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2052: 高取町の清水谷 太泉八雲 8月 8日(火) 01:30
先月はまた奈良の今井町に滞在して動画を撮影してきました。
動画撮影を始めてから、集落や町並みを隅々まで歩き回っていろいろ発見があって驚かされるのですが、今回は城下町としられる高取。大体観音寺から上・下土佐、武家町の下小島あたりで終わり、下小島から壺阪寺方面に延びる細い参道沿いにある「清水谷」は、つい高取のおまけ的に撮影していました。が、今回もめちゃ驚きました。

立派な家々は製薬商人の主屋だったのですが、その裏手にはまさに製薬会社の工場が密集していました。主に漢方系の企業で、いくつかは工場を畳んているのもありましたが、酒造蔵に近い、あるいみ「薬造蔵」の家並みでした。いや〜歩いてみるものです。
駅前には「くすりの町・高取」と掲示がありましたが、今まで気にもとめていませんでした。

辰巳屋 8月 9日(水) 09:32
お久しぶりです。精力的に撮影されているのですね。
私は、6月のオフ会の後、高取を訪れ、清水谷も訪問しました。
清水谷の街並みの街道沿いだけを見ました。街並み以外の場所には機転が廻りませんでしたね。
今回の太泉さんの指摘で気づいたのですが、地図で見ると中心通りの南北には製薬会社の名前がたくさんありますね。「高取町・製薬会社」で検索すると清水谷だけで6社ありました。高取町全体では、14社あります。
下土佐・上土佐地区は、かなり整備されていますが、以前より古い建物が少なくなっていると感じました。修景が進み過ぎたのでしょうか。清水谷地区は、少し離れているためか、古い建物はそのまま残っているような印象でした。

画像は、大和棟の大きな家です。清水谷の街並みには、立派な門構えの家や大きな屋敷が多いのを感じました。

太泉八雲 8月10日(木) 09:20
高取に訪れたのは今回で4度目くらいですが、清水谷地区はいつも重要視していませんでした。じっくり歩いて見る物です。あと、グーグルマップでも言えますが、ドローンからの空撮においても、集落を上から見ると町並みの背後に広がる家並みも見えてくるので、過去のように表層だけ歩いて終わることが無くなったように思えます。

写真の立派な大和棟の建物。向かいのビルが製薬会社の本社事務所で大和棟の建物は主屋ですね。

孫右衛門 8月11日(金) 20:25
高取の清水谷地区は私もようやく最近になって訪ね直しページをしたためましたが、このような発見はドローンでの俯瞰あってのことですね。こうしたところにもまさに視点を変えた発見が楽しめそうです。
世間は盆休みですね。昔は土曜日も出勤だったので、盆休みは絶対に外せなかったのですが、今は土日に有休を加えた2泊3日といったことも容易になりましたので、あえてこの悪条件に満ちた連休に探訪をする意味がなくなりました。
サイトの更新や、普段余り手の回らない身の周りの整理などを行い、来週末にちょっとした探訪を考えています。
八幡浜市にある古い銭湯を利用した宿泊施設に泊り、宇和海にある大島などを訪ねるものです。

辰巳屋 8月11日(金) 22:18
孫右衛門さんが、「清水谷」を取り上げているのは、知っていました。高取(土佐地区)と清水谷は、結構離れていますね。

清水谷が、薬業の町だったということで、関連で、薬業の町を紹介したいと思います。

大和南部の製薬(薬業)については、街並みとの関係で見ると、大宇陀、高取、下市を直ぐ思い浮かべてしまいます。一口に製薬(薬業)関係と言っても、薬種、合薬、売薬(配置売薬)に大別され、いずれも大和南部は栄えたようです。

太泉さんの投稿を機会に、大和の薬業について、調べました。
「奈良県薬業史」(奈良県のホームページ)では、大和南部の薬業で栄えた町(地域)が記載されています。江戸末期(慶応2年の配置売薬業者)には大和南部の今住(6)・市尾(8)が中心地であったようです。土佐(4)・下小島(1)・清水谷(1)の高取地区は、併せて6事業者で、明治になって大和売薬の中心地として発展したようです。( )は、事業者数。

