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2087: 徳島県の山間部の街並み 辰巳屋 12月14日(土) 06:35
那賀町の平谷の「さくらぎ旅館」です。現役の旅館です。
平谷は国道195号と193号が分岐する所ですが、平谷への入口を見逃すところでした。那賀川がダムにより大きく湾曲する地形の平坦部に平谷の街並みがあります。

辰巳屋 12月14日(土) 06:37
那賀町の上流、那賀川の上流には、木頭出原があります。

那賀川沿いは土佐中街道になり、宿場の役割を果たした集落も多いように思いました。
真ん中の建物は入口のガラス戸に「旅館」の表示がありましたが、現在は営業していないようです。

辰巳屋 12月14日(土) 06:39
上勝町落合です。
上勝町の中心集落です。林業で栄えた時にはずいぶんと繁盛したようです。川が合流する地点で、通称「落合」と呼ばれているようです。字は、字生実と字福原の境に当たります。バス停は「落合」となっています。

辰巳屋 12月14日(土) 06:40
上勝町旭
画像は、山西旅館です。営業しているようです。
町の説明(町HP)によると、創業明治30年から4代続く老舗旅館。
千年の森ふれあい館の向かいにあり、町民の集いの場として利用されている地元に愛される旅館です。

辰巳屋 12月14日(土) 06:41
画像は、この旅館付近の街並みです。昔、相当栄えた集落であったと思います。

辰巳屋 12月14日(土) 06:44
神山町の街並み
地方創生の優等生と言われる神山町にも、規模は小さいものの味わい深い街並みがあります。

画像は、上角(うえのつ)と読むようです。
道の駅「温泉の里神山」の山側に規模は小さいですが端正な街並みとして存在しています。


辰巳屋 12月14日(土) 06:47
上分川又にも街並みがありました。
国道438号と国道193号が交わる場所です。北谷、南谷など川が集まる場所で川又という地名になったと思われます。

川又商店街があり、その中に大塚旅館がありました。現在、大塚旅館は営業していないようですが、そう遠くない昔まで営業していたようです。

神山町には、このほか寄井、鬼籠野、安吉に街並みがあります。

孫右衛門 12月14日(土) 22:31
ミニオフ会の時に少しうかがっていた徳島南部の山間部の情報ですね。
今は交通不便の僻遠の地というイメージが拭えませんが、林業隆盛期はとても賑やかで発展していた地域だったというのがわかります。
さくらぎ旅館はSNSで時折宿泊情報が流れてきます。この旅館か投稿されている山西旅館に泊って、可能な範囲で巡ってみたいところです。

辰巳屋 12月16日(月) 17:01
徳島県の山間部といっても、今回訪れた地方の呼び名がよくわかりません。
徳島県は、全域を東部地域、西部地域、南部地域に区分して呼んでいるようです。
那賀町は南部地域、神山町・上勝町は東部地域になっています。
鮎喰川、勝浦川・旭川、那賀川は東西に流れ、峻険な地形の為、南北の行き来は中・上流では難しく、下流域でやっと南北の行き来ができるようになっています。
私も四国88カ所霊場でこの地域を訪れた時、焼山寺(第12番)、鶴林寺(第20番)、太龍寺(第21番)を巡る時に、良い街並みがありそうだと思っていましたので、今回念願が叶ったものでした。

一つ那賀町で気づいたことがありました。
木頭出原から木頭北川に行く間に、コンビニがありました。
画像は、「未来コンビニ」です。事前知識がありませんでしたので、何これ!
未来だから、すべて自動決済なの、何が違うの、などと疑問だらけ。
駐車場の車をみると、県外ナンバーがちらほら、四国の他県ナンバー、写真を撮っている人、ちょっと普通のコンビニと違うのかと思い私も写真をとりました。
どんなコンビニかは、調べてみてください。木頭地区の起爆剤になることを願っています。
ホームページやユーチューブもあるようです。

七ちょめ 12月18日(水) 10:33
未来コンビニ 名前は??
田舎の何でも屋の商店??
ネーミングの珍しさで町おこしの起爆剤に チョット無理でしょうね。

冒頭画像の「さくらぎ旅館」何か寂しそうな外観の旅館ですね。

2〜3日程前から2台使っているパソコンの内、動画を扱わない一般用のパソコンが起動したり、起動しなかったりと不調になりました。
シャットアウトするとなかなか起動しなかっても、一旦起動するとシャットダウンしない限り快調に作動する。

もう4年程使っているので買い替えを考えているが、今の使用状況とあと何年出来るかを考えると、新品に20万円の物を買うのに抵抗がある。

殆ど画像など撮影しないのでね。ネット・アマゾンでの購入・いろいろな調べもの・メールなどのオフイスできればそれでよし。となると再生品の3万円のもので、壊れたたまた買うを繰り返すのが良いか、中間的なそこそこ機能がある10万円以上する品物にするか、思い切って新品に20万円程かけるか、思案 思案。

一番問題は年齢を考えてこの状態が後何年続けられるか2年か5年かそれとも半年か。

万訪 12月18日(水) 19:38
徳島の山岳エリアに行かれたのですね。徳島県は、県が主体的にCATVを使ったネット環境整備を行い、10年前からサテライトオフィスの企業誘致が盛んに行われていますね。神山町が最も有名ですが、上勝はじめ、海岸沿いの美波町なども町おこし先進地域になっています。移住者も増えている。未来コンビニもその現れで、以前テレビで紹介されていました。

