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絵画の話
らむちぃ
6月30日(月) 11:21
sudoさん、毎日暑い日が続きますが、お変わりないでしょうか?
今日は質問があります。
ホームページのトップに甲斐駒と那須岳の比較的大きなF20号以上の絵画がアップされていますが、スケッチと本制作にそれぞれどの位の時間がかかったのか、教えて下さい。
sudo
6月30日(月) 17:28
らむちぃさんこんにちは。
高校生の時は油絵も現場で描いていましたが、今では現場では水彩画を描きそれも2〜3時間で、あとは自宅で仕上げます。油絵の方はスケッチと写真を参考に描いています。油絵は気に入った色になるまで何回も重ね塗りしています。下に塗った色が乾いてから塗り重ねますから、1週間から10日くらい時間がかかっています。
本の話 4
らむちぃ
6月12日(木) 05:35
sudoさん、おはようございます。
大町山岳博物館は知っていますが、いつも扇沢に直行してしまい、帰りに寄ろうかと思いつつ、いつも里心がまさり電車に乗り込んでしまうので、未だ訪れたことがありません。 そうでしたか、松濤明氏の遺書の書かれた手帳が展示されていましたか?
sudoさんも【北鎌からの脱出】があったので、感慨もひとしおだったでしょうね。
「狼は帰らず」は森田勝氏の記録ですね。冬季谷川岳の滝沢第3スラブ初登攀やK2遠征時の顛末が書かれていました。
私は実物の森田氏を一回見たことがあります。まだici石井スポーツ本店が新大久保にあったころ、地下の登山靴売り場に降りた時、森田氏がお客にアドバイスをしているところでした。肩のあたりまで伸びた髪と何よりもその眼光の鋭さに恐れをなして、とても話しかける雰囲気ではありませんでした。
sudoさんの「into the air」とはジョン・クラカワーの訳本の「空へ」の事でしょうか?たしか、ロブ・ロウの公募登山隊でのエベレスト遠征の話でしたね。公募登山隊の事を山の本で読んだ時、エベレスト500万・チョ・オユー300万で登頂できるのかと・・・改めて時代の移り変わりをかんじたものでした。
それから、小説では新田次郎もよく読みました。『強力伝』『栄光の岩壁』『孤高の人』『銀嶺の人』『剱岳・点の記』『八甲田山・死の彷徨』や『武田信玄』などの実在する人物に焦点を当てて、ドキュメンタリーの様な書き方で楽しく読ませてもらいました。 特に『孤高の人』の単独行には、大きな影響を受けました。
sudo
6月13日(金) 06:05
らむちぃさん、こんにちは。
エベレスト関連の本を読んだのはだいぶ前なので、よく覚えていませんが、into thin air は、”空へ”、 the climb はデスゾーン8848という邦題の本が出ています。アナトリー・ブクレーエフはその後しばらくして山で亡くなったのは残念です。新田次郎の本も読んだのは随分前ですが”芙蓉の人”が印象に残っています。森田勝さんにお会いしたことがあるそうですね。私は冬の涸沢岳西尾根で山本篤さんにお会いしたことを思い出しました。単独でテントを張っていた時に温かい言葉をかけて頂きました。
本の話3
らむちぃ
6月11日(水) 07:28
sudoさん、おはようございます。
sudoさんは山の本は、あまり読みませんか?
私は山岳部に入部したころによく読んで、もう内容は忘れましたが、題名は今でも覚えています。
ハインリッヒ・ハラーの「白い蜘蛛」 リオネル・テレイの「無償の征服者」 ワルテル・ボナッテイの「わが山々へ」などですが、ボナッテイの本にはモンブランプトレイ中央岩稜初登攀の記録がありました。
日本の書籍では、二見書房から出版されていた山岳名著シリーズの加藤文太郎「単独行」や松濤明「風雪のヴィバーク」吉野満彦「山靴の音」などを、読みふけったものです。
山のエッセイや記録などは、余り需要がないでしょうが、私は山の本を読むことで、自分の登山には無い別の山の一面を感じました。
sudo
6月11日(水) 17:14
らむちぃさんこんにちは。
山の本は以前にいろいろ読みました。
大町の山岳博物館で松濤明の最後の言葉が書かれた手帳を見つけたときは衝撃を受けました。夢枕漠の”神々の山嶺”は世間では評価されていたようですが佐瀬稔の”狼は帰らず”の方がオリジナリティがあって良いと思いました。ナンバさんがエベレストで遭難した時のことが書かれている ”INTO THIN AIR"と”theClimb”というのも読みました。
最近はあまり読んでいません。
本の話 2
らむちぃ
6月10日(火) 10:18
sudoさん、こんにちは。
河口慧海もハインリッヒ・ハラーの「チベットの七年」も読んだことはないですが、ハインリッヒ・ハラーはアイガー北壁の初登攀者で、ヒマラヤ遠征時に第二次世界大戦が始まり、イギリスの捕虜となったが脱走してチベットに逃げ込み、ここでダライ・ラマの教育係として7年過ごしたそうですね。
「人間万事塞翁が馬」と言いますが、何がどうなるのかは、神のみぞ知るなのでしょうか?
