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1897: 芸北地区の石州街道沿いの町並 孫右衛門 7月 6日(土) 21:59
先日現場出張の帰りに県北西部の大朝・千代田あたりの旧街道沿いをざっと流して見て、掲載している町並が不十分なことに気が付きました。
そこで駆け足ながら北から順に再取材してきました。大朝・新庄・蔵迫・八重・壬生・本地の各町並です。
特徴的なのが山陰系の赤瓦が優勢なことで、八重〜本地は分布域の最南端です。更に一部は広島市内に入り鈴張という地区でも見られます。
壬生の町並です。八重地区とともに今更ながら初めてカメラを持って歩きました。
地元的には初夏の「花田植」で知られるところです。

孫右衛門 7月 6日(土) 22:02
本地の町並です。界隈では一番良い町並ですし、もう15年くらいはまともに歩いていないのにほとんど変化無く保たれているのは貴重なことと思いました。

万訪 7月 7日(日) 06:13
赤瓦の町並みいいですね。広島県内に孫さんも初めて歩く町並みが残っているというのに驚きです。中国地方の奥深さを感じました。東京でも今更「ここにこんな古い家が残ってるんだ」て見つけることが時々あります。そういう時以前であれば「なんで歩いてなかったんだろう」と自分を責めてましたが、今では「出会えてありがとう」と思えるようになりました。こうして「発見」した時の新鮮な気持ちが味わえることが嬉しいですね。ひさびさに、島でもない山でもない町並み歩こうかな。

Kさん 7月 7日(日) 07:05
地元でも見落としというのがあるのですね。

私も一昨日、雨は降らないし、そう暑くもないので、自宅から自転車で「寝屋川市寝屋」という所へ行きました。気になっていましたが、初めて足を踏み入れました。北河内の農村系の集落ですが、レベルは結構高くて驚きました。

孫右衛門 7月 7日(日) 19:57
これは八重地区です。確かに歩いて撮影したのは初めてでしたが、以前通って探訪するに値しないと見送った所です。そういう意味では他にもあるかもしれません。見る眼も着目点も変っていますので。
寝屋川市の寝屋という地区は市名の由来地区のように思えましたが地図を見ると随分町外れのようですね。しかしそれでもこのような豪農系集落があるのですか。Kさん地元の街区でも驚いたように、まずは豪農が集まって発達した地域のようですね。
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