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125: クリスマスローズの蕾
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麦 2月18日(火) 13:21
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お正月すら遠くなりつつあるのに、誰が名付けたかクリスマスのフレーズ! 早やっ! が取り柄のネットで放つのは意に反するけど、今が書き時!
いつまでも蕾が見えず諦めて、もはや見放し気分だったところ、なんとなんと、少し前の暖かさで急激に上がったのか、我が家で元祖の一株に、18本の花茎。 そのほかの地植え株にも消極的ながら、それぞれに。 鉢植えの2鉢には、今のところ兆しは見えず。
ブログを書く気も、書くことも、フツフツと浮き沈みつつあります。
このところ、娘と、学業が休みに入った女子孫とが、ケーキ持参で我が家に訪れてはティータイムのひとときが多くなりました。 話題と言えば、やはり、家族みんなに愛される犬についてが多く、獣医さんで知り合い、先だって旅立ったマルちゃんのことも。
マルちゃんの主は、見送って一週間を過ぎたころ、獣医さんに、このあとに飼う犬種の相談をしていて、亡くしてから一ヶ月後の月命日に子犬を迎えました。 先日、電話で話すことがあって、新たな子犬の名前やら、家の中を走り回るヤンチャな様子を語る口調は明るく、マルちゃんの思い出は封印されたかのよう。
そこで、娘が言うには、[マルちゃんの主さんのような人が犬を飼う資格があるのよね]と。 いつまでも悲しみを胸に留め、前に進むことが出来ないようではいけないのよね、と。 それならば、マルちゃんを失った悲しみを引きずって、いつまでも涙しているようなら、犬を飼う資格はない、という事なのか?
私が書いた文章を読むと、 失った子への未練を、キッパリ断つことが出来るなら犬を飼う資格があり、いつまでも悲しみから抜けられないようなら飼う資格がない、という解釈になると思う。 しかし、です、[逆は必ずしも真ならず]。
失った子への愛が、いつまでも胸の中に燻り、どうしようもない者もいる。 いつまでもいつまでも、たくさんたくさん悲しんで涙を流して、ずっと心の中に、その子への愛を温めながら、また新しい子への愛を育てることも。
失った子への未練を断つことが出来るから飼う資格があり、いつまでも悲しみから抜けられないようなら飼う資格がない、ということではないのだけれど。 麦が書く文章は難解と言われることが、よくあります。
人それぞれが持つ感性、読む時の主観により、私が書いたことを[犬を飼う資格がある、なし]と、[育てた犬を失ったときの心の傷み]と、二通りの異なる解釈があって当然だと思います。
犬好きのかた、過去に犬を飼い見送ったことのあるかた、今でも悲しみが癒えず涙が絶えないかたには、もしかしたら、麦の書いた文から、[犬を飼う資格がない]と思われることも有るでしょうけれど、私が言いたいのは、そういうことではありません。
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