sudo
6月10日(火) 16:24
らむちぃさん、こんにちは
Heinrich Harrerが登山家だったことはおぼろげながら知っていましたが、アイガー北壁の初登攀者だったということは記憶にありませんでした。河口慧海は仏教の経典を求めて、自ら望んで苦難の路を行ったわけですが、漢方薬の知識なども豊富で、彼の地では名医と崇められたそうです。
本の話
らむちぃ
6月 9日(月) 06:32
sudoさん、おはようございます。梅雨のハシリでしょうが、はっきりしない空模様ですが、お変わりないですか?
今日は、本の話です。sudoさんは最近は読書の方はどうですか?
私は沢木耕太郎著の「天路の旅人」上下巻を読み終えました。
第二次大戦中に密偵として敵情視察する為に、蒙古僧侶に変装して、内蒙古から青海省・チベットそしてインド・ネパールまで徒歩で旅をつづけたドキュメンタリーです。
沢木氏がインタビューしたときには、まだ存命で岩手県で美容用品の卸をしていたそうですが、一年364日働き、夜はおにぎり2個とカップヌードル1個で毎日済ませていたそうです。
旅行記の中では、野宿は当たり前で、托鉢や縫い針を交易品として、ヒマラヤ山脈の4000m〜5000mの峠を7から8回も越えたそうです。
sudoさんはチベットやインドに興味がありますか? 以前にチベットを歩いて、カイラス山を見上げて、さらに西のイリ河源流まで行ってみたいなぁと夢想したものです。まぁ私では、とても耐えきれなかったでしょうが・・・。
sudo
6月 9日(月) 13:52
らむちぃさん、こんにちは。
チベット行について書かれた本としては、河口慧海のチベット旅行記とHeinrich Harrer著(独)"Seven Years in Tibet"をRichard Gravesの英訳で読みました。Seven Years in Tibet はブラッド・ピット主演の映画を見てから読みました。河口慧海はインド側からチベットに入っていますが、中国人と偽って入国するために中国語を学んでいました。厳しい冬の山越えでのビバークを坐禅で乗り切ったというのがお坊さんらしくもありますが、信じ難くもありました。
山の話 5
らむちぃ
5月25日(日) 07:59
sudoさん、こんにちは。
聖岳の文章をアップしていただき、ありがとうございました。私の様な紀行文ではなくて、記録ですから貴重ですね。なにせ、私の記録は人が一泊で行くところを二泊で行く体力のない人間ですから、参考にはなりません。
そうでしたか、「岳人」や「山渓」も20年分バックナンバーをそろえてあるならば、手軽に調べられますね。しかし、本は重いし、置き場所が大変でしょう。
それから、sudoさんのお名前は私の父と読みが同じです。父は最後の漢字が【雄】なのですが…。我が家では「偏諱」と言って、代々一文字を受け継いで命名する習わしだそうで、私も【義】の文字を貰ってます。私には子供がいないので命名できませんが、男の子だったら「義煕」にしようかなと考えたこともありました。
sudo
5月25日(日) 19:23
らむちぃさん、こんにちは。
山渓と岳人30年分というと、大分場所をとり、ひどい時は自分の部屋に入り切らずに居間の床に積んでいる状態でした。
定年退職後に整理しtr、自分の部屋に入りきらない分は廃棄処分しました。最近は油絵を描くようになったので、また部屋に置く荷物が増えてしまいました。
山の話 4
らむちぃ
5月24日(土) 09:36
sudoさん、こんにちは。
私の文章を早速読んでいただいたそうで、ありがとうございました。
sudoさんの文章をパソコンで調べたのですが、図書館に
それにしても、「岳人編集部」からメールが届いて執筆したというのは、すごい!ですね。服部氏の本は読んだ事があります。サバイバル登山で有名な方ですね。
もしも、古雑誌が読める環境にあるならば、「岳人」2012年7月号と2013年5月号を開いてみてください。ここにも、私の文章が掲載されていますから…。
らむちぃ
5月24日(土) 09:39
図書館に…の続きです。
もなく、古書店でも見当たりませんでした。sudoさんは、どこで私の文章を目にされたのでしょうか?
