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やっぱり山が好き!掲示板
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山の話 4
らむちぃ
5月24日(土) 09:36
sudoさん、こんにちは。
私の文章を早速読んでいただいたそうで、ありがとうございました。
sudoさんの文章をパソコンで調べたのですが、図書館に
それにしても、「岳人編集部」からメールが届いて執筆したというのは、すごい!ですね。服部氏の本は読んだ事があります。サバイバル登山で有名な方ですね。
もしも、古雑誌が読める環境にあるならば、「岳人」2012年7月号と2013年5月号を開いてみてください。ここにも、私の文章が掲載されていますから…。
らむちぃ
5月24日(土) 09:39
図書館に…の続きです。
もなく、古書店でも見当たりませんでした。sudoさんは、どこで私の文章を目にされたのでしょうか?
山の話 3
らむちぃ
5月23日(金) 09:04
sudoさん、こんにちは。
聖岳のレポートを拝見しました。車でもアプローチが長くて、大変でしたね。
それにしても、よく年末の聖岳に単独で入山しようと計画しましたね。sudoさんのように、アルプスに冬季に入る人は、それなりの技術と覚悟を持って入山する人達ばかりなのでしょう。
年配の人に会えたのも良い経験でしょう。行動の仕方や行動中の動作など学べるところが多々あったと思います。 帰路の車中での会話も参考になったことでしょう。
登山届が遭難騒ぎまで発展して、大変でしたね。でも、騒ぎだけで済んでよかったです。
西沢渡の籠の件は懐かしいです。私も乗って対岸に渡りました。 後で聖平小屋のスタッフに聞いたところ、【野猿】ヤエンと言うのだそうです。
岳人の記録は、いつか図書館に行った時に拝見するとします。私も「山と渓谷」2014年6月号に埼玉県と山梨県境にある和名倉山に行った時の記録が掲載されました。
便ヶ島の小屋は聖光小屋になったそうですが、私の時は休業していて、飯場の様なプレハブ棟が二つあるだけでした。光小屋など南アルプス南部の山小屋は、経営に苦労しているのでしょうね。
sudo
5月23日(金) 14:56
らむちぃさん、こんにちは。
聖岳のレポートを読んでいただきありがとうございました。
2014年の山と渓谷の記事も拝見しました。
和名倉山は2020年に市ノ沢から登りましたが、頂上までは行かずに、隣の尾根から降りてしまいました。この時も少し迷いました。
聖岳の記事が岳人に載ったのは、服部文祥さんからメールをいただき、原稿を書きました。題字のところにかっこいいキャッチコピーをつけていただきました。
続々・山の話
らむちぃ
5月22日(木) 07:04
sudoさん、おはようございます!
sudoさんは2017年に転付峠を越えたとありますが、私の古い山日記で確認したところ、それより10年前の1997年7月末の山行でした。もう、28年も前の事です。
この山行はJR飯田線平岡駅からバスに乗り、バスの乗り継ぎに失敗して歩きだしたのですが、30分程で軽トラックに拾ってもらい、本谷口バス停まで送ってもらいました。
ここから、森林軌道跡の林道を延々と歩き、午後3時頃にようやく易老渡までたどり着き、ここで駐車場に止まる車を見て「車が通れる道もあるんだ」と嘆いたものです。
さらに、便ヶ島小屋に向けて歩いていると、一台の車が近づいて私に「この先に何かあるの」と聞くので、「山小屋しかないですよ」というと「バーベキューができる所を探してる」と答えて戻って行きましたが、しばらくすると戻って来て「小屋まで載せていくよ」と言ってくれました。中に乗ると、初老のドライバーのほかに、その奥さんとお孫さんらしい小さな女の子が眠っていました。小屋に着いたと「お孫さんに」と言って行動食の残りのキャンディーを渡したら、児玉スイカを貰いました。