七ちょめ 12月18日(水) 20:13
未来コンビニの名も意味あってのことなんですね。
企業誘致の一方法としてですか。なるほど。一番の目的は移住者が増えて町が活性化することですね。
M014010098160.v4.enabler.ne.jp
2086: 三好市辻町の「勇楼」 辰巳屋 12月10日(火) 16:48
私は、辻町には、2010年に訪問したのですが、古い街並みがよく残っている街だという程度に思っていました。現在、街並みを歩くと国登録文化財の表示が目立ちます。
調べたら、三舩家住宅、立川家住宅、旧熊谷家住宅、島尾家住宅、山下家住宅、曽我部家住宅、それぞれに応じて主屋、離れ、倉庫、門などが指定されています。それと旧四国銀行辻支店、今宮神社の拝殿・本殿など、が国登録文化財となっています。(すべては網羅していないかも知れません)

「勇楼」は、そのような古い街並みの中心地にある創業120年の旅館です。
旅館の内部の案内は、女将さんにしていただきました。普通の古い旅館かなと思っていましたが、話を聞くたびに味のある、川港で栄えた辻町、谷口集落としての山地の煙草栽培の集積所としての辻町など、地域の歴史を背負った旅館を感じました。
その途中に、七ちょめさんの話が出て、その後、古い旅館が趣味の人や、女性で勇楼の食事を食べてみたいという人がちょくちょく来るようになり。本当に七ちょめさんには感謝してお礼が言いたいとのことでした。

七ちょめさんの後、太泉さん、孫右衛門さんも泊まれました。とはっきりと覚えておられました。

今まで、辻町の街並みを過小評価していたのかも知れません。そして「勇楼」も評価していなかったのかも知れない。どうして、いらか組のオフ会の候補にならなかったのだろうか。
いらかぐみが注目すべき旅館であり、広く世に発表すべき街並みのように思えてきました。
(辰巳屋の独り言)

辰巳屋 12月10日(火) 17:01
旧熊谷家住宅です。

勇楼を出たところ、一番近い所。辻町中心部の伊予街道に面する乾物商の町家です。歴史的街並みの往時の賑わいを伝えています。

辰巳屋 12月10日(火) 17:03
山下家住宅別邸です。

前の熊谷家とともに国登録文化財です。

屋根の両端に袖うだつを設け、特徴的です。辻の町並中心部の歴史的景観の核となる町家である。

七ちょめ 12月10日(火) 18:55
辻の勇楼に泊まられたのですね。
勇楼の女将は私のことを忘れずによく覚えたて居られること。
多くの宿泊客のことをいちいち覚えられず筈も無いのにね。

泊まった旅館から毎年年賀状を頂くことは結構あるのですが、貴方のおかげで宿泊する客が多々あるとの書いてくる旅館は勇楼の他に、埼玉県の町田屋旅館、三重県のお宿伊勢慶など、複数の旅館が感謝の言葉を言ってきます。
どの旅館もネットの力は強いですねと感心して居られます。

七ちょめ 12月10日(火) 19:12
ネットの力では良いことだけじゃないです。
徳島県のある古い旅館に泊まろうと調べていると、誰も居ない筈の隣の部屋から夜中に物音がする。でも隣には部屋が無い筈。気持ち悪くて寝られなかったとの書き込みが。
泊まるのを辞めました。

私も一度、夜早くですが、隣か天井からか変な音がすると、部屋を変えて貰った経験がありますね。東北地方の案外有名な老舗旅館です。

古い旅館きに泊まると、大きな古い建物に宿泊客は自分一人、旅館の女将などは遠く離れた別棟の新しい家にというパターンは多いですので。気持ち悪いこともありましたね。

孫右衛門 12月10日(火) 22:06
辰巳屋さんが勇楼さんに泊られたと現地で聞いて少し意外に感じましたが、この旅館はそのものが辻の町の歴史でもあるので泊る価値はとても高いですね。SNSを見ていると、ネットを通じてかなりの客が泊りに行かれているようです。どうもその発端は七ちょめさんの宿泊記にあるようです。
古い旅館に泊って気味の悪い思いをしたことはありませんが、宿泊客が私だけのこともあり、そんな時は心細くはありますね。
目下の所、年末に山口県、年始に京都の旅館を予約しています。奇しくもいずれも少しの間過したことのある町です。そういう面でも楽しみではあります。
p5900134-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp
2085: 西日本地区のミニオフ会 孫右衛門 12月 2日(月) 19:28
11/30〜12/1で西日本地区の三名で、徳島県脇町「田岡旅館」でのミニオフ会を予定通り実施しました。
重伝建地区のメイン街路の北一筋の静かな所に、もと商家で大正時代に旅館に転業されたという格式ある佇まいを見せていました。門をくぐると左に見える主屋は、消防法の関係で客室として使っていないとのことで、奥にある建て直した新しい棟へ案内されました。こちらも二間続きの非常に落ち着く部屋だったのですが、この点が唯一期待通りではなかったといえばそうでしょうか。しかし、女将さん、若女将さんの親身ある対応、そして質量的に格別すぎる料理(特にご年配のお二人にとってはやや量が多すぎでしたが)がそれを上回りました。

孫右衛門 12月 2日(月) 19:35
左が築140年ほどの主屋、奥に見えるのが泊った部屋のある棟です。

孫右衛門 12月 2日(月) 19:37
敷地内に商家時代から残る土蔵が食事処として利用されており、そこでいただきました。夕食はこの後鯛の塩焼き、さらにもう2・3品追加されました。
朝食もかなりの品数がありました。

万訪 12月 4日(水) 21:41
先週末の西日本オフ会、宿といいお料理といいいい企画でしたね。四国の脇町というのも年次オフ会の候補にいつも上がっていましたね。岡山と広島は近いですが、辰巳屋さんはどうやってこられたのでしょうか。
東日本組も今週末オフ会です。青梅澤乃井酒造のガーデンで🪴

