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2000: 広島県と岡山県の県境付近の街 辰巳屋 12月19日(日) 11:44
広島・岡山の県境の街並み
11月に広島・岡山の県境付近を訪問しました。
以下は、極めてローカルな話題と思っていますが、お許しをいただきたいと思います。

前々から芳井町(井原市)と川上町(高梁市)あたりに、街並みが残されているのではないのかと思っていました。特に芳井町辺りに、井原市街から川沿いに連続しているように思っていました。
画像は、簗瀬です。芳井の街並みからは、少し下流の対岸にあります。手前の長屋門の家は、緒方研堂(幕末に緒方洪庵のもとで活躍)生家、途中には、造酒屋もあります。小さな街並みですので、見逃しがちですが、独立しているように思えます。

辰巳屋 12月19日(日) 11:46
東城往来の街並みを巡っていたのですが、東城(庄原市東城)から油木、豊松、花済(以上は神石高原町)、高山市(高梁市)、芳井、井原(以上は井原市)へ至るルートを訪問したのですが、この中で、花済は未訪門でしたので、行ってみました。広島と岡山の正に県境に、その面影ではないかと思われる場所がありました。岡山からは、杖立と呼ばれているようです。
街並みというのには、閑散としていますが、面影はわずかに残っています。
右側の石柱が県境を示すものです。東城往来は、このルート以外に多数あるようです。

辰巳屋 12月19日(日) 11:48
井原市芳井町を訪問したとき、広島県がわの福山市山野町を訪れました。山野町の中心地は以前訪れたことはあるのですが、更に上流は未訪でした。上流に、「田原」という地図でみるとわずかに小さな街並みがあるように見えましたので、訪問しました。山野町は、行政区域は福山市ですが、川は井原市に流れており、経済圏は井原市のように思えます。

画像は、田原の街並みです。200m前後の街並みですが、沿岸部からは隔絶された地域にひっそりとたたずんでいるようでした。

Yasuko 12月19日(日) 18:55
岡山に住んでいるのですが、全く訪ねたことのないところばかりです。新鮮な気持ちで拝見出来ます。
先日、県北では、もう雪が降っているそうですね。これからはスタットレスがいる時期なので、お気をつけて探訪されてください。私は今、写真に凝っていてネタ探していますがなかなかです。

孫右衛門 12月19日(日) 22:38
私もあまり知らない所ばかりです。芳井町は与井という地区に町並が残り、以前訪ねて掲載していると思うのですが、梁瀬と言われるところの町並もよさそうですね。
福山市の山野地区は、今年仕事の関係で何度か訪ね掲載された田原地区も通っています。探訪の余地はありませんでしたが、見覚えあります。

今年は何時もより早く繁忙期が訪れ、また山も高く今月は探訪どころではなく、久々に応えますね。年始には3泊の探訪を企画しています。
Yasukoさんも写真に凝られて原点回帰でしょうか。

辰巳屋 12月22日(水) 10:18
田原は、孫右衛門さんの掲載基準から推測すると掲載されないかもしれません。私は、過去に街並みがあった場所も掲載する方針をとっています。方針の違いは止むをえないと思います。

県境からは離れますが、岡山には、またまた小さな街並みですが、岡山市の足守のすぐ上流の川を渡った所の河岸に川崎町があります。足守城下の町として数えられていたようですが、足守で掲載する人はいません。訪れると、画像のような街並みがありました。大井の南にあたります。

辰巳屋 12月22日(水) 10:19
備中高松にも小さな街並みがあります。地元の案内板には「原古才の街並み」として説明してありました。陣屋があったようです。
古い建物は、あまり残っていませんが、国道429号の狭い旧道沿いに街並みがあった痕跡があります。
120050197100.mcat.ne.jp
1999: 「山梨県に行きました」の続き 辰巳屋 12月 7日(火) 09:38

申し訳ありません。新しく追加投稿しようとして、一部訂正をしたいと考えて削除したら、全体が削除されてしまいました。申し訳ありません。

追加の内容は、こんなものでした。
山梨は、養蚕農家が多いので、山梨市の江曽原、牧丘町牧平、洞雲寺、北原などを訪問しました。また、早川町の赤沢宿、早川、新倉、茂倉、薬袋などを訪問しました。早川町も養蚕農家は多い。
この他、甲州街道の駒飼宿から上野原宿まで、富士川街道は、万沢宿から青柳、さらに台ケ原宿、竜王河原宿、若神子宿なども訪問しました。