西沢渡から聖岳の登りもキツかったですが、アプローチの長いことが、今でもハッキリ覚えています。
sudo
5月22日(木) 12:23
らむちぃさん、こんにちは。
便ケ島にある小屋は、私が行った時は聖光小屋と呼ばれていました。
2009年のことです。聖岳と光岳からつけた名前ですね。
2009年12月に登りましたが、この時の登山記録は岳人2012年1月号に掲載されました。西澤渡にはケーブルで吊るされた重い籠がありましたね。私が下山した後に頂上で死んでいた人がいたそうです。私は仕事に出ていたのに留守宅に電話がかかってきたり、家内の勤務先や家内の実家にも電話がかかってきたそうです。私の勤務先に電話をかけてくれればすぐに連絡がついたのに、そうしてくれなかったので、遭難騒ぎになり大変でした。それからしばらくは、登山届けを出すのをやめていたことがあります。
続・山の話
らむちぃ
5月21日(水) 06:57
sudoさん、おはようございます。
前回の話で、私はてっきり小渋川を遡行されたのか?と思いましたが、支流に入られたとの事で、よく一人で支流に入られましたね。 本流でさえも遡行する人が少ないでしょうに…。
私も聖岳から下山した時、予備日が余っていたので、二軒小屋から転付峠を越えて、山梨県の新倉に降りたのですが、この時保利沢沿いに歩いていたら、途中から土砂崩れで道がなくなり、河原沿いを歩いたのですが、いよいよ渡渉が必要になり、登山靴のまま川に入ったのですが、ひざ下位の流れでもよろけそうで怖かったです。そして堰堤に出たのですが、このまま下れないので、堰堤にあった鉄のアングル階段を上り、急斜面を無理矢理登って登山道に出たことがありました。
新倉のバス停で身延行きを待つ間に、近くの雑貨屋でサンダルを買い、濡れた靴下などを脱いでサッパリしました。
それ以来、渡渉はコリゴリです。
sudo
5月21日(水) 20:22
らむちぃさん、こんにちは。
私は2017年に伝付峠を超えたことがありますが、以前からの道は崩れているところが多く、昔の地図とは違ったところに道がつけられていました。それでも、もう一般道ではなくバリエーションルートという感じでした。新倉に、サンダルを売っている雑貨屋があった、というのは驚きです。
旅から山の話です。
らむちぃ
5月20日(火) 10:46
sudoさん、こんにちは。
sudoさんが塩見岳に登ったと言うので、レポートを探していたら、赤石岳の記録にあたりました。
sudoさんは小渋川から登頂されたのですね。私もこのルートの研究をしましたが、川の渡渉が何度もあることと、アプローチが不便なので無理と判断しました。
前回書いた塩見岳から縦走で、荒川三山と赤石岳を歩いて椹島へと下りました。
大聖寺平で「ここから登ってくるのか?」と小渋川方面をしばらく見ていました。
ここには、大きなケルンがありましたが、覚えていらっしゃいますか?
それにしても南部の南アルプスは遠いですね。
山々が大きいし、深いとでもいうのでしょうか?
研究倒れをもう一つ。 光岳から寸又峡までの縦走もかんがえていたのですが・・・。
sudo
5月20日(火) 20:05
らむちぃさん、こんにちは。
私が小渋川の支流の福川から赤石岳へ登ったのは沢登りのつもりでした。東海フォレストのお世話になりたくなくて、椹島とは反対側のルートを取りました。2013年のことで、ケルンのことは覚えていません。
登山記録の地域別の表をみると2009年7月と2016年11月に塩見岳に登っています光岳には2022年に登りましたが、あそこも行程が長く、体力の低下した老体にはキツかったです。
旅の話 2
らむちぃ
5月19日(月) 07:05
sudoさん、おはようございます。昨日は蒸し暑く、今日は肌寒い日と寒暖差のある日々ですが、体調の方は、いかがでしょうか?