孫右衛門 12月 5日(木) 22:34
辰巳屋さんはご実家のメンテナンスも兼ねて先月末から出発され、明日くらいに宮崎に戻られるとのことでした。
帰りに新居浜市の大島を訪ねました。小さな島なのに、立派な屋敷が多く万訪さんの情報で頭に入ってはいましたが驚きました。

辰巳屋 12月 7日(土) 07:43
遅くなりました。
実家の整理、先祖の墓詣りなど、をこなし、一昨夕帰宅しました。
西日本オフ会では孫右衛門さん、Yasukoさんには、大変お世話になりました。九州での開催が希望だったのではと思いますが、私のわがままな意見を聞いていただき脇町での開催になりました。
宿泊する場所が新しいので少し驚きました。主屋を見学できなかったのは少し残念。私設資料館のようなものでもあると、理解しやすかったかもしれません。

貞光の二層うだつは、素晴らしい。私は、四国88カ所詣りの途中に寄っただけで、再度、見学すると二層うだつが、あまり手を加えられずに残っている街並みは、良いですね。
最後の「半田そうめん」も良かった。

私は、今回、徳島県を中心に訪問しましたので、成果も相当あったように思います。主な項目は次のとおりです。
@ 辻町の「勇楼」A藍で栄えた豪農豪商屋敷、B林業で栄えた山間部の街並み(上勝町・神山町)、C椿泊、D伊予街道・撫養街道の街並みE土佐中街道の街並み(那賀町)

まとまり次第、合間を縫って掲示板に掲載したいと思っています。

孫右衛門 12月 8日(日) 11:16
辰巳屋さんお疲れさまでした。
脇町はサイトの更新は10年以上前のものから行っていませんが、2017年のちょうど同じ時期に訪ねていますね。その時撮影した田岡旅館の通りです。
その時は、小松島や阿波橘などを訪ね、徳島市郊外の「大正楼」という旅館に泊っています。内陸部も神山町、鷲敷まではその時訪ねていますが、その奥は訪ねられていませんので、次回徳島を訪ねるならばその方面を探訪し、「さくらぎ館」に泊るという行程が考えられます。
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2084: 湯治はいいもんだU 辰巳屋 11月18日(月) 18:39
湯治は、霧島の麓の妙見温泉でも行いました。素泊まり自炊可の宿でしたが、温泉の湧出量が多く、泉質もとても良いと思いました。鉄分を含んでいるとか。
ここでも、昼間は運動を兼ねて麓を訪問しました。

画像は、福山麓の地頭仮屋跡で、旧福山小学校です。錦江湾の海岸段丘をうまく利用した麓集落です。地頭仮屋跡の前を南北に幅四メートルの道路(馬場)が延びています。江戸期には、この馬場で武士たちが武芸を鍛錬したそうです。馬場は、「上人馬場」と呼ばれていたと郷土誌に書かれていました。

辰巳屋 11月18日(月) 18:40
画像は、その「上人馬場」です。周囲の石垣は、石と石の間が細かい、ここもまた石の文化を感じました。海岸段丘の中段に位置します。

辰巳屋 11月18日(月) 18:44
画像は、蒲生麓です。「西馬場」に武家屋敷の面影が色濃く残っています。ほとんどそのまま残っているようですが、道路(馬場)がタイル舗装されています。
地頭仮屋のある「八幡馬場」や「下馬場」は、県道になっているため交通量は多いですが、武家門や石柱門のある屋敷も多く、武家屋敷の面影を感じることができます。

これぐらいの規模になると、重伝建地区になっても良さそうな街並みと思います。


辰巳屋 11月18日(月) 18:49
福山麓は、霧島市です。「福山酢」が特産です。目の前に桜島がそびえていました。

蒲生麓は、姶良市で、「かもう」と読みます。

タイトルは、ほかのタイトルにすべきでしたが、入力を忘れたら同じタイトルになってしまいました。


七ちょめ 11月19日(火) 09:31
石垣が多用された麓集落、いい光景ですね。
中でも蒲生麓は重伝建になっても不思議じゃないと私も思います。
「かもう」と呼ぶのは知りませんでした。「がもう」が普通でしょうね。
妙見温泉には私も旅籠宿に泊まると題した企画で泊まりました。
「おりはし旅館」という旅館で、本館の大きな部屋に一人で泊まり、25,000円程だったと思います。そのときは高額だなあと思いました。(今は家内と一緒に泊まることが多く、その程度は普通の考えになってしまいました)
辰巳屋がタイトルが同じになったと言われていたので、タイトルにUと追加しておきました。

辰巳屋 11月19日(火) 19:16
タイトルに「U」を付けていただきありがとうございます。
「おりはし旅館」につきましては、妙見温泉を散歩していた途中で気づきました。もしかして七ちょめさんの旅籠宿に鹿児島県で唯一の旅籠宿として掲載しているのではと・・・。

妙見温泉の湯はいいですね。
妙見温泉を流れる天降川流域には、様々な温泉があります。高級温泉もあれば、庶民的な温泉もあります。日帰り温泉もかなり多いように思います。温泉を楽しむには、好都合な場所と思います。
鹿児島県を訪問する場合は、大隅地方は妙見温泉、薩摩地方は仙台高城温泉にしようかと思うくらいです。

画像は、高隈麓(鹿屋市)です。門に蔦を絡ませ綺麗に仕上げています。珍しい例と思います。
鹿児島県の麓の街並みは、以前、2008年前後に60カ所程度は訪問していますが、景観というか画像を中心とするものでした。現在は、図書館を訪れ、地元の歴史を知りながら訪問しているため、訪問箇所数があまり進みません。図書館で調べると、あれも忘れている、もうちょっと良く撮っておくんだったとか、反省点も多いです。おかげで、2度目の訪問も考えています。温泉には、まだまだ当分行けそうです。


万訪 12月 1日(日) 13:37
近県の湯治の旅が続いていますね。近くにいい町並みが多く羨ましい。やはり九州はいいところが多いですね。
オフ会で提案したLINEグループですが、その後この掲示板で皆さんの了解が得られたと思いますが、言い出しっぺの私がグループ申請をしていませんでした。先ほどLINE検索でわかった方だけ申請をいたしました。辰巳屋さんはLINEをやられていますでしょうか?