画像は、切妻造古民家群の阿曽原集落です。山梨市景観百選に選定されています。

辰巳屋 12月 7日(火) 09:41
画像は、牧丘町牧平です。山梨市景観百選には選定されていませんが、切妻造古民家が密集しています。
もっと山梨を廻りたい。まだ、時間が足りないと叫びたかったです。
まあ、次回の楽しみに取っておこうと思います。
120050197100.mcat.ne.jp
1971: 年始の探訪 孫右衛門 1月11日(月) 09:33
年末年始、そして年明けの連休といかがお過ごしでしたでしょうか。

昨年末頃から再び探訪には厳しい状況になってきていますが、年明けに1泊の探訪を行いました。

佐賀県を中心に福岡県筑後地方を含めたもので、未訪問の町は主に辰巳屋さんの情報をもとに、また宿泊は七ちょめさんも泊られている唐津市の「綿屋旅館」に泊りました。ここは登録有形文化財の宿でもあるため、以前から候補に挙げていたものです。

これは福岡県大刀洗町の町並です。中世には城も構えられていたという本郷地区に思わぬ町並が残っていました。


孫右衛門 1月11日(月) 09:46
綿屋旅館はもと大商家の別荘だったところで、応接室だった洋室が客室として使われており、そこに泊りました。料理の質もよく、自家源泉の温泉もあり、私が個人的に泊るところとしてはやや高額でしたがそれだけの価値のある宿泊でした。

孫右衛門 1月11日(月) 09:57
これは伊万里市市街地の町並です。大川内山地区に眼が向かいがちということもあり初訪問でした。商店街化はしているものの、陶磁器の積出し港として栄えた名残が十分感じられるものでした。

これまで訪ねようと試みて失敗したところも幾つか訪ねました。小城町と佐賀市蓮池地区です。前回町並を探り当てられなかった蓮池地区は諸情報をたよりにようやく訪ねることができました。一方、小城の町並は何名か挙げられていますが、今回訪ねてみると道路が大規模に拡幅されていて、町並と呼べるものはありませんでした。

辰巳屋 1月13日(水) 15:42
あけましておめでとうございます。
昨年は、新型コロナの流行で、街並みあるきとしては大変な年でしたが、本年は何とか収束し皆さんと共に楽しみたいと思っています。しかし、収束の見通しはどうなのでしょうか。

孫右衛門さんは、福岡、佐賀に行かれたのですか。大刀洗・本郷は、「本郷」という地名に曳かれて行ったように覚えています。ちょっとした街並みが残っていました。

本年の最初は、尾道の町を散策しました。尾道は私の社会人になった初めての町であり、思い出がいっぱい詰まった町でもあります。
先週、西国寺と御袖天満宮を参拝し一年の平安と健康を祈念いたしました。人出は閑散としほとんど人に出会いませんでした。
その後、久々に尾道の歓楽街である久保地区を散策しました。閉店する店舗が多く、以前より淋しくなっています。正月明けから店舗改造の音が聞こえるかと思ったら、閉店の張り紙も見受けられる状況でした。何よりも目立つのは、建物を取り壊し駐車場が増えたことでしょうか。
画像は、尾道の久保(新開)の飲食街の中心地です。
本年もよろしくお願いします。


Yasuko 1月13日(水) 19:11
本年もよろしくお願いいたします。今年は例年より寒さがきびしいですね。また緊急事態宣言で、出かけられる雰囲気ではなくなりました。孫右衛門さんは九州を探訪されたのですね。
私は誘われて福岡方面、太宰府天満宮への初詣に同行しました。帰途門司港で新しく建て替わった、門司港駅に行ってみました。木造の頃が懐かしく思われました。
今年はちゃんと普通のオフ会が出来て皆様にお目にかかれることを願っております。

