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2033: 伊勢路のその後 辰巳屋 11月 9日(水) 15:38
オフ会から随分長い間自由にさせていただきました。11月4日に宮崎に帰って参りました。
大変疲れました。最初はどうっていうことは無いなどと思っていましたが、2,3日後あたりから疲れがどっと出てきました。
伊勢路は、随分前から計画し、じっとチャンスを伺っていたものですが、やっと念願が叶いました。思えば、伊勢のオフ会に初めての参加予定でしたが、父親の急死により参加出来ず、それから6年後に叶ったものです。

すべてを報告することはできませんが、その後を報告します。
名張は、初瀬街道の宿場となっていますが、本町、中町、新町、元町など古い街並みが色濃く残っていました。

画像は、上八丁の山口家で登録文化財に登録されています。説明板によると、旧山口楼という旅館で、界隈は歓楽街で芝居小屋などもあって大変賑わっていたそうです。


辰巳屋 11月 9日(水) 15:39
画像は、御所市寺内町です。
円照寺の寺内町で、古い建築物も多く残っています。しかし、古い街並みの中心部にも建物が撤去された空き地がありました。

辰巳屋 11月 9日(水) 15:40
画像は、真土(まつち)です。和歌山県橋本市で奈良県との県境に近い場所に位置します。
伊勢街道が通っており、小さな街並みですが、段差のある街並みが、印象的です。

太泉さん、北関東に行く予定でしたが、年末で他に家の事で時間が必要になりました。諸般の事情により延期することになりました。期待だけさせて申し訳ありませんでした。

太泉八雲 11月 9日(水) 19:05
辰巳屋さん、了解しました!
また、こちらにいらっしゃる際はお声がけ下さい!

孫右衛門 11月11日(金) 13:20
辰巳屋さんにとって伊勢オフ会のとき以来6年越しの計画だったとは知りませんでした。
気合が入った様子が伝わってきたのはそのためだったのですね。
名張も御所も訪ねたのは随分前になります。
御所は重伝建級とずっと思っているのですが、町並として話題になることすら少ないように感じます。外部からの注目度、地元の方の認識度などがそれほどでもないのでしょう。これからでも遅くないとは思うのですが。


辰巳屋 11月13日(日) 17:18
先日投稿した名張の山口家住宅の説明で、「旧中村楼」と記載しましたが、「旧山口楼」が正しい記載でした。訂正させてください。
現地の山口家住宅の説明の全文は、次のようになっています。
「初代山口長七が明治の初め、旅館「山口楼」を開業した時から残る建物で、周辺には、旅館や芝居小屋、料亭が軒を連ねる歓楽街であった。本建物は、木造2階建で切妻瓦葺きで、間口4間×奥行14間と奥に長い、玄関は客人と家人用の2か所あり、待合室には掃き出し窓と嵌め殺しの格子戸がある。また2階には3帖間が4室連なる客室があり、その窓に設置された肘掛け手摺が旅籠建築の特色を残している。」

街並みを歩いていると由緒ある建物とは思わなかったけれど、説明を読むとなるほどと思ってしまいました。

名張の街並みには、登録有形文化財に登録されている建築物が多いようにおもいます。上八丁に2軒(山口家住宅、梅田家住宅)、本町には5軒(岡村家住宅、大和屋店舗、木屋正酒店、旧喜多藤、江戸川乱歩生誕地の住宅も登録)、新町にも2軒(旧細川家住宅、川地写真館)、サンロード(上本町)のアーケードにも1軒(保田家)、その隣の柳原町に1軒(貝増家住宅)、元町にも1軒あり、多いように思いました。街作りの一環として登録が進んでいるように思います。

画像は、新町の旧細川家住宅です。大宇陀の薬種問屋細川家の分家になるようです。大宇陀の旧細川家住宅は、現在、宇陀歴史文化館「薬の館」になっています。
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