七ちょめ 12月 1日(日) 16:25
LINEに私も入れて頂きありがとうございます。判らないままごく少人数の方々と通信をしています。掲示板に代わり皆様の活動・行動を発信されるよう願っています。
皆様の活動を眺めて楽しんでいます。
よろしくお願いいたします。
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2083: 湯治はいいもんだ 辰巳屋 11月13日(水) 09:56

昔ながらの湯治スタイルを楽しめるということで、出かけました。
もちろん腰痛を治すためです。
素泊まりで、自炊も可能です。
此所は、川内高城温泉でノスタルジアな別天地でした。
いらか組メンバーでは、孫右衛門さんが既に訪問されています。

辰巳屋 11月13日(水) 09:57
画像は、途中に寄った山野麓です。伊佐市山野町、上之馬場という所で武家屋敷の景観を保っています。屋敷割は道路(馬場)に沿って長く続いているため、元々は、もっと長い距離で屋敷が続いていたものと思われます。

辰巳屋 11月13日(水) 09:58
画像は、高江麓です。薩摩川内市にあり、川内川の南岸に位置します。
麓の中心部に、「内場馬場」という中心街があり、現在も武家屋敷の続く景観を良く保っている。

七ちょめ 11月13日(水) 10:50
辰巳屋さんの腰痛は困ったものですね。
痛いのを騙し騙し生活する術を考え出してと思います。
私は腰が痛くなった経験はありませんが、右膝が痛くなった経験は度々あります。
最初は50歳位の時、1番酷かったのは65歳位のときで、階段の手すりを頼りに一段づつ両足を揃えながら登った経験があります。
その後も度々膝の痛いのが再発しました。一番最近では3年程前に急激になり、家内に支えて貰って整形外科医院に行って、ヒアルロン酸の注射を注入してもらいました。これは1週間ほどで治りましたが、それまでのものは大体半年は続いていました。

鹿児島県には麓集落が100ケ所以上あるのですね。殆どが今に残っているのは凄い事だとおもいます。

辰巳屋さん投稿の最初の写真の場所、見覚えがあります。古い旅館に泊まる資料で写真の右側の旅館を確か資料に残していたと思います。資料を探します。

七ちょめ 11月13日(水) 11:05
辰巳屋さんの川内高城温泉の一番最初の写真、集めていた資料を探すと双葉屋とありました。
資料を集めただけで、宿泊は出来ませんでした。

辰巳屋 11月14日(木) 22:39
川内高城温泉のお湯は抜群に良い湯でしたね。ちょうど最適な温度に調整されていました。朝は5時、8時に入り、夜は5時頃入りました。私のような湯治よりも、ビジネスで泊まっている人が多いように思いました。
宿は、双葉屋(正面の小さな白い看板)、梅屋(右側)など5〜6軒でやっているように思いました。

私の腰痛は、仕事柄30年くらい前の30歳代後半から40歳代に座った姿勢による腰痛で、いつも針と整体で治していました。その後腰痛はなかったのですが、今回は、全くのギックリ腰によるものです。3月に発症し、7月頃再度発症し、9月に再度発症しました。その都度、だんだん早く治る腰痛になりました。

鹿児島の麓集落は、113カ所あるようで、時代により箇所数には変動があるようです。麓は、それぞれに役割があるようで、山野麓は、薩摩街道の抑えとして、高江麓は、川内川の河口の湊の押さえとして、役割があるようです。驚くことには、その麓の景観が現代まで保たれていることです。

景観としては、単調といえば単調ですが、武家門の違いや塀や石垣・生垣なども特徴があるようです。
画像は、山崎麓(さつま町)の地頭仮屋跡の門です。よく残っていたものです。

辰巳屋 11月14日(木) 22:42
画像は、同じく山崎麓の武家屋敷です。立派な武家門とそれに続く石垣は壮大な規模です。

これからも、暇を見つけては訪問しようと思っています。

孫右衛門 11月14日(木) 23:27
湯治に行かれたとのことをお聞きしていましたが川内高城温泉に向われていたのですね。
私がここを訪ねたのは4年前の年明け早々で、その時は1枚目の画像右にある梅屋旅館という宿に泊りました。当時も日帰り客中心の旅館でしたが、その後女将さんの体調の理由で宿泊の受付は止められているという情報を聞いています。

その時の探訪は鹿児島県内だけで3泊するという割とゆっくりしたもので、麓集落もその時に各地で訪ね歩きましたが、掲載された山野麓は訪ねていません。しかも良い集落風景が残っているようで、また鹿児島の温泉旅館と麓集落を狙った探訪を計画しないといけないようです。

辰巳屋 11月15日(金) 06:24
孫右衛門さんは、梅屋旅館に泊られたんですね、雰囲気のよさそうな湯治旅館ですね。ネットでみると宿泊はやっていないようですね。
私は、竹屋旅館本館(自炊)に泊まりました。内湯と外湯が利用できました。タイル張りの浴槽は懐かしさを感じました。