sudo
5月24日(土) 14:08
らむちぃさん、こんにちは。
私は山と渓谷と岳人を長い間定期購読しており、ひと頃はどちらも30年分くらいのバックナンバーを保存していました。だいぶ場所をとるので最近は古い方から捨てていますがまだ20年分くらいあります。山と渓谷の方は3年くらい前に定期購読をやめ、岳人も今年からやめようと思っています。2012年と2013年の岳人の記事は拝読いたしました。写真なしで見開き2ページですから大作ですね。
剣岳は私も早月尾根を登りました。他に長次郎沢からと別山尾根から北方稜線の半分を登りました。
私の岳人の記事はHPの記事とほぼ同じなので、わざわざ見ていただくまでもありませんが、2009年12月の聖岳のレポートの最後に岳人の掲載ページの画像を添付しておきました。
山の話 3
らむちぃ
5月23日(金) 09:04
sudoさん、こんにちは。
聖岳のレポートを拝見しました。車でもアプローチが長くて、大変でしたね。
それにしても、よく年末の聖岳に単独で入山しようと計画しましたね。sudoさんのように、アルプスに冬季に入る人は、それなりの技術と覚悟を持って入山する人達ばかりなのでしょう。
年配の人に会えたのも良い経験でしょう。行動の仕方や行動中の動作など学べるところが多々あったと思います。 帰路の車中での会話も参考になったことでしょう。
登山届が遭難騒ぎまで発展して、大変でしたね。でも、騒ぎだけで済んでよかったです。
西沢渡の籠の件は懐かしいです。私も乗って対岸に渡りました。 後で聖平小屋のスタッフに聞いたところ、【野猿】ヤエンと言うのだそうです。
岳人の記録は、いつか図書館に行った時に拝見するとします。私も「山と渓谷」2014年6月号に埼玉県と山梨県境にある和名倉山に行った時の記録が掲載されました。
便ヶ島の小屋は聖光小屋になったそうですが、私の時は休業していて、飯場の様なプレハブ棟が二つあるだけでした。光小屋など南アルプス南部の山小屋は、経営に苦労しているのでしょうね。
sudo
5月23日(金) 14:56
らむちぃさん、こんにちは。
聖岳のレポートを読んでいただきありがとうございました。
2014年の山と渓谷の記事も拝見しました。
和名倉山は2020年に市ノ沢から登りましたが、頂上までは行かずに、隣の尾根から降りてしまいました。この時も少し迷いました。
聖岳の記事が岳人に載ったのは、服部文祥さんからメールをいただき、原稿を書きました。題字のところにかっこいいキャッチコピーをつけていただきました。
続々・山の話
らむちぃ
5月22日(木) 07:04
sudoさん、おはようございます!
sudoさんは2017年に転付峠を越えたとありますが、私の古い山日記で確認したところ、それより10年前の1997年7月末の山行でした。もう、28年も前の事です。
この山行はJR飯田線平岡駅からバスに乗り、バスの乗り継ぎに失敗して歩きだしたのですが、30分程で軽トラックに拾ってもらい、本谷口バス停まで送ってもらいました。
ここから、森林軌道跡の林道を延々と歩き、午後3時頃にようやく易老渡までたどり着き、ここで駐車場に止まる車を見て「車が通れる道もあるんだ」と嘆いたものです。
さらに、便ヶ島小屋に向けて歩いていると、一台の車が近づいて私に「この先に何かあるの」と聞くので、「山小屋しかないですよ」というと「バーベキューができる所を探してる」と答えて戻って行きましたが、しばらくすると戻って来て「小屋まで載せていくよ」と言ってくれました。中に乗ると、初老のドライバーのほかに、その奥さんとお孫さんらしい小さな女の子が眠っていました。小屋に着いたと「お孫さんに」と言って行動食の残りのキャンディーを渡したら、児玉スイカを貰いました。
西沢渡から聖岳の登りもキツかったですが、アプローチの長いことが、今でもハッキリ覚えています。
sudo
5月22日(木) 12:23
らむちぃさん、こんにちは。
便ケ島にある小屋は、私が行った時は聖光小屋と呼ばれていました。
2009年のことです。聖岳と光岳からつけた名前ですね。
2009年12月に登りましたが、この時の登山記録は岳人2012年1月号に掲載されました。西澤渡にはケーブルで吊るされた重い籠がありましたね。私が下山した後に頂上で死んでいた人がいたそうです。私は仕事に出ていたのに留守宅に電話がかかってきたり、家内の勤務先や家内の実家にも電話がかかってきたそうです。私の勤務先に電話をかけてくれればすぐに連絡がついたのに、そうしてくれなかったので、遭難騒ぎになり大変でした。それからしばらくは、登山届けを出すのをやめていたことがあります。