孫右衛門 1月13日(水) 22:19
今回は辰巳屋さんの情報を大いに頼りにさせてもらいました。
Yasukoさんも福岡方面を訪ねられたのですね。門司港駅は一昨年の秋に私も見たのですが何だか整えられた感じで、これも何十年か経てば風格がでてくるのでしょうか。
私が行っているような探訪は比較的リスクの低い行動と思いますが、職場も家族もある中探訪が原因となることは絶対に避けなくてはなりません。昨年春以降2泊以上の探訪は一切組んでいないのに、それでも計画にはかなりの神経を使うことを余儀なくされました。
今回も訪ねたいところを盛り込みながらも一方でリスクが極力低くなるように一生懸命考案して計画したものです。当初は2泊で長崎県を含み、船に乗る計画を含んでいたのです。
しばらくは様子見ながらになると思いますが、早く自由に行程が組めるようになるよう願うほかありません。そしてやはり、オフ会の通常開催を目標にしたいですね。
早朝の唐津城からみた風景です。

万訪 1月24日(日) 11:01
孫さん、辰巳屋さんは年始の探訪始動、七ちょめさんも動画を拝見すると絶え間なく歩かれている様子。いやはや、羨ましく思います。東京は全く出られる雰囲気ではなく、週末は近所を歩く程度です。先々週末、大森から大井を動画撮影しましたが、編集してみたものの、つまらないのでお蔵入りしております。
年末ですが、三重県尾鷲の密集系漁村を再訪しました。須賀利、九鬼、古江は私のサイトでも以前から載せていますが、今回発見したのは熊野市磯崎という集落です。v字谷の集落で、高知県沖の島の母島地区によく似ていました。密集系漁村としては、ピカイチでした。
1月も下旬ですが、今年もよろしくお願いいたします。

太泉八雲 1月24日(日) 19:08
1月も終わりに差し掛かりましたが、私も公式にはなかなか遠出が出来ない状況です。

この集落はスゴイですね。


私の予定としては、もし2月に非常事態宣言が緩和されましたら、雪国の集落の撮影に出かけたいですね。

遅くなりましたが、本年も宜しくお願いします。
また、みなさまもどうか御自愛いただき、コロナ渦を乗り越えて、またお会い出来る年を願います。

孫右衛門 1月24日(日) 20:44
万訪さん・太泉八雲さん改めて本年もよろしくお願いいたします。
東京にお住まいですので一番影響を感じられていると思います。年明け以降少し持ち直した様子ですが、全国的にはまだまだ予断を許さない状況で見通しがたちませんね。困ったものです。 

少し昨年を思い返してみると、夏以降、出張がらみの旅館泊や1泊の探訪などを何とか計画し、表向きはそれなりの成果の形にはなりましたが、通してみるとやはり年始から企画していた春の東北遠征の頓挫が大きく影を落してしまいました。

私の場合は今の時期は今年に限らず、例年通りの繁忙期で年度末までなかなか意のままになりませんので、個人的な希望としてはその間に少し落付き、4月にはせめて昨9・10月並くらいになってほしいものと願っています。
そうすれば、皆さんにもお会いできると、そう思いたいですね。

孫右衛門 1月24日(日) 22:13
万訪さんの載せられた集落は、V字谷に恵まれていることで普通の漁村とはまた違う個性的な表情をしているようですね。貴重な集落と思います。
昨年末ですか。何とか滑り込みセーフで実現できた探訪と察します。
p1111158-ipngn200706niho.hiroshima.ocn.ne.jp
1880: 練習しました。 七ちょめ 5月 2日(木) 20:26
動画撮影もチョットは練習しました。
撮影、編集もヨチヨチ歩きですが、チョットは見られるようになったかと、自分で思っています。
大阪府の服部緑地公園内にある「日本民家集落博物館」を撮ってきました。
https://youtu.be/8FJaTogWQ-U
チョット長いですが、見て頂けると嬉しいです。

万訪 5月 2日(木) 23:57
旅の途中、飯田から書き込んでます。
拝見しました。ジンバル歩きうまいですね。多少上下しますが気にならないレベルだと思いました。特に左右の回転のターンがすごくゆっくり滑らかです。ボタンを使われているのでしょうか?
あとは、一個一個の素材の撮り方・編集そしてストーリーですね。このへんは私も試行錯誤中ですが、色々失敗もしてますので、今度お会いした際にお話しできればと思います。