川内高城温泉に泊まりながら、いちき串木野市にも行きました。
画像は、串木野麓の地頭仮屋跡の巨大な石垣です。このように大きな地頭仮屋の石垣は見たことがありません。


万訪 11月15日(金) 10:41
冒頭の写真はいいですね。川内高城温泉は知りませんでした。せっかちな私は温泉でゆっくりという旅は中々できないですが、スイッチ切り替えて行くのもいいなぁと思いました。麓集落はいずれも石垣がよく残っていますね。そして入母屋瓦屋根白漆喰の民家がよく残っている集落もあります。鹿児島はひたすら離島離島で訪れてきましたので、内陸部を巡るのもいいなぁ。
199.85.125.123
2082: 佐原 万訪 11月 3日(日) 11:12
大変ご無沙汰をしております。オフ会以降、大学の授業の準備(教材制作)やら会社仕事やらが重なり、掲示板に書き込む余裕がありませんでした。申し訳ないです。でもようやく落ち着いてきました。教材が整えば、次年度からは楽なようです。
そんなこんなで、週末は教材制作の日々ですが、家でやっていると煮詰まるので、関東圏をクルマで移動しながら作業しています。今日は久々に佐原にきています。連休のため午前中から観光客が多いですが、やはりいい町並みですね。改めて感心させられると共に、町並み初心者のような気持ちで写真撮ってます。東日本大震災の復興はほぼ終わっています。

万訪 11月 3日(日) 11:27
与倉屋大土蔵。迫力ありますね。

万訪 11月 3日(日) 11:39
伊能忠敬記念館にも行きました。55歳で蝦夷地測量に抜擢されて東日本を実測。その実績が認められて幕臣となり、幕府の事業として西日本を測量、76歳で伊能図完成。有名な話ではありますが、セカンドライフで大事業を成し遂げたことに改めて感動すると共に、勇気をもらいました!すごいなぁ👍


七ちょめ 11月 3日(日) 19:19
万訪さんの書き込み、半年以上 久しぶりです。
忙しそうですね。現役の終盤期に入った所ですね。若い時と違った目線で見られる人生です。頑張って下さい。
私は近々に夫婦でヨボヨボと有馬温泉に行く予定です。チョットは古い町並が残っていますので、静止画と動画の両方を撮ろうと欲をだしても、家内が嫌な顔をしますのでどこまでできるかは疑問です。 ヨボヨボと行ってきます。

万訪 11月 4日(月) 10:10
半年ぶりの書き込みはいかんですね🦑反省反省です。七ちょめさんもお元気そうでなによりです。夫婦で有馬温泉をのんびり訪れる、いいですね!町並み撮影に邁進されていない時の七ちょめさんってどんな感じなのかなぁ(想像できない)。伊能忠敬記念館に行った話をしましたが、七ちょめさんも伊能忠敬に迫る勢いでご定年後に町並みを歩かれてますね。私も頑張らなきゃと改めて思っています。ちなみに私の誕生日は忠敬氏と一緒でした。
(伊能図が完成した時に76歳だったと書き込みましたが間違いでした。73歳で亡くなっています。しかし、毎年測量の旅に出かけているのは驚きです。超人ですね。)
Boxの件もその後ほったらかしにしていてすいません。その後色々考えたことがありますので、別途書き込みをしたいと思います。

七ちょめ 11月 4日(月) 11:49
伊能忠敬の日本全国測量の件は知っていましたが、自分と年齢を比較することは思いもしませんでした。
私は定年退職するまでは盆栽栽培とゴルフに明け暮れていました。
盆栽は27歳で結婚直後から、ゴルフは40歳位からで、どちらも定年後15年程はやっていました。

定年後、町並探訪を始めたころは、町並探訪・ゴルフ・盆栽と地域の役職と付き合いで囲碁と多忙でしたが、充実した時を過ごせたと喜んでいます。

今は全て卒業し、古い町並写真を取りだして、YouTubeで遊んでいます。

辰巳屋 11月 5日(火) 05:49
万訪さん、どうしていたんですか。まあ忙しくされているのは、おめでたいことです。
佐原は良い所ですね、昨年、2度目の訪問をしましたが、3度目も行きたい所ですね。
インバウンド客も多いのでしょうね。

私は、腰痛がなかなか治らなくて、少し試すと悪くなるのを繰り返し、最近は、一応治ったかと思っています。
10月に、昔ながらの湯治宿に行き、体の調子が良くなったのがよかったのかも知れません。


孫右衛門 11月 5日(火) 21:06
万訪さんの様子がしばらく伺えず心配しておりました。
多忙で充実した日々のようで何よりです。佐原の町は、私は1度訪ねたきりです。

それから辰巳屋さん、腰の調子が改善されたようで安心しました。月末はYasukoさんとミニオフ会ですね。辰巳屋さんの四国の予定が固まりましたら、すり合わせを行いましょう。私は2日目を空けておく予定です。

万訪 11月 6日(水) 08:53
辰巳屋さんご無沙汰しておりすいませんでした。佐原はインバウンドも多いですね。メッチャ高い古民家宿なんかも複数あり、震災の面影はなく、関東一の町並み観光地みたいになっています。でも嫌な観光地色はなくて好感が持てます。
腰に具合が心配ですが、回復に向かわれていると聞いて良かったです。以前のように全国を飛び回っていただきたい。私もクルマをキャンピング仕様に改造することにしており、来年からは辰巳屋さんのようにクルマ旅をしていこうと考えています。