続・山の話
らむちぃ
5月21日(水) 06:57
sudoさん、おはようございます。
前回の話で、私はてっきり小渋川を遡行されたのか?と思いましたが、支流に入られたとの事で、よく一人で支流に入られましたね。 本流でさえも遡行する人が少ないでしょうに…。
私も聖岳から下山した時、予備日が余っていたので、二軒小屋から転付峠を越えて、山梨県の新倉に降りたのですが、この時保利沢沿いに歩いていたら、途中から土砂崩れで道がなくなり、河原沿いを歩いたのですが、いよいよ渡渉が必要になり、登山靴のまま川に入ったのですが、ひざ下位の流れでもよろけそうで怖かったです。そして堰堤に出たのですが、このまま下れないので、堰堤にあった鉄のアングル階段を上り、急斜面を無理矢理登って登山道に出たことがありました。
新倉のバス停で身延行きを待つ間に、近くの雑貨屋でサンダルを買い、濡れた靴下などを脱いでサッパリしました。
それ以来、渡渉はコリゴリです。
sudo
5月21日(水) 20:22
らむちぃさん、こんにちは。
私は2017年に伝付峠を超えたことがありますが、以前からの道は崩れているところが多く、昔の地図とは違ったところに道がつけられていました。それでも、もう一般道ではなくバリエーションルートという感じでした。新倉に、サンダルを売っている雑貨屋があった、というのは驚きです。
旅から山の話です。
らむちぃ
5月20日(火) 10:46
sudoさん、こんにちは。
sudoさんが塩見岳に登ったと言うので、レポートを探していたら、赤石岳の記録にあたりました。
sudoさんは小渋川から登頂されたのですね。私もこのルートの研究をしましたが、川の渡渉が何度もあることと、アプローチが不便なので無理と判断しました。
前回書いた塩見岳から縦走で、荒川三山と赤石岳を歩いて椹島へと下りました。
大聖寺平で「ここから登ってくるのか?」と小渋川方面をしばらく見ていました。
ここには、大きなケルンがありましたが、覚えていらっしゃいますか?
それにしても南部の南アルプスは遠いですね。
山々が大きいし、深いとでもいうのでしょうか?
研究倒れをもう一つ。 光岳から寸又峡までの縦走もかんがえていたのですが・・・。
sudo
5月20日(火) 20:05
らむちぃさん、こんにちは。
私が小渋川の支流の福川から赤石岳へ登ったのは沢登りのつもりでした。東海フォレストのお世話になりたくなくて、椹島とは反対側のルートを取りました。2013年のことで、ケルンのことは覚えていません。
登山記録の地域別の表をみると2009年7月と2016年11月に塩見岳に登っています光岳には2022年に登りましたが、あそこも行程が長く、体力の低下した老体にはキツかったです。
旅の話 2
らむちぃ
5月19日(月) 07:05
sudoさん、おはようございます。昨日は蒸し暑く、今日は肌寒い日と寒暖差のある日々ですが、体調の方は、いかがでしょうか?
さて旅の話の続きですが、行きのバスは南アルプスが見える側に座ったのですが、伊那市あたりから白い山が見えだし、駒ケ根あたりよりは、前山の緑の奥に白銀の大きな山が見えだしました。
塩見岳の冬山登山を計画されたそうですが、私は夏に登りました。伊那大島駅から乗ったバスのドライバーが、「塩川に行くのは今年が最後で、来年からは鳥倉林道経由となる。」と言っていたのを覚えています。
三伏峠でテントを張り、翌日に塩見岳をピストンしたのですが、その遠い事、遠い事。 戻り道で三伏峠小屋が見えた本谷山で30分程休んだことを思い出しました。
帰りのバスは中央アルプス側の席で、千畳敷カールが真っ白に、そして木曾駒ケ岳が青空に白く輝いているのが、よく見えました。
sudo
5月19日(月) 19:34
らむちぃさん、こんにちは。
私は、塩見岳には7月と11月に登りましたが、12月は一度は林道の崩落のため行けず、もう一度は悪天候に負けて撤退しました。
確かに三伏峠からの道程が長かったように記憶しています。
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