太泉八雲 5月 3日(金) 18:12
ドローン本を買って、その日に家でポチっと。
昨日Mavic2モドキのトイドローンを買いました。
200g以下の機体で部屋の中で試しましたが...どうも自分には向いていないみたいです。
結構へこみました。ゲームもやらないのでコントローラーにも慣れていません。
まあ、車やバイクと一緒で身体で覚えればなんとかなるか。
とりあえず、高価なドローンを飛ばす勇気は今のところ無理ですね。

太泉八雲 5月 3日(金) 19:25
七ちょめさん、動画みました。いや〜スゴイですね。
見事使いこなしているではないですか。
昔は100万円以上したステディカムが、今は数万円でそれ以上のクオリティをたたき出す時代になりました。驚きです。電子制御ジンバル?何だそりゃ?と、すっかり浦島太郎状態に。
次ぎは歩くときの縦揺れをいかに制御するかですね。
人間が歩く時の上下運動はジンバルでは吸収できませんので、身体は上下に動きながらも腕だけは振動を吸収しながら水平に保つ技術が必要になります。
「ジンバル歩き」をマスターすれば車両移動しているような画が撮れます。
参考動画
https://youtu.be/vIiX0ObLdNE

https://youtu.be/rOCxipkPpQY

万訪 5月 3日(金) 20:17
7泊8日の天界の旅、やっと明日が最終日です。太泉さんとご一緒した群馬県が随分昔のように感じます。同じ旅とは思えません。最後まで身体が持つか心配でしたが、意外と大丈夫。勢い余って、明日帰った後、5/5に娘と奥多摩リベンジに行くことにしました。

太泉さんもう買ったんですか!トイドローンとのことですが、見た目はMavic2Pro ですね。部屋で飛ばしたとのことですが、ぜひ外でやってみてください。
天界の村を撮るコツですが、結構わかってきました。なんでも続けてやってみるもんですね。例えば谷底から上げようとすると衛星との接続数が足りないが山の上から飛ばすと大丈夫だとか、集落側にカメラを向けて後ろ向きに水平に飛ばすと天界度が表現されると。ビビったのが間に高圧線とか尾根が入ると遮られて通信不可になるとか。「電波が弱いです」と忠告されたのをよそに不利な方向へ飛ばし続けると、いきなり画面が真っ暗になります。これは焦った。「自動帰還」ボタンを押して回避できました。コントローラからの電波が弱くてもGPSが捕らえられれば大丈夫です。
とにかく、経験を積む旅でした。


七ちょめ 5月 3日(金) 21:59
万訪さんのドローンの操作も上手になられているようで、良かったです。
太泉八雲さんも早速簡易なドローンを買われたようで。凄い速さですね。

私は出来る範囲でジンバルで動画を撮ってますが、ジャイロキャリブレーション??
you tubeの説明は判るのですが、実際やってみると上手く行かない。

ボタンの一つ 二つ 三つ 迄は判るのですが、四つ目になると電源が切れてしまう。

ジンバル歩きは練習あるのみとのことですが、今はガチガチになって撮影していますので、身体の上下動がそのままカメラに伝わっている見たいです。撮り終われば肩が凝ってガチガチです。
もっとリラックスして摂れば少しは良くなるかとも思います。

you tubeの説明でジンバルで遣ってはいけないことの三つは確実に守っています。


万訪 5月 4日(土) 06:07
ジンバル歩きを極めるのは大変ですね。よっちゃんさんの動画で解説されていて、私も参考にしていますが、上下微動は残ります。残さないほど完璧を目指さないことのしました。というのは、町歩き動画歩いている音も入っていますから、多少残る方が臨場感あっていいかなと。試行錯誤は続きます。
pw126236197163.12.panda-world.ne.jp
1833: 山梨県の養蚕農家 雷集落 辰巳屋 11月 7日(水) 13:02
山梨の養蚕集落について、国道140号線沿いの山梨市三富上釜口の芹沢、赤の浦、青笹、三富川浦の雷、三富徳和、三富下荻原などに残っていました。
三富川浦の雷集落を紹介したいと思います。笛吹温泉郷の三富温泉付近から東の山側に登ったところに位置しています。地図でみると山上の集落のようにみえましたので、訪問しました。ネットで見ても情報はありません。
ところが、雷集落に行ってみると、古民家がほとんどの集落でした。古民家率70%以上でしょう。
古民家といっても、年代を正確に調べてはいませんが、いわゆる甲州古民家の建物が、かなり多いのです。
高台からの眺望です。全体は写っていませんが、かなりの確率の古民家です。