さて旅の話の続きですが、行きのバスは南アルプスが見える側に座ったのですが、伊那市あたりから白い山が見えだし、駒ケ根あたりよりは、前山の緑の奥に白銀の大きな山が見えだしました。
塩見岳の冬山登山を計画されたそうですが、私は夏に登りました。伊那大島駅から乗ったバスのドライバーが、「塩川に行くのは今年が最後で、来年からは鳥倉林道経由となる。」と言っていたのを覚えています。
三伏峠でテントを張り、翌日に塩見岳をピストンしたのですが、その遠い事、遠い事。 戻り道で三伏峠小屋が見えた本谷山で30分程休んだことを思い出しました。
帰りのバスは中央アルプス側の席で、千畳敷カールが真っ白に、そして木曾駒ケ岳が青空に白く輝いているのが、よく見えました。
sudo
5月19日(月) 19:34
らむちぃさん、こんにちは。
私は、塩見岳には7月と11月に登りましたが、12月は一度は林道の崩落のため行けず、もう一度は悪天候に負けて撤退しました。
確かに三伏峠からの道程が長かったように記憶しています。
旅の話
らむちぃ
5月18日(日) 07:27
sudoさん、おはようございます。
先週、所用で長野県は飯田市まで行ってきたので、その話をしましょう。 バスタ新宿から高速バスに乗ったのですが、高速道路に上がってからも乗降場所が10か所ぐらいあるので、4時間20分ほどかかりました。昔、塩見岳や聖岳に登るときは、JR飯田線でも長いこと乗車していたのを、思い出しました。
飯田駅は綺麗に改装されていましたが、駅前は人も車もなくて、商店街もパっとしませんね。
バイパスの方には、いろいろなお店があるようですが、もう電車の時代ではないようです。
時間があったので、「元善光寺」までお参りに行って来ました。長野市にある善光寺を小さくした本堂で、ちゃんと戒壇巡りもありました。
ここが最初に阿弥陀様をお祀りしたのかと思えば、千数百年の時の流れに感慨もひとしおでした。
これで、(善光寺両参り)になりました。
sudoさんは善光寺に行かれた事がありますか?
sudo
5月18日(日) 18:44
らむちぃさん、こんにちは。
私は、山登りを始めた頃は電車を使っていましたが、途中から、どこへ行くにも車で行くようになりました。
だいたい200から300キロくらいです。
2013年12月に塩見岳に登ろうとした時は、行ってみると林道が土砂崩れのため通行止めで、急遽戻って、土地勘のある甲斐駒ヶ岳黒戸尾根に変更しました。この時は1日で480キロ走りました。
家族旅行ももっぱら自家用車です。
善光寺は、近くの県立美術館には2回行きましたが、お寺の境内には入っていません。
ラジオの話です。
らむちぃ
5月 7日(水) 07:26
sudoさん、おはようございます。
ゴールデンウイークも終わり、また、忙しい日常が戻りましたが、毎日が休みの私にはあまり関係の無い日々でした。
sudoさんは、中高生の頃に深夜放送など聴いていましたか? 私は「オールナイトニッポン」や「パックインミュージック」などをよく聴いていました。 DJの話や投稿者の話を楽しんでいました。
FM放送が入るラジカセにしてから、FM東京の「ジェットストリーム」を聞いて、その城達也のナレーションや選曲が好きになり、毎夜のごとく聴いていました。 スポンサーが日本航空で海外にも憧れていましたので…。
sudoさんは海外に行かれた事がありますか?
また、今でもラジオを聴くことありますか?
sudo
5月 7日(水) 16:23
らむちぃさん、こんにちは。
中高生の頃はラジオはそれなりに聴いていたと思いますが、深夜放送はあまり聴いていなかったと思います。ジェットストリームは聞いたことがあります。
ユーミンがデビューしたのは私が高2くらいの時でしたが、ラジオを熱心に聴いている友人から、凄いのが出てきたと、教えられました。
海外はハワイに行った事があるだけです。日本国内は自転車で大分走りました。
横浜
らむちぃ
4月30日(水) 07:39
sudoさん、おはようございます。
そうでしたか?sudoさんは横浜の生まれ育ちでしたか。sudoさんの時代には、山下公園の氷川丸と中華街くらいしかなかったでしょう。今やベイブリッジや赤レンガ倉庫、横浜美術館など名所が豊富にありますね。
横浜といえば、やはり「ブルーライト・ヨコハマ」でしょう。 中学生の頃によく聞きませんでしたか?