万訪 11月 6日(水) 09:01
孫右衛門さん、小値賀に行かれたんですね。五島地方(小値賀は平戸諸島ですが)では、小値賀が一番の町並みだと思います。自転車で一周されたとか。自然景観も素晴らしいですよね。
西日本オフ会をされるのですね。関東組もやろうかと話しています。年末は、ケビ岡をスタートに中国山地の天界の村を取材します。和田山のオフ会で泊まった宿にもまた泊まります。最後は高梁から福山辺りまで行きます。

太泉八雲 11月 7日(木) 17:04
私もしばらく書き込んでいませんでした。
ここ2ヶ月は特に街並み歩きは行っていませんでしたが、動画編集も今ひとつ気が乗らず、それではいかんと、気分転換に近県の宿に泊まりながら、今年の年始の佐渡の動画を少しずつ編集しながら公開をはじめました。
GWに行った四国の動画も溜まっているので、佐渡に続いてそちらの作業もあります。

太泉八雲 11月 7日(木) 17:07
今年の年末年始の休みは10連休ですが、まだ計画をたてられていません。遠征したい気もありますが、移動を最小限に温泉宿にでも逗留してゆっくり作業するか。
あと、佐渡が気に入って、昨年歩けなかった場所がいくつかあるので、佐渡の再訪も候補には挙げていますが...

皆さまはどうされていますか?

七ちょめ 11月 7日(木) 18:29
万訪さんの探訪で柤岡から始まるとは!!
キャンピングカーに改造とは、凄い事されますね。費用も大変。
太泉八雲さん、動画が編集されずに残っているそうで、撮るのも大変なら編集も大変な作業をされる作品、頑張って下さい。
もう直ぐ西日本組のミニオフ会、東日本組も計画されるようで、交流があってよいものです。
私はヨボヨボと有馬温泉に行ってきました。静止画と動画を撮りましたが、太泉八雲さんのように凝った編集ができませんので、撮ったものを並べるだけです。依っていとも簡単。

七ちょめ 11月 7日(木) 18:32
もう一枚は夜景。

孫右衛門 11月 7日(木) 23:00
小値賀島の探訪は万訪さんのサイトをかなり参考にしました。有難うございます。
年末年始にかけての探訪談義になっていますね。私は、年明けに京都の市内に良い旅館を見つけましたので、そこに2泊する予定です。
中日は京都の旧市街地を半分学生時代を懐かしみながらの町歩きをしたいですが、初日と3日目は町並探訪をする予定です。初日は交通が不便ゆえに長年懸案だった大東市御領、枚方市付近の豪農集落、どうなったか現状が心配な八幡市橋本あたりを歩きたいですね。また3日目は湖西線沿線にまだ漏れ落ちている町があるので、この際完遂したいところです。
有馬温泉の谷間の町並は、よくぞ今に残っているといった風情がありますね。大型旅館が目立つ中でとても存在価値のある界隈と思います。
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2081: 小値賀島の探訪 孫右衛門 10月28日(月) 20:36
先にお話ししていた小値賀島を先週末に訪ねてきました。五島列島の最北付近に位置する島で、佐世保に前泊しての2日間で訪ねました。初日はレンタサイクルで島を一周し散在する4集落を含め巡りました。翌日は属島の大島を訪ね、午後の博多へのフェリーで島を後にしました。宿は小値賀港近くにある民宿に1泊しました。
万訪さんが詳細に訪ねられているので参考にし、またネットでもよく話題にでてきていましたのでいつかはと思っていましたが、離島ということもあってややハードルが高く今になりましたが、やはり訪ねて良かった、訪ねるべき島と思いました。
この画僧は、港背後の笛吹という集落で、かつては捕鯨や海運の拠点として都市型の町並が形成されていたとのことで、立派な家並が面的に広がっていました。
同じ北松浦郡ということだからか、的山大島の神浦集落を思わせるようなものがありました。

孫右衛門 10月28日(月) 20:41
木造三階の建屋が密集している一角があり、そこが真骨頂のように感じました。
ちょっとこの付近は上手く写真に収めるのが難しいです。

孫右衛門 10月28日(月) 21:03
スマホで撮った写真の方が雰囲気が伝わりやすいかと思いますが、縦画像なのでちゃんと見えるかな。

孫右衛門 10月28日(月) 21:14
中心集落は私の町並度評価では7は堅いでしょう。その他、島の北東の小半島に位置する唐見崎という地区もなかなか良い集落でした(写真)。
ゆっくり集落を訪ねながら自転車で1周して4時間ほどの小さな島です。半農半漁の島であちこちで牛の放牧に出会いました。
泊った宿ではヒラマサの刺身など地魚が存分に味わえ、酒類を注文しても千円札三枚のお釣りが返ってきて、高騰する都会のビジネスホテルなどとは全く対照的な1泊でした。

辰巳屋 10月29日(火) 16:55
小値賀島は、私はまだ訪問していませんが、三階建ての建物が集まっている所があるのですね。歴史を感じさせる島のように思えます。道路がタイル舗装されている場所もあるのですね。道路の高低差を利用したり、狭い土地をうまく活用しているのでしょうね。
行ってみたいと思うことは、度々あるのですが、私は、なんせ不便な所に住んでいますので、交通経路は複雑です。
しかし是非、訪問したいものです。


孫右衛門 10月30日(水) 12:47
港の背後の三階建てが見られる一角は旅館建物もあって、遊興の要素もあったのではと思わせるものがありました。
「文化的景観」には指定されており、町が独自に価値のある建物等も選定されているようですが、人口も最盛期の5分の1になっているとのことで、建物がこのまま保たれるかどうかは不透明な部分があるようです。