辰巳屋 11月 7日(水) 13:04
この画像は、雷集落でも目立つ3階建ての建物です。逆光になったのがちょっと残念です。

辰巳屋 11月 7日(水) 13:05
この画像は、集落の上側にあった建物です。典型的な養蚕農家の建物です。

辰巳屋 11月 7日(水) 13:07
この建物も集落の上側にあった建物です。

万訪 11月 7日(水) 15:49
雷集落はすごいですね。甲州ならではの切妻ハーフティンバーの古民家がこれほど残ってるのは珍しい。発掘、お見事です!

Kさん 11月 7日(水) 16:51
秋たけなわの素晴しい景色ですね。俯瞰スケッチ大好き人間としては、よだれが出そうです。特に47都道府県制覇なんて言っていますが、山梨は通りがかりに描いたたった1枚しかなく、ぜひ出かけたい県です。

孫右衛門 11月 7日(水) 21:20
三富川浦は9月に探訪したとき、民宿に泊った集落です。全く予備知識がなくしかも到着した時は暗かったので、翌朝の散歩時に初めて良い集落なのを知りました。町並として掲載しようと予定しています。
日の出荘という民宿に泊り、近くには不動滝という小さな名所もありました。雷集落とはまた違う場所でしょうか。

辰巳屋 11月 8日(木) 07:26
孫右衛門さんの利用した「日の出荘」は、三富川浦の雷で、私の掲載した雷集落です。
三富川浦が大字で雷(いかずち)は小字にあたると思います。雷集落に民宿があったとは知りませんでした。とても良いところだったでしょう。
私は、地図でおもしろい地形にあると思い訪れました。

秩父往還と呼ばれるこの地域には、笛吹川に沿って古民家の集落が点在しています。
画像は、青笹集落です。国道140号線から撮ったものです。

辰巳屋 11月 8日(木) 07:27
集落に入ると、中央にある長屋門のある家です。

孫右衛門 11月 8日(木) 14:17
地図を良く見ると確かに雷の地名があり、バス停にも名前が残っているようです。
このほとんど知られてもいない集落にメンバーが相次いで訪ねるというのはまた面白いことです。
私がこのとき訪ねた他の山梨県の集落系は重伝建になった下小田原上条集落のみです。丹念に辿れば沢山あるものですね。


辰巳屋 11月 9日(金) 22:17
山梨県景観百選というのがあり、その中に「雷集落と不動滝」というのがあります。地元では景観で有名な場所となっています。
このほか、集落では、塩平集落、西保中集落、徳和集落、切差集落、江曽原集落、市川集落、洞雲寺とその周辺農村が選定されています。今回、雷集落のほか、西保中集落、徳和集落、切差集落、市川集落を訪問しました。
集落のほか、街並みも選定されていますので参考になると思います。(これは、訪問後にわかった情報です)
山梨市景観百選は、次のとおりです。
https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/citizen/docs/index_06.html
画像は、切差集落です。浦野さん情報と地図で見ると地形が古民家が残っているようで訪問しました。
120050197170.mcat.ne.jp
1830: 南牧村の養蚕農家 辰巳屋 11月 1日(木) 05:51
現在、秩父にいます。
10月29日に長野県佐久に宿泊し、田口峠経由で群馬県南牧村に入り、上野村経由で秩父まで来ました。養蚕農家の集落の訪問が主な目的ですが、長野県佐久市の広川原、馬坂は良く養蚕農家が残っていました。ほとんど南牧村のようでしたが。

画像は、田口峠(県道下仁田臼田線)の道路です。


辰巳屋 11月 1日(木) 05:53
画像は、広川原です。二列に並んだような状態で建てられています。
ここは、南牧村ではないようです。佐久市です。

辰巳屋 11月 1日(木) 05:54
南牧村では、熊倉、勧能、星尾(仲庭・大上・小倉・道場)、赤岩、六車、山仲、下底瀬、上底瀬、大仁田、奥の萱と訪問しました。
画像は、熊倉です。

