木) 10:52
この「いち川」は創業が寛永年間(1624〜44)の創業と云うから、400年程続く旅籠宿です。江戸期の屋号は「角屋」で、明治初年に「いち川」に改名したそうです。
本陣前から続く道が「角屋」に突き当たり右に折れていたものが、昭和10年に今のように直線になったそうです。
その当時(昭和初期から昭和20年)はこの「いち川」の13代目が大井町長を務めていたので、町の発展のために自分の家や屋敷を提供して、直線道路を造ったそうです。
依って江戸期の建物が残っていませんが、残った屋敷に今の家を建てたそうです。

写真は恵那市の重伝建の岩村の造り酒屋さん辺りの光景です。日中歩いたので暑かったです。岩村の町並でもこの辺りは随分上の方になりますので、観光客は少なかったですが、もう少し下の方は多くの観光客が多く居られました。
今のNHKの朝ドラの「半分青い」のロケ地・舞台になっていますので、結構子ども連れの観光客が多かったです。町中あちこちに、ロケの時の写真が展示されていました。
M014010098160.v4.enabler.ne.jp
辰巳屋の近況報告 辰巳屋 8月 5日(日) 10:21
辰巳屋の近況をお知らせします。
豪雨から1月経過しているのに、連日、西日本の被害が大きく報道されています。特に広島県・岡山県の被害は大きいようです。
我家では、7月18日頃から、水道による給水が始まり、一応普通の生活をしております。
断水中は、レストランや飲食店は閉まったままでしたが、再開し、惣菜も給水とともにやっと元どおりのメニューが並ぶようになりました。
苦しい断水との闘いでした。改めて、水は怖いものですが、水のありがたさを感じています。被災地では、やっと水道による給水が再開したとのニュースがありましたが、まだ、断水が続いている地域もあるとのことです。
我家では、床下浸水でしたので、床下の土砂を取り除くのが毎日の仕事となり、朝6時から9時・10時まで、床下や家の周囲の土砂を撤去したりしました。日中はとても暑くて体を動かすことはできません。昨日、やっと、外見的には整理できた状態になりました。

画像は、毎日の労働を癒してくれる家庭菜園のスイカです。毎日、食べています。

辰巳屋 8月 5日(日) 10:22
まだ、断水が続いていた時ですが、体も土砂の撤去などで、疲労もピークに達していた時、近隣の温泉施設に出かけました。ここは、被災地の人は半額で入浴できます。
束の間の街並み訪問です。今年から、すべての仕事を終え、自由になったら、再度、近隣の街並みから見直そうと思っていました。
画像は、世羅郡世羅町甲山の今高野通りにある古い旅館です。

辰巳屋 8月 5日(日) 10:24
昨日、「遊郭に泊まる」という本が新潮社から出版されているので入手しました。14軒の元遊郭の現在は旅館が紹介されています。
有名な、「麻吉旅館」や「新むつ旅館」は知っていましたが、この他にも、私の知らない旅館が載っていました。広島も1軒記載されています。
「旅籠」ではありませんが、参考になると思います。

Kさん 8月 5日(日) 11:33
断水は大変でしたでしょうね。その後、報告がありませんでしたので、苦労しておられるのではないかと心配しておりました。スイカはうまそうですね。

我が家の家庭菜園は、暑さと水不足のため、トマトだけは例年にない甘さでしたが、キュウリも含め早めに収穫が終わってしまいました。お陰で、水やり作業から解放されました。

孫右衛門 8月 5日(日) 13:02
辰巳屋さんの近況をお聞きし、安心はしましたが大変な1ヶ月でしたね。
報道を見るとまだまだ厳しい地域も多いようです。

甲山の今高野山門前の旅館、随分傷んでいるのが気になります。このまま朽ちてなくなってしまうしかないのでしょうか。

「遊郭に泊る」という本は私も興味ありますね。

万訪 8月 5日(日) 18:48
スイカの写真を見るだけで涼しい気分になります。
復旧作業は、1ヶ月でやっと目処がついたとのこと。お身体を壊さぬようお気をつけて下さい。そして、通常の生活に戻られて、またゆっくり旅に出られるといいですね。