宮崎からとなると結構遠方になりますね。
博多からの夜行便を利用すると、朝早く中通島などにも到達できますので、少なくとも上五島地域は一通り走破したいと考えています。
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2080: 福岡県へ行ってきました urano 10月18日(金) 07:02
少し前のことになりますが、9月に出張で名古屋と福岡へ行ってきまして、いろいろ見学してきました。
名古屋では名古屋城の本丸御殿や東山動植物園(コモドオオトカゲが話題。目当ては重文指定の植物園温室)など、町並み以外の要素を見てきたので、取り立ててご報告すべきことはないのですが、福岡では延泊もして、飯塚市幸袋、福津市津屋崎などにも行きました。いずれも初訪問です。

幸袋では古民家は減っているようで、ストリートビューを見ると、10年ほど前には国道沿いにも町屋が連なっていたようですね。
その跡地にあったファミリーマートのイートインコーナーで昼をとりました。

写真は旧伊藤伝右衛門邸の前の道(旧長崎街道)です。

urano 10月18日(金) 07:03
宗像市の大島です。万訪さんもご紹介されています。今回の上陸目的は世界遺産の宗像大社中津宮で、町並みにはさほど期待していませんでした。それが、いざ上陸してみると、漁村ならではの密集した町並みがとても見事でした!
が、急に大雨が降ってきたので、写真に撮ったような周辺部を少し見ただけで、中心部の散策は断念しました(先に周辺から撮り始めたので……)。また行ってみたいです。

urano 10月18日(金) 07:04
こちらは福津市の大坂屋旅館です。カーナビにしたがって走行中、偶然、通りがかりました。辰巳屋さんのページでもご紹介されています。旅館業は数年前にやめてしまわれたようです。
この界隈(宮地嶽神社門前)は参拝客がいて賑わいがあり、鉄道駅から距離があるのに珍しい光景だと感じました。

urano 10月18日(金) 07:07
個人的に、歴史的町並みと並んで、「重要文化財の民家をすべて見学すること」を旅の目標に掲げていることもあり、新宮町の重文・横大路家住宅にも行ってきました。
日本に複数ある、「千年家」を通称とする家です。
町の紹介ページには「建物の傷みがひどくなったので、平成12年から平成14年にかけて修復されました」とあります。それから20年以上が経過し、屋根の状態はかなり悪くなっていて、そのせいか内部非公開でした。次の修復ではトタンで覆われるのかな、と思いつつ後にしました。

※一つ上の投稿で誤字がありました。「大坂屋」ではなく「大阪屋」です。

urano 10月18日(金) 07:08
写真を添付し忘れました。
新宮町の横大路家住宅です。

孫右衛門 10月18日(金) 21:10
uranoさん、取材を受けられた経緯の説明有難うございます。取材対象となるくらいですからメジャーな読書会なのでしょうね。

飯塚市幸袋は随分前になりますが、確かに表の通りに妻入りの商家がありました。ただ投稿されている辺りは原形を留めた形で伝統的建物が残っているようで、古い町並として十分なものが今でも感じられますね。
私も訪ねた町並に、重要文化財の建物があり見学可能であれば極力訪ねるようにしています。町並も再訪が主になってきていますので、建物そのものにも重点を置いていきたいところです。

私も来週末は九州方面の予定があり、佐世保沖の小値賀島を中心に訪ねる計画を立てています。

urano 10月20日(日) 18:53
コメントありがとうございます。
幸袋はそれほど連続性がなく、町並みとしてはかなりギリギリだと思います。
旧伊藤伝右衛門邸が国の重文になったので、少しは保存の機運が高まると嬉しいのですけどね。

小値賀島はよさそうですね。五島列島は未訪問でとても気になります。
KD059132065151.au-net.ne.jp
2079: ビックリ、URANOさん 七ちょめ 10月10日(木) 21:53
今日10月10日のNHKの21:00からのニュースウオッチを見ていて、URANOさんの名前と顔が出ていてビックリしました。
ノーベル文学賞の予想が的中したようで、驚きですね。
あなたが主催した会が、韓国のハン・ガン氏の文学賞予想が当たったようですね。
NHKニュースで大きくあなたの名前と顔が映し出されていてびっくりしました。
あなた主催の会の名前は聞き逃しましたが、兎も角ビックリしました。
取り合えずはおめでとうございます。でしょうね。


七ちょめ 10月13日(日) 11:42
ニュースをよく見ていなかったので、はっきりした内容は判りませんが、URANOさんが主宰する読書会を、今回のノーベル賞の受賞に関して、NHKから取材を受けたということでしょうか。

何かの拍子に顔が写っていたとは全然違いますので、NHKの取材を受けているのでしょう。

読書会の会員の〇〇さんが、韓国の受賞者と予想を的中させたということでしょうね。
そこで会の主宰者のURANOさんの顔と的中者の顔が大きく映し出され、名前も公表されたのでしょうね。
日本以外の外国の方が受賞されたのに、NHKが日本の読書会を取材するのは異例なことでしょう。それもURANOさん主宰の読書会を、何でしょうね。

辰巳屋 10月13日(日) 17:02
帰って掲示板を見たらびっくり。
七ちょめさんの投稿を見て、さっそく録画を見るとURANOさんが映っているではありませんか。様々な活動をされているのですね。応援しています。

私は、腰の具合が悪いので、3泊ですが、湯治に出かけていました。

孫右衛門 10月15日(火) 07:48
ニュースは見ておりませんでしたので、今一つピンと来ないのですが、名前が紹介されたということは結構すごい事ではないでしょうか。
uranoさんの多彩な活動ぶりの結果が伺えるようですね。
辰巳屋さんは湯治に行かれていましたか。腰の状況はまだ本調子ではないご様子ですね。労わられ、来月末にお元気な姿を見られることを期待しております。