辰巳屋 11月 1日(木) 06:01
画像は、星尾大上です。

七ちょめ 11月 1日(木) 09:28
後の二つの画像の集落風景は良いですね。紅葉と天気で良い画像ですね。

私は今、新幹線で熱海に向かっています。地域の団体旅行です。泊まりは伊東温泉です。今までは家内が参加していましたが、今回は事情が有り私の参加に。

万訪 11月 1日(木) 14:19
辰巳屋さん、なんと秩父におられるんですね。この後、養蚕つながりで栃本行かれるのですか?
南牧村の奥地はよく残っていますね。見応えがあったことと思います。おっしゃる通り、広河原は長野県佐久市です。とんでもない峠を越えないと市役所に行けない。したがって、このならびの上信国境では田口峠だけ冬季閉鎖になりません。
なぜそんな国境線が引かれたのか、わかったら教えてください。

孫右衛門 11月 1日(木) 22:35
精力的に探訪されているご様子、災害対応も落着かれたようで何よりです。私はこれからなかなか動きづらくなる時期に入りますのでその分もお願いします。
それはともかく、南牧村は9月に訪ねているのに、挙げられた集落はどこも全く訪ねていません。まだまだ粗い探訪です。
私は山梨県側から秩父地方にアプローチし、小鹿野、上野村、南牧村を経て下仁田町から佐久・中込に抜けました。

辰巳屋 11月 2日(金) 06:06
上野村では、楢原(旧黒沢家)、乙父、乙母、川和、新羽、野栗沢、胡桃平、八倉、平原、橋倉、持倉、高塩、元船子、間物を訪れました。

胡桃平は、斜面に並ぶ養蚕農家の建物が印象的でした。

辰巳屋 11月 2日(金) 06:10
八倉を訪れ、八倉の麓にある橋倉集落で、地元の人に聞くと、八倉よりもさらに山の中(上)に持倉という集落があるという情報を聞き、急遽訪れました。天空の里として、有名のようです。

画像は、持倉です。国道462号から県道172号に沿って船子川を遡り、一番奥の集落です。椹森までは、広い道路ですが、直前の連続カーブの細い道を登ると終点に持倉集落があります。地元の人に聞くと平家の落人伝説もあるようでした。

山岳集落を訪れるには時間が必要です。足が疲れますので、シップを持参し、毎日貼っています。

太泉八雲 11月 2日(金) 21:47
おお、久しぶりの書き込みです。
辰巳屋さんは南牧村にいらっしゃったのですね。
長野県佐久市の広川原から南牧村は、最近ときどき久しぶりにバイクで訪れ、改めて撮影で再訪せねばと思っていました。
いくつかは知らない、見たことの無い風景。奥が深いですね。地元民として反省と共に久々の集落探訪、刺激されます。

太泉八雲 11月 2日(金) 21:58
しかも、今年は何度もバイクで訪れている上野村の新羽、野栗沢、胡桃平、八倉、平原、橋倉、持倉、高塩、元船子、間物は全く知らない場所です。
群馬県上野村。奥が深い...。

万訪さん、長野県佐久市広川原で言うと、分水嶺よりも東側に位置しています。
が、豪雪地帯というのがネック。流通の中心地である下仁田よりも、城下町にして宿場町でもあった田野口藩の臼田の方が距離的にも地形的にも近くて合理的だったようです。

この界隈、再訪問されますか?

万訪 11月 5日(月) 06:31
下仁田より峠を越えて臼田の方が合理的
なるほどです。しかし、あの峠の高低差はどう考えても同じ行政区域として不自然に感じてしまいますね。

この界隈は、中央構造線づたいにつながる、天界の村の北限だと思っています。改めて動画撮影したいと思っておりますので、再訪問しようかな。

辰巳屋 11月 5日(月) 10:01
上野村の訪問地として、複数の地名を書きましたが、神流町の地名も含まれていました。八倉、平原、橋倉、持倉、高塩、元船子、間物は神流町です。失礼しました。

画像は、持倉の前掲の集落の反対側の建物です。養蚕農家の2階を改装したものと思われます。

辰巳屋 11月 5日(月) 10:02
画像は、南牧村の大仁田です。大仁田には、養蚕農家が多く残されていました。惜しいことに、大きな養蚕農家の建物が崩れかけようとしていました。

