[戻る]
2049: 奈良県桜井市周辺の初瀬街道 辰巳屋 6月22日(木) 09:30
一昨日、帰宅しました。皆様その後如何お過ごしでしょうか。

三重県、奈良県、大阪府、和歌山県を跨ぐ旅行でした。長い旅行でしたが、成果も多いように思いました。
まとまった場所を報告します。

地図で見ると桜井市の国道165号の北の山裾を、西から順に、三輪、金屋、慈恩寺、脇本、出雲、初瀬と続く道があります。これは上街道方面からの初瀬街道の旧道ではないかと想像し行ってみました。
画像は、金屋です。慈恩寺、脇本、黒崎は、農村集落的な風景ですが、街道集落にも見えます。
金屋は、古代の海柘瑠市(つばいち)があった所で、奈良・三輪から飛鳥・初瀬への道、竹内街道からの道、大坂難波からの舟の便もあり、大いに賑わったところでした。伊勢詣が盛んになる頃には宿場町となっていたようです。

辰巳屋 6月22日(木) 09:31
画像は、出雲です。出雲は、つし二階、漆喰、格子戸、平入の家が多く、街道集落の景観が保たれていました。

辰巳屋 6月22日(木) 09:33
国道165号と大和川の間にも地図でみると街並みがあるように思えます。桜井市中心部に近い街並みは、住所は慈恩寺となっていますが、郵便局は朝倉郵便局になっており、その他の施設も「朝倉」の名称が使用されています。この街並みの名称は「朝倉」と呼ばれているようです。
朝倉の東には少し離れて黒崎があり、ここも街道の街並みが形成されています。やがて街道集落のある出雲に続きます。黒崎付近で合流しているように思えました。

画像は、朝倉です。つし二階、漆喰、格子戸、平入の家が多く見受けられます。道路幅が狭いため、自動車での訪問は難しいようです。

辰巳屋 6月22日(木) 09:34
画像は、黒崎です。街道集落の景観が保たれていました。道路幅が狭いため、自動車での訪問は難しいようです。

孫右衛門 6月24日(土) 10:35
わたしは前日に長谷寺門前に泊っていたのですが、その辺りを訪ねられていたのですか。
奈良県には、町並としてまとまっていなくても数多くの伝統的建物の残る集落があるものと思います。もうすこし近場にあれば、定期的にそのような旧街道や農村を辿ってみたいところですが・・。
来月の連休を利用して、富山県を中心とした探訪を計画しています。連休ですので旅館や往復の交通、レンタカーもすべて手配しました。

辰巳屋 6月25日(日) 08:31
今回紹介した場所は、街道集落と呼んでいますが、小さな宿場町より街並み度は濃厚だと思います。

桜井市の街並みは、本町が中心で、現在は「本町通商店街」となっています。西に延びると西本町があり、一旦途切れるものの街並みは続いています。さらに地図の住所では「谷」・「戒重」地区、小西橋から戒重南交差点までを歩きましたが、街並みは続いています。この道は、古代の横大路で伊勢街道と呼ばれています。

画像は、戒重地区です。

辰巳屋 6月25日(日) 08:34
戒重地区は、江戸時代、元和4年(1618)に織田家1万石の城下町(陣屋町)となり、戒重藩と呼ばれ、横大路沿いに商工業者が並び新町ができたそうです。

やがて延享2年(1745)に藩庁を桜井市芝に移転することになります。芝は上街道が通っており、ここにも小さな街並みが形成されました。

画像は、芝です。

富山の訪問を楽しみにしています。私は富山には未訪問地区が多いので、報告を楽しみに待っています。
ec2-18-181-84-221.ap-northeast-1.compute.amazonaws.com
Name:
Email:
Homepage:
Message:
Icon: view
Photo: 7MB
Color:
Password:
 cookie