画像は、昨日仕事のついでに行った栃尾です。雁木の町並みが思いのほか長く広く、時間も限られていたので慌てました。

七ちょめ 8月 5日(日) 20:47
辰巳屋さん、床下浸水と断水は大変でしたね。床下に入った土砂を取り除くと考えただけでも!!。その上断水とあれば猶更通常の生活が出来ない。ご苦労をされたのですね。
猛暑もあって大変な疲れでしょう。お察しいたします。
我家も大阪北部地震で1週間ほどガスが止まりましたが、それだけでも右往左往の生活でした。まだ地震で痛んだ土蔵の件で悩んでいます。取り壊そうか、補修しようか、このまま仮工事のままでほって置こうか悩んでいます。

辰巳屋 8月 7日(火) 09:30
当初の予定では、7月に南九州へ行く予定でした。また、8月に福井・石川といった北陸地方を訪問する予定でしたが、すべてキャンセルしました。8月には久々に南九州に行く予定です。これは、1歳になった孫を見るためです。帰りに大分県の沿岸部を訪問の予定です。
8月・9月は、町内会の盆踊りや敬老会といった行事が多く、あまり出掛けられません。
本格的に出掛けることが出来るのは、10月からとなりそうです。
9月になると秋物野菜を植えなければなりません。忙しくなりそうです。

七ちょめ 8月 7日(火) 20:01
恵那市の旧中山道大井宿の旅籠宿いち川に泊まっていいますが、余り古いものが残っていません。
sp49-96-37-33.mse.spmode.ne.jp
吐噶喇列島から無事帰りました 万訪 7月31日(火) 22:47
台風12号が最後鹿児島にやってきましたが、ギリギリかわしました。昨夜発のフェリーとしまは欠航になっています。
ブログご覧の方はお分かりかと思いますが、凄いところでした。日本て広い、そして開拓し尽くした国だなぁと改めて実感しました。そして、島に人が住まうことは、国域を守っているという大きな意義があることも知りました。
画像は、小宝島の防波堤で、お月見飲み会した時のものです。月の明かりがあんなに明るいとは。

万訪 7月31日(火) 22:50
口之島の集落です。かつては皆、茅葺き屋根(竹を割いた茅)でしたが、今はルーフィング葺きです。それがシームレスな真っ白でとても綺麗で印象的だった。

ところで、Kさん、個展の招待状ありがとうございました。来週ですよね。今、大阪にいますが、明日だったら行けたのに、残念です。今年もご成功をお祈りいたします。


Kさん 8月 1日(水) 05:58
ブログを読み、感動していました。鹿児島で台風に遭遇したのではないかと心配していました。

7日から12日まで京都で個展を開催します。スケッチを始めて30年、個展も12回目となりました。今回は京都と滋賀の絵に絞って30点を出展しいます。出張の追い万訪さんと近くにお住まいの七ちょめさんには案内状を差しあげました。

この掲示板もけっこう多くの方々にご覧いただいていますので、PRを兼ねてここで紹介させてください。


七ちょめ 8月 1日(水) 08:52
ブログを更新するたびに、フェースブックで知らせて頂く。よい方法ですね。コメントは時々に合わせて、フェースブックで出来ますので中々よい公開方法と感心しました。
一度やってみたいですね。

トカラ列島。名前位は聞いたことありますが、日本??外国??程度のものでした。テレビなどで紹介されるのとは格段に印象が強いですね。

孫右衛門 8月 1日(水) 21:33
ブログ拝見していました。悪石島が最も観光客が多いこと、移住者で島民が若返り活気付く宝島、そうしたことも実際訪ねてのレポートで説得感があります。
一般の観光客も訪ねるのに困難を伴う島々、しかしその客の目的は釣りやマリンスポーツなのでしょうから、集落目的での訪問はなおさら貴重なものです。

Kさんの個展もすっかり恒例となりましたね。盛況をお祈りいたします。

万訪 8月 2日(木) 08:25
吐噶喇列島は集落の家並み形態だけを取り上げてみれば大したことないですが、その在り方がとにかく凄いという場所でした。ですので、そこにかなりチカラを入れてレポしました。しかし、もっと深く掘り下げないと魅力は伝わらないだろうなという場所でもあります。単純そうで奥が実に深い。サラッとだけ舐めてきた自分を客観的に見ると、「1日そこらで何がわかる」と云われると思います。必見のニッポンの1つであることは間違いありません。
i60-43-49-30.s30.a048.ap.plala.or.jp

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