私は、その後、埼玉県秩父市の石間の沢口、半納の集落を訪問し、その後、山梨県の甲州古民家の集落を訪ねました。これは、整理中ですので、後日、報告します。

万訪 11月 5日(月) 14:16
辰巳屋さん、八倉の情報は私のサイト以外にありましたでしょうか?私は地形図で天界の村だとあたりをつけて訪れたもので、ほかに情報があれば教えていただきたいです。

辰巳屋 11月 5日(月) 16:50
八倉は、万訪さんの情報です。ありがとうございます。他にはありません。

ついでながら、時間がなかったので行けなかったのですが、神流湖の南側にも養蚕集落があるように思います。吉田太田部の久保田、相見、楢尾(以上秩父市)、鳥羽、宮本、浜の谷、住居野(以上神川町)です。地図で見ると斜面に広がる地形にあり、養蚕集落のように思います。
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1825: 企業城下町を歩く 宇部 万訪 10月 6日(土) 18:42
企業城下町あるいは戦災復興と非戦災地区が入り乱れる「宇部」を歩きました。ご存知、宇部興産の企業城下町。炭鉱で開発され、その後も工業都市として発展しました。
最初の画像は埋立地に続く宇部興産専用道路。特にゲートがあるわけでもなく、ズンズン入れますが、途中から妙な遮断機が表れて、鉄道ではなく、材料?を積んだ重連のトラックが走り回る。その先は入れませんでした。

万訪 10月 6日(土) 18:50
宇部の町の中心駅は、山陽本線の宇部駅ではなく、宇部線の宇部新川駅です。宇部新川駅から東へこと琴芝駅・東新川駅・宇部岬駅と続きますが、それらの南側(海側あるいは工場側)が商業地、北側が住宅地という都市構造になります。
まずは駅近くの「宇部市民会館」にクルマを停めて、建物を拝みました。村野藤吾設計の昭和戦後の名建築ですが、じっくり外観を見廻しました。やっぱスゲーと感激。何がスゲーのか、ここでは書ききれませんが、ココロに響きます。

万訪 10月 6日(土) 18:54
宇部新川駅から北側は起伏のある地形で、丘の上下に住宅地が開発されました。ここは古い住宅地。塀の煉瓦積みは宇部では「桃色レンガ」と呼ばれるもので、石炭ガラ(燃えカス)と石灰を混ぜて焼かずに天日で乾かして作った煉瓦だそうです。

万訪 10月 6日(土) 18:55
写真忘れた。

万訪 10月 6日(土) 18:56
こちらは琴芝駅の北側の古い住宅地。確かに桃色です。

万訪 10月 6日(土) 19:01
これらの住宅地は、工業都市化と共に形成された住宅地と思われますが、同時に非戦災地区でもあります。戦前の平屋建の住宅が結構残っていました。
さて、ここからはJR宇部線の南側の平らな街を歩きます。宇部新川駅の南から東へ延びる商店街。駅前の旅館街あるいは宇部興産Gの工場との間に形成された歓楽街。非戦災地区のため、意外にも戦前の建物が残っています。

万訪 10月 6日(土) 19:03
さらに東へ進み、まじめ川を越すと新天街というアーケード街。いわゆる戦災復興商店街です。

万訪 10月 6日(土) 19:06
アーケード街は商店街ですから、基本物販店舗が並びます(シャッターだらけでしたが)。そこから枝状に分かれた狭いアーケード街がありました。飲食店街ですが、もう半分がゾンビ化しています。

万訪 10月 6日(土) 19:08
アーケード街を東へ抜けると錦町。昭和33年以前までは遊郭だったエリアで、レッドライン時代の残照がありました。

万訪 10月 6日(土) 19:10
また写真忘れた。↑

万訪 10月 6日(土) 19:13
最後は、レッドラインの隣にあった夜の飲食店街、いわゆるブルーラインと思われます。ここで力尽きました。
企業城下町らしいネタがあまり見出せなかったかな。


七ちょめ 10月 6日(土) 19:20
宇部興産の企業城下町。宇部興産は懐かしい名前というより、私が今住んでいる家が宇部興産のPCコンクリート製の宇部ハウスなんです。もう40年ほど前えの製品ですが。