辰巳屋 10月15日(火) 16:07
過去のニュースを見ることは大変難しいことのように思います。
私の場合は、「全録レコーダー」なので簡単に見ることができました。一日中すべての番組が録画されていますので、過去1週間程度は見逃すことがありません。10年ぐらい前に購入したものです。現在はもっとよい機能のものが出ているようです。

腰の具合は、とても良いとはいえませんが、少し改善したように思います。昼間は近くの街並みを散策していました。

urano 10月16日(水) 06:01
おはようございます。
こちらでも話題にしていただき恐縮です。
また、反応が遅くなり、申し訳ありません。
趣味で文芸関係の読書会をやってまして、その集まりで発表を見守った瞬間がNHKに密着されました。
読書仲間が予想を的中したおかげで大きく取り上げられたようです!
お騒がせしました。
KD059132056168.au-net.ne.jp
2078: 紀伊半島を訪ねました 孫右衛門 9月21日(土) 08:48
先日の3連休に紀伊半島を縦横断する2泊の探訪を行いました。半島の大きさを実感するとともに、熊野への道が縦横に張り巡らされ、今でもそれが大切にされているのがわかりました(ただし古道歩きはしていません)。
初日に訪ねた五條市近内町というところの町並です。金剛山への参拝道、峠を越えて河内方面との往来もあったといい、庄屋を務めた立派な旧家も残され、内部が公開されていました。これが大変な邸で、数々の座敷や内蔵、書斎など建物はもちろん、商売をされていた頃の多数の品々や備品等が展示され、まだまだ所蔵品が整理できていないとのことで、ちょっとした博物館のようでした。

孫右衛門 9月21日(土) 08:51
初日に宿をとった吉野の山間部に位置する川上村柏木地区にある「朝日館」。
修行の山大峰山への登山口に位置し、かつては旅館共々かなり賑わっていたとのことです。
この旅館と郵便局、駐在所は体裁を保っていますが、後は人の住まわれている御宅は数軒、店舗の名残はみられ賑わっていたのだろうと想像できますが、寂しい集落でした。

孫右衛門 9月21日(土) 08:56
私が泊った部屋は2階でしたが、部屋を出て山側は廊下を挟んで中庭に面していました。
自然の地形を活かしてこのような造りにしたとのことですが、このガラス戸が古い歪みのあるもので、全く欠けることなく今に残されているのは大変貴重なものと思いました。

七ちょめ 9月21日(土) 09:54
紀伊半島の探訪 成果が多かったようですね。良かった、よかった。
初日の宿泊 朝日館  Xで見ていました。何時廃業されても不思議でない旅館。
女将の元気な内は続けられるのでしょうね。この旅館の名物の「羊羹」は購入されましたか。女将の手作りで、道の駅でも売っているものです。
二泊目の旅館は以外でした。湯峯温泉のあずまや旅館本体でなくあずまや旅館の民宿の方に泊まられたのは。
近くの川湯温泉亀屋旅館も伝統ある旅館で、てっきりこの旅館か、龍神温泉の上御殿と思っていました。

孫右衛門 9月21日(土) 11:25
朝日館の羊羹は買いませんでしたがお茶請けに出てきました。それから川側の建屋にあるかまども見させてもらいました。
5年ほど前に玄関回りや食堂を改装されたとのことで、他に二組のご夫婦の宿泊があり、料理も地物にこだわった見事なもので細々ながら口コミなどもありボチボチと続けられているような雰囲気でした。
玄関付近以外の箇所はあえて昔のままの姿をとこだわって居られるようです。

あずまや旅館は週末は二人以上限定の様子だったのと、旅館の温泉が利用できるので民宿の方を予約しました。建物は機能本位な感じですが、料理と浴室は期待以上でしたので満足でした。名物のつぼ湯は空き待ちの客が多かったのと宿の風呂で十分と思いましたので外から眺めるだけでした。

孫右衛門 9月21日(土) 11:35
半島をほぼ縦断して熊野市付近の漁村集落もいくつか歩きました。これは小さな入江に開ける遊木という集落です。
新宮から再び熊野本宮、湯の峰温泉を経て田辺に出、そこから北上して和歌山市郊外の町並などを訪ねました。半島を串刺しにし、その後再度横断して紀伊水道沿いに北上するルートとなりました。

辰巳屋 9月22日(日) 16:20
五條市近内町は、藤岡家住宅がある所ですよね。登録文化財にもなっています。

昨年のオフ会の後、奈良県の広陵町、御所市、五條市と訪れ、時間切れになり諦めました。やはり街並みもあり、藤岡家もあり、訪れる価値がありそうです。

奈良県南部はまだ未訪問の街並みもありそうです。次回は、余裕を持って生きたいと思います。
良い情報をありがとうございます。

孫右衛門 9月22日(日) 22:39
藤岡家住宅は1枚目に載せた建物ですが、これが大変なもので予定していた時間をかなりオーバーしました。丁寧に案内もいただけます。
この地域ですと、最初に訪ねた橋本市真土という奈良県と接する位置にある集落も小規模ながらなかなか良いものがありました(写真)。街道集落のようですが、地元では万葉の里などとして看板もあり、何か深い歴史をはらんだところのように思います。
昔から更新情報を見続けているサイトや、最近ではSNSなどでも情報を仕入れるのですが、旅館の情報もあって、また訪ねないといけないと尽きないところです。
p5900134-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp