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本の続き らむちぃ 12月26日(木) 12:46
 sudoさんがお尋ねの件ですが、透析を止めた方は亡くなっています著者の堀川さんの旦那さんで、林新さんという型です。元nhkのプロジューサーで、「天皇の世紀」など硬派番組を担当した方のようです。

 石原慎太郎氏の著作は読んだことがありませんが、興味はあります。安倍晋三氏と共に・・・。

sudo 12月27日(金) 06:21
らむちぃさん。
有難うございました。
「透析を止めた日」というのは今年の11月に出版された新しい本ですね。少し状況がわかりました。
 石原慎太郎は国政の中にいた人なので、本を読むと政界の内情を知ることができ、ためになりますが、時代がやや昔であるのが残念です。
あと少し らむちぃ 12月25日(水) 11:02
 sudoさん、ご無沙汰しています。 今年も残り僅かになりましたね。 お元気ですか?

 さて、sudoさんが読んだ今年の本で、「この一冊」は何でしょうか? 私はsudoさんのように記録を付けないで、読みっぱなしなのですが、私の一冊は「透析を止めた日」堀川惠子 著です。

私は透析はベッドに寝ているだけで、楽にできるものだと思っていましたが、この本を読んで非常に厳しい治療法なのだと、考えを改めさせられました。

 日本は世界で3番目に患者さんが多くて、35万人もいるそうです。我々も元気でいられる事に感謝しなくては、そう思いました。

sudo 12月25日(水) 16:24
らむちぃさん、こんにちは。
私のイメージでは、透析を受けている人が透析をやめたら長くは生きられないと思いますが、その本の人は生きているのでしょうか。
私は暇なようでいて、あまり読書も捗っていません。
「石原慎太郎の思想と行動」という全集のような本は全8巻あるのですが。そのうち1巻と2巻を読み感銘を受けました。
編笠山 らむちぃ 11月16日(土) 16:02
 sudoさん、こんにちは。
 
レポートを拝見しました。編笠山を幕営山行で登られたとか。初冬の幕営はいろいろ重装備でザックが重くなり、五割増しのコースタイムもうなずけます。頑張りましたねぇ〜。

 私も夏に南八ヶ岳縦走をテント泊した事があります。キレット小屋では初めて見たソーラーのミニ冷蔵庫から冷えたビールを渡されて、感激して飲んだ覚えがあります。
 青年小屋は素通りでしたが、小屋の入り口に「一番遠い居酒屋」と書かれた赤ちょうちんが下がっていました。
 編笠山は疲れていたのでパスして、歩きにくい大石がゴロゴロしている道を駐車場に出て、ここから林道歩きでバス停まで行く予定でしたが、30分程で車に拾ってもらい「延命の湯」に送ってもらって、サッパリしてから小淵沢駅に向かった記憶があります。

 sudoさんも前泊されたようで、車で行っても苦労はつきものですね。

sudo 11月17日(日) 08:41
らむちぃさん、こんにちは。
今回は、青年小屋で幕営した翌朝の気候が真冬並みに寒かったために、権現岳へ行く気持ちは無くなりましたが、編笠山と権現岳の標高差は200m弱ですね。
私の山行は自家用車で行くことが多いので、縦走は少ないです。
ご無沙汰いたしております・・・ 山こじ 11月 9日(土) 09:50
sudoさん、こんにちは。各地の山小屋の営業終了の便りが届くこの頃、山ではいよいよ冬の到来ですね。真夏の喧騒から離れて、ひっそりとした山歩きが出来る季節ですね。それにしても清掃登山とは頭が下がります。これから寒くなりますがご自愛してくださいね。

sudo 11月 9日(土) 14:50
山こじさん、こんにちは。お久しぶりです。
先日の編笠山では私は幕営装備を背負っていましたが、コースタイム3時間のところを4時間半、1.5倍の時間がかかりました。幸い登る時は誰にも抜かされませんでした。下山時は10人以上の人たちが登っていきました。木曜日よりも金曜日の方が山登りをする人が多いのかもしれません。高齢者が登山中に疲労で動けなくなり救助を要請した事例なども承知しています。自分の年齢や体力をわきまえた行動を取らなくてはいけないと思っています。
水彩画 らむちぃ 10月29日(火) 10:20
 sudoさん、こんにちは。

 最近は日光などでようやく紅葉の報道が出始めましたが、暑さのせいで、例年よりも遅れているみたいですね。

 妙義山の連作を拝見しました。
やはり、群馬特産のコンニャクを作っているところの作品もありましたが、コンニャクは確か芋の部分を使うので、上部の葉や茎などの印象がないのですが、実際に見た感じはいかがでしょうか?

 スケッチの前には妙義山に登られたのですか?

sudo 10月29日(火) 17:42
らむちぃさん、こんにちは。
絵を見て頂いてありがとうございます。
妙義山の麓には今年の秋に3回行きました。
こんにゃく畑を絵に描いたのは、2回目に行った時でした。
3回目に行った時に、蒟蒻畑を確認したら全て刈り取られていました。何かで見たのですが、こんにゃくは1年では出来なくて、2回くらい植え直すらしいですね。
あの辺りには適当な駐車場がないので、バイクで行きました。
紅葉の景色を描きにもう一度行こうかと思っています。
妙義山には登っていません。
中央アルプス らむちぃ 10月10日(木) 07:22
 sudoさん、おはようございます。

 sudoさんの文章にあった「聖職の碑」ですが、
私は映画で見ました。たしか、芦田伸介と三浦友和が主演していたと思います。

 私も一度だけ中央アルプスを縦走しました。たしか、90年代の終りころだったでしょうか。
sudoさんとは違い、ロープウェイで千畳敷カールまで登り、木曽駒ケ岳を往復後宝剣山荘に泊り、翌朝から南へ縦走を始めました。
 この年は水不足の年で、山荘では縦走する人だけに、1リッターの水を分けてくれたので、よく覚えています。

 木曽義仲が越えたという木曾殿山荘で一泊しましたが、ここでもドラム缶の天水が1リッターのみの給水でした。

 翌日は空木・南駒を越えて越百山から越百小屋に一泊しました。越百山の頂上にたくさんの赤トンボが舞っていたのが、印象深い思い出です。

 越百小屋の小屋番に水場を聞いたところ、「沢沿いに15分降りて行けば水が出ている」と言われ、意気揚々と下ればたくさん水が流れていて、ここ数日の水不足を癒すべく、がぶがぶ飲みました。そして裸になって、体中を洗いました。

 一回だけの中央アルプス縦走でしたが、水不足もあり、印象深い山行になりました。

sudo 10月11日(金) 17:50
らむちぃさん、こんにちは。
中央アルプスを北から南まで重曹した訳ですね。
私は稜線上で悪天候に合うのが嫌で、一つずつピストンしました。
将棋頭山、木曽駒、桧尾岳、空木岳、南駒ヶ岳、越百山、などです。
積雪期に登ったのが多いです。

sudo 10月13日(日) 14:15
正誤
重曹→縦走
登山と体力 らむちぃ 10月 9日(水) 07:08
 sudoさん、おはようございます。

高齢者の救助要請で、「疲れて歩けない」というのを、今年は何回もネット上でみましたが、やはり高齢になると体力は落ちるし、これまでの感覚では登れなくなるものなのでしょうか?

 今朝の朝刊に掲載されていましたが、富山県の小学生の恒例である立山登山が、小学生の体力不足と教員の働き方改革で、存続の危機にあるとか・・・。

 私も体力がある方ではないので、今は登山を控えていますが、涸沢ぐらいまでは登りたいなと思っています。

sudo 10月 9日(水) 17:21
らむちぃさん、こんにちは。
小学校で登山など、もう難しいでしょうね。
新田次郎の”聖職の碑”という小説を思い出しました。
大正時代に木曽駒ヶ岳の麓の高等小学生の行事で登山をし、山で台風に遭い遭難した話です、将棋頭山から木曽駒ヶ岳の方へ進んだところに”聖職の碑”の記念碑がありますね。私はロープウェイを使わずに聖職の碑ルートで木曽駒ヶ岳へ登りました。
山の話 らむちぃ 10月 6日(日) 15:49
 sudoさん、こんにちは。涼しくなりましたが、天気がハッキリしませんね。

 sudoさんは単独で沢に入渓しますが、私も昔は表丹沢や奥多摩の初級者向けの沢を何本か遡行しました。ですが、両岸の圧迫感が気になるし、また、滝の登攀にも自信がなくて、沢はあきらめました。

 それからは、普通の登山道ではなくて、ライト・バリエーションのルートに変更しました。
関連の本を読み、ルート図もコピーしたりして、いざ現地に向かうのですが、取り付きを探すのにまず苦労しました。登り始めれば、道形はうすくついている、赤テープなども思いの外あって、あまり苦労することなくルートファインディングできて、登山道に合流できて頂上を目指しました。

 最初に入ったのが奥多摩のタワ尾根で、ここから登れば私の好きな酉谷山避難小屋で一泊出来ます。 もう、東日本大震災以前の古い話ですが、今頃は紅葉が綺麗だと、今でも思い出すことがあります。
 なにしろ、植林ではなくて、自然林でしたから・・・。

sudo 10月 7日(月) 09:40
らむちぃさんこんにちは。
私は体力が落ちていることを感じているので、標高差の少ないところとか、標高差があってもm途中で区切って幕営できるところなど探しています。
高齢者が下山時に疲労で歩けなくなり救助を求めた話など、目に入ってくると恥ずかしいですね。
[沢登り(続々) らむちぃ 9月29日(日) 05:34
sudoさん、おはようございます。