七ちょめ 10月 7日(日) 09:43
今日は孫右衛門さんとのミニオフ会で瀬戸内の島探訪ですね。
天気も良さそうだし、十分に楽しんで下さい。

孫右衛門 10月 7日(日) 21:17
八島はビックリするような集落でした。景観的には違いますが祝島にも匹敵するという意見も出ました。
祝島と香川県高見島を足して2で割ったようなところともいえましょうか。
野村万訪さんの探訪計画ですので私からは写真の掲載は差し控えますが、万訪さんからレポートがあるでしょう。
一人で訪ねるにはなかなか思い切れない島でしたので、訪ねる機会を与えてもらって感謝いたします。
p1135141-ipngn200708niho.hiroshima.ocn.ne.jp
1790: 地震 Kさん 6月18日(月) 10:10
大阪府北部を震源とする震度6弱の地震がありました。
我が家はコップが2つ割れただけの被害に止まりましたが、茨木市は交野市より揺れが大きかったようです。
七ちょめさんお宅は丈夫そうだから安心していますが、家の中は少し大変かも知れませんね。お見舞い申し上げます。

孫右衛門 6月18日(月) 10:31
交野も震源に近いですが、ご無事と聞いて安心しました。震源を聞いてすぐに七ちょめさんとKさんのことを思いました。
twitterでつながっている人についてはおおよそ無事とのことですが、なかなか仕事が手につきませんね。

Yasuko 6月18日(月) 11:54
大阪で地震とおききして心配しております。Kさんはご無事のご様子安心しました。七ちょめさんお見舞い申し上げます。大丈夫ですか。


七ちょめ 6月18日(月) 19:24
ご心配をお掛けしました。家も体も大丈夫ですが、室外も室内も相当遣られました。
一日掃除しました。
電氣・水道は来ているのですが、ガスは止まったままです。台所は電気ですので、調理はできるのですが、風呂はガスですのでダメです。
外付けのハードデスクの一台が派手に机から落ちましたが、壊れてないようで一安心です。

七ちょめ 6月18日(月) 19:25
その2

七ちょめ 6月18日(月) 19:26
その3

七ちょめ 6月18日(月) 19:26
その4

七ちょめ 6月18日(月) 19:27
その5

七ちょめ 6月18日(月) 19:32
その6


七ちょめ 6月18日(月) 20:00
まあ、台所の食器は相当割れましたが、単価はしれていますが、応接室のシャンデリアが多分ダメになったのが痛いです。まあ、40年ほど経過して腐食も進んでいるので仕方ないかと諦めます。玄関の簡単なシャンデリアは阪神大震災では大被害だったのですが、今回は大丈夫のようです。
思案するのは、蒸篭造りの土蔵です。約5cmほど基礎の石の上からズレたのです。
修復するには多額の費用が掛かるし、取り壊しか、別の蔵を建て替えるか、そのままほって置くかですが、中にはガラクタしか入ってないので、簡単なのは取り壊しですね。
それでも取り壊し費用は100万円では済まないでしょうね。

Kさん 6月18日(月) 21:09
七ちょめさん宅は想像以上の被害ですね。お見舞い申し上げます。

同じ大阪府北部でも淀川を挟むだけでずいぶん違いますね。阪神大震災の時、川一つ隔てた尼崎市と大阪市の被害の違いに驚いたものでした。

孫右衛門 6月18日(月) 21:22
茨木市内の神社の塀が倒れている様子がSNSで繰り返し流れてきて、これは大変だと思いました。
ご無事で何よりですが、ご自宅の内外ともに大変ですね。
平穏な生活が一日でも早く取り返されることをお祈りするばかりです。


万訪 6月19日(火) 14:02
七ちょめさん、お見舞い申し上げます。怪我とかなされなかったのでよかった。しかし、6弱だと結構棚のものが落ちるのですね。気をつけなければなりません。
蔵がズレたとのこと。5cmであれば出っ張った下を補強して直せないですかね。

万訪 6月19日(火) 14:02
七ちょめさん、お見舞い申し上げます。怪我とかなされなかったのでよかった。しかし、6弱だと結構棚のものが落ちるのですね。気をつけなければなりません。
蔵がズレたとのこと。5cmであれば出っ張った根太