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足をのばせば・524/やっぱり暑いけど欲張り歴史旅
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桜の住人 9月19日(木) 04:52
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足をのばせば松江編へ戻りますね。
松江1日目を顧みますと、 羽田のラウンジでまったり→空路を楽しみ →松江へ着くなり仕事へ直行→初音寿司→ 満腹でドーミーインでダウン と
まったく「いつも通り」の流れ。 ワンパターンで面白くも何ともない展開。
じゃあ帰るだけの2日目は、 いつもと違う珍しいことしなきゃね。 3月には古代出雲の残り香を探して 意宇(おう)の里を訪ね歩きましたが、 今回はどこへ行こうかな?
とんでもないことに天気予報では 松江の最高気温は『37℃』! うそだろー? でもまだ8時半なのに 太陽ギラギラです。うわ〜大丈夫か?
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桜の住人 9月19日(木) 05:00 島根半島のほぼ中央に位置する松江から見て 半島の西端にあるのが出雲大社。 ここはもう何度も行ったしなあ…。
逆に半島の東端にあるのが美保神社。 こちらはこれまで縁がなく行ったことない。
せっかく帰りの飛行機を遅らせて 今回は夕方の便にしてもらってあるし、 行ける時に行っとくかあ!?
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桜の住人 9月19日(木) 05:17 こちらは帰りの飛行機から撮った写真ですが 美保神社のある美保関湾は 島根半島の東の先端部、ほんとに端っこです。
陸上でなにかをする場所、ではなく 海路(遠隔地との交流・交易)のための中継地、 であることは一目瞭然ですね。
松江からバスを乗りついで、やっと行ける場所。
1時間に1本しかない過疎地でもあります。
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桜の住人 9月19日(木) 05:24 と、いうわけで、やって来ました美保関。
正面の海から上がるとすぐに鳥居があって もうここから美保神社の参道がスタート。 文字通り、美保神社だけのための小さな町。
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桜の住人 9月19日(木) 05:40 神門をくぐると 太いしめ縄の向こうに 見えてきたのは お社(やしろ)ではなく拝殿。
こちらの美保神社には 大国主命の子供、事代主命が祀られています。 このコトシロヌシノミコトは 「えびす様」としても信仰を集めていて、 豊漁や航海安全の神として馴染み深い存在です。
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桜の住人 9月19日(木) 05:50 圧倒的な存在感を放つ美保神社ご本殿。 手前の立派な「拝殿」が特徴的ですが、 奥にあるご本殿は2つの大社造の棟が連なる 「比翼大社造」というたいへん珍しいもの。
今年3月に岡山で訪ねた吉備津神社本殿も 「比翼入母屋造」という似たつくりでした。 どちらも他では見られない貴重なお社です。
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桜の住人 9月19日(木) 05:59 2つ並んだご本殿の 左には事代主命が祀られていて、 右側には大国主命の正妻である 三穂津姫命が祀られています。
ちなみに事代主の母親は 神屋楯比売命(カムヤタテヒメノミコト)と されていますので、 義理の母親と並んで祀られている。と いうことになりますか。
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桜の住人 9月19日(木) 06:12 それにしても、立派な神社です。
失礼な言い方ですが、こんな不便な場所に こんな立派な神社があるなんて、というのは 岡山の吉備津神社へ行った時と同じ感想。
しかし、1000年も2000年も前、 まだ「日本海側が表日本」だった時代には 海上交通の重要拠点として 現代の「東海道新幹線停車駅」並の 重要なポイントであったことは想像できます。
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桜の住人 9月19日(木) 06:28 ここは全国にある「ゑびす神社の総本宮」。
出雲大社の大国主命が「大黒様」として 米俵の上で打出の木槌を振って豊作を祈り、 美保神社の事代主命は「恵比寿様」として 釣竿と鯛を持って豊漁を約束してくれます。
「えびす・だいこく」は全国津々浦々に根づく 民間信仰として日本人の根っこの部分に 大きな影響を与えてきました。
古代出雲の神々は「国津神」として 皇室の祖先である「天津神」に征服されて しまうのですが、下々の暮らしのなかに ガッツリ生きていることは心を揺さぶりますね。
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桜の住人 9月19日(木) 07:48 港と神社の周辺には海運で栄えた時代の 古い宿屋などが 今も軒を連ねています。
風情ある石畳の小路では 灯籠を並べたイベントなども 行われているようですが、それは ここで一泊しないと味わえないな。
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桜の住人 9月19日(木) 07:57 遠い昔、大陸から南西諸島や 東は越の国から佐渡、東北まで 海の道を渡って行き来した出雲の民。
時代が下ると日本海通運として 蝦夷地の産物などを京や大阪へ運ぶ 経済の動脈となりました。
今ではなかなか辿り着かない過疎地ですが 昔は歴史の花形だった頃もあるのでしょう。 1000年たったら東京だってどうなるか? 寿命の短い我々には知るすべがありませんぜ。
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