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2014年11月23日レクチャー&ピアノリサイタルに向けて(5) Ichiro Kaneko 2014年 8月 8日(金) 19:38
 スクリャービンは最晩年まで、ソナタ形式という、緊張と弛緩の揺れを最も効果的に表す手法を使い続けた。もちろん、詩曲「焔に向かって」作品72など、例外も存在はするが。そして、対位法も縦横無尽に使った。さて、このことは、いわゆるドミナントモーションを放棄したことによる、和声上での緊張と弛緩の揺れの希薄さの追求と矛盾しているように思われる。しかし、前述の、彼の目指した情緒表現、すなわち、神秘体験、神との合致などの追求には、ソナタ形式という正反合の表現様式は最適なものであったのだろう。神秘体験を調性感のない高次テンションの和音で表現し、神との合致をソナタ形式で表現したと論ずるのは多少乱暴ではあるが大きくは外れてなかろう。
 一方、ベートーヴェンなどが追求したソナタ形式が持つ正反合の表現様式は、ショパンの好んだ情緒表現には必ずしも適していなかった。彼が、彼と同時代のロマン派の作曲家(シューマン、リストなど)やその前のベートーヴェンに比べ、壮大過ぎるもの、大袈裟なものを好まず、繊細で複雑で微妙な表現を好んだからだろうか。いずれにしても、ショパンは、ロマン派のすべての作曲家の中で、ただ一人、モーツァルトやF.クープランのような、洗練され、複雑で軽やかさの中に深みを表現するような趣味を持っていたと思われる。そして、ショパンの作曲語法の近親性はドビュッシーよりもスクリャービンの方があるにも関わらず、その趣味の部分を引き継いだのはドビュッシーであって、スクリャービンではないと思われる。これが音楽の面白いところで、作曲語法に類似性がある2人の作曲家が目指した情緒表現が全く逆になることもある。情緒表現を追求するのが演奏家なのであるからこそ、我々演奏家には、彼らが情緒表現をするために極限までこだわって用いた言語=作曲語法に通暁することが求められるのである。

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