私は、そのような知識を持たないで、オフ会の後、御所市「今住」を訪れました。地図から判断して、街並みが残っているかもしれないと思い訪れたのです。
集落を一通り歩いた後に、地域の方にお話しを伺う機会があり、初めて薬業で栄えた集落であったことを知りました。大きな屋敷は、合薬、売薬(配置売薬)の事業者で、今も継続している事業者もあるが、廃業している事業者もあると説明されました。売薬(配置売薬)で成功した事業者が多いことを強調されていました。
この時初めて集落の成り立ちを知りました。事前に「奈良県薬業史」などの、知識があれば随分と成果があったと思っています。残念です。お恥ずかしい話でした。

画像は、今住の街並みです。大きな門構えの住宅が表れ、長い塀や大和棟の大きな住宅が並んでいます。

辰巳屋 8月11日(金) 22:19
画像は、今住の沿道で、静かで落ち着いた佇まいです。道路に沿って、昔ながらの小川が流れ、風格のある屋敷が続いています。

孫右衛門 8月13日(日) 09:47
清水谷は高取(上土佐、下土佐)の付属村のように思っていましたし、御所市今住も知りませんでした。古い地場産業に着目すると、見えてくるものがあるようですね。
奈良県も古くから製薬が盛んな土地ですので。

太泉八雲さんの橿原市今井町の動画を見ました。ドキュメンタリー映画のようで、かなりの下準備と構想が必要だったことと察します。力作ですね。

七ちょめ 8月13日(日) 21:28
辰巳屋さんの訪ねられた高取町清水谷、高取町市尾、御所市今住も全て知りませんでした。
自宅から近い所にある古い町並をお知らせ願いありがとうございます。
高齢で熱中症を警戒して暑い間は自粛していますが、涼しくなれば訪ねたいと思います。
上記の3ケ所に加えて今住の北にある柏原も序に訪ねたいです。
どの場所も電車とバスの便が良い所で、訪ねるのに苦労しないでいけそうです。

辰巳屋 8月15日(火) 13:21
七ちょめさん、お久しぶりです。

毎日暑い日が続きます。私もそろそろ高齢者になり暑い日はなるべく避けております。
大和南部の薬業の町は、太泉さんの投稿をきっかけに勉強させてもらいました。早く気づいていればもっと良い報告ができたと思うと残念でなりません。

今住は、大きな街並みではありませんが、落ち着いた街並みです。訪問されたら、「三光丸クスリ資料館」があります。私が訪問した時は休館日になっていました。何か良い情報があるかもしれません。

まだまだ、奈良には、街並みが潜んでいるのかもしれません。

七ちょめ 8月15日(火) 15:30
辰己屋さん 近鉄壺阪山駅からバスに乗り壺阪寺口で降りて、清水谷を上土佐に向かって歩き、途中でバスで壺阪山駅に向かうか、壺阪山駅まで歩くかのどちらかは当日決める。
壺阪山駅から近鉄で市尾駅に行き、市尾集落から歩いて今住集落の曽我川の東側をそしてクスリ資料館のある西側を歩き、その続きにある柏原集落を訪ねて、JR和歌山線の掖上駅から帰宅するという一日コースの行程を作りました。
でも、もう直ぐ米寿を迎える超高齢者で歩けるかどうか。という所です。

以前、この今住集落はJR和歌山線に乗った時に、めぼしい集落と思って訪ねるリストに挙げていました。偶然とおもいます。

辰巳屋 8月16日(水) 15:42
早々に計画を建てられましたね。
電車で気軽に出掛けられるのは、羨ましいです。九州の果てに住むようになり、こちらでは、電車・バスは逆に不自由になり、車でしか出掛けられません。

私の場合、奈良の街並みを見ようと思っても、費用対効果を考えれば、いくぶん長期間の旅行になってしまいます。今後は、オフ会を利用したちょっと長期間の旅行にならざるを得ないと思っています。

今住は、曽我川を挟んで東西に集落がありますが、西部のクスリ資料館あたりが中心となります。「市尾」は資料的にはあるのですが、街並みは不明です。報告を楽しみにしています。

奈良の街並み・街道集落については、太泉さんが詳しく訪ねられています。チェックしてみるとまだまだ未訪の街並みがあるかも知れません。私も、太泉さんの情報がありながら、時間の関係で訪問できなかった街並みがあり残念な思いをしています。再度の機会を持ちたいと思います。

落ち着いたら、下街道沿いの街並みについて投稿したいと思っています。

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