 先日遡行された隣の沢には、戦時中に墜落した飛行機の慰霊碑があるとの事ですが、私が塩見・荒川三山・赤石岳を縦走して、椹島に下る途中で、やはり、戦争中に遭難した飛行機の慰霊碑を見た事があります。赤石岳や小赤石岳が望める良い場所で、ここで休憩したのを思い出しました。

 私は鉄道は好きですが、飛行機はどうも落ち着かなくて好きになれませんが、sudoさんはいかがでしょうか?

sudo 9月29日(日) 19:57
らむちぃさん、こんにちは。
鉄道は乗るのは嫌いではありませんが、特別鉄道ファンではありません。飛行機も乗るのは嫌いではありませんが、あまり乗る機会がありません。
私は遠出をする時は基本的に自家用車です。
たまにバイクにも乗りますが、歳を取ってからは、100kmくらいの長距離を運転すると、右手首が痛くなるようになってしまいました。
沢登り(続) らむちぃ 9月28日(土) 15:27
 sudoさん、こんにちは。お彼岸も過ぎて、だいぶ涼しくなってきて、沢登りのシーズンも終了でしょうか?

 それにしても、上野原近くの沢なんて、よく探しましたね。私はこの周辺だと、扇山と百蔵山を歩いた程度です。 沢筋は大丈夫のようでしたが、帰りの尾根筋で道が消えた時には、焦りませんでしたか? 私も一度、奥秩父の沢沿いの登山道を下っている時、道を見失って焦ったことがあります。
 ましてや、里山の様なところは、道が錯綜して、わかりずらいですからねぇ・・・。

sudo 9月28日(土) 19:20
らむちぃさん、こんにちは。
赤沢は地図にも出ていない小さな沢ですが、滝は登りごたえがありました。登山道がはっきりしない所はGPSが役に立ちますね。
赤沢は地図上にも何もない所ですが、一本南にある阿寺沢の近くには「廣瀬大尉戦死碑」というのがあります。米軍のB 29は高高度で飛来したので迎撃困難でしたが、これを撃墜するために高高度まで上昇できる双発複座式の屠龍という戦闘機が作られましたね。私は”屠龍”という命名が好きです。昭和20年2月に東京へ空襲に来たB29に対し体当たりを敢行した屠龍が阿寺沢に墜落したそうです。その記念碑があるので行ってみたいと思っていましたが今回は行けませんでした。
沢登り らむちぃ 9月15日(日) 07:28
 sudoさん、9月になっても猛暑ですね。まだまだ、沢登りが楽しい時期ですね。

 峰谷の奥の沢など、良く調べましたね。私は昔、バスで峰谷で降りて、奥集落から石尾根を歩いたことがあります。峰谷のバス停には、交番がありましたが、今でも残っていますか?

 流程の短い沢のようですが、巻道やら懸垂下降などもあり、気の抜けない山行のようですね。

sudo 9月15日(日) 18:04
らむちぃさん、こんにちは。
暑いし、突然の雷雨の可能性があったりして、なかなか外出の計画が立てられません。地球温暖化でこんな事になると予想していませんでしたが、台風は凶暴化するし、年中線状降水帯は多発するし、大変ですね。

峰谷のバス停のところには交番はなく、もっと峰谷橋に近いところに一ヶ所あったと思います。
本の話(続) らむちぃ 9月 4日(水) 11:00
 sudoさん、こんにちは。

 ご実家は横浜でしたか。私も横浜に遊びに行った時、下道で『生麦』と標識があったので、「生麦事件の現場はこの辺か」と思って、何か碑でもあるのかな?と見回してみましたが、何もありませんでした。 小説では海のそばの松並木が続く所とありましたが、今では全然その面影すらありませんね。

 『ニコライ遭難』は読んだことがありませんが、高校の歴史の時間に習ったことを覚えています。
大津でニコライが斬りつけられその裁判で大国ロシアに時の総理大臣が配慮して司法に圧力をかけたのですが、当時の最高裁長官が断固として受け入れず、司法の独立を守ったと教わりました。
 小説ではその辺が中心になっているのでしょうか?

sudo 9月 4日(水) 19:31
らむちぃさん、こんにちは。
当時の裁判官の信念で、司法の独立が保たれた、ということがメインだったと思いますが、このことと比べるとK国の司法はひどいですね。

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