映画の舞台にも、よく取り上げられていました。 私は大学生の頃に名画座で見た、黒澤明の「天国と地獄」で、犯人の山崎努がドヤ街から見上げる丘の上の豪邸のシーンを覚えています。
今でもsudoさんは、たまに横浜へは行くのでしょうか?
sudo
4月30日(水) 16:54
らむちぃさん、こんにちは。
私は中学高校が横浜でした。体育の教官が、教官室でブルーライト横浜を口ずさんでいたのを覚えています。
高校の同窓会で、たまに中華街へ行きます。中華街の混雑ぶりにはびっくりです。
昭和
らむちぃ
4月29日(火) 12:01
sudoさん、こんにちは。
今日は『昭和の日』だそうで、お互いに昭和生まれとしては、少しは感慨もあると思いますが、いかがでしょうか?
昭和から37年、令和からは7年目と40年以上過ぎ去って仕舞いました。
私なぞは東京の下町の横丁育ちですから、畳の上でちゃぶ台でご飯を食べて、和式便座にしゃがみ、銭湯に入っていました。 近所の人が、作りすぎた煮物などを「おすそ分け」と言って、よく持って来たものでした。祖母がそのたびにお茶を出していましたよ。
銭湯では、深くて熱い湯船に水をジャンジャン埋めていると、入れ墨をしたおじさんから怒られたものでした。夏場は脱衣所にあった冷蔵庫からフルーツ牛乳を出して飲み、冬は外に出ていたオデンの屋台で一つつまんで食べながら、帰宅したものです。
時代が違うことはわかっていますが、一向に頭も体も付いていけませんね。歳をとると、昔のことが懐かしく思い出されます。そう言えば、父や母、祖父母などもそんな風に言っていましたっけ。
sudoさんは子供時代など思い出しませんか?
sudo
4月29日(火) 18:38
らむちぃさん、こんにちは。
私は横浜生まれで、高校までは横浜で育っています。
昔は貧しかったという記憶がありますが、銭湯に行くようになったのは大学に入ってからです。
天皇誕生日といえば、高校時代に自転車で逗子まで行って、Gパンのまま泳いだ記憶があります。当時もGW頃になれば暑いことがありました。今日は昭和天皇の誕生日なので日の丸を出しました。
レポ拝見しました・・・
山こじ
4月20日(日) 21:15
快晴に恵まれ、良い登山でしたね。計算通りのタイムと言い、良い意味で身の程を分かっていらっしゃるのに感心しました。素晴らしい景色を有難うございます。
sudo
4月21日(月) 08:24
山こじさん、こんにちは。
小さい山の登山レポートですが、見ていただいてありがとうございます。
日常の運動といえば散歩だけで、冬の寒さをきっかけとして自転車にはめっきり乗らなくなってしまいました。
自転車競技連盟の会長だった自民党の谷垣さんが、自転車で転倒して脊髄損傷となったのは71歳の時でした。自転車はまだ辞めたくありませんが安全第一で行きたいと思います。
山の話です。
らむちぃ
4月20日(日) 07:51
sudoさん、おはようございます。
レポートを拝見しました。「男山」とは日本酒の銘柄の様な山名ですね。雪が全くないとの事で少し残念でした。 なぜ「男山」にしたのでしょうか?
雪は来月に取っておくつもりですか?
思い出しましたが、私も「男山」に登りました。高校山岳部の時ですので、50年もまえの話ですが、馬越峠から天狗山を経て男山を縦走しました。もう、すべて記憶の中だけで細部は忘れましたが、展望がよかったことは覚えています。
ちょっとした手掛かりがあれば、記憶が蘇ります。懐かしい山名をありがとうございました。
sudo
4月20日(日) 09:47
らむちぃさん、こんにちは。
私は写生のために八ヶ岳の見える所へ何度も行っていますが、
野辺山あたりで、八ヶ岳が雲に隠れている時に、反対側を見ると形の良い山があることに気づきました。
調べてみると男山と言い、登っている人も少なくないようでした。
須玉から清里方面へ車を走らせていると、”男山”という名前の日本酒の看板がありました。
登山口からの標高差は700mくらいですが、今の私にはちょうど良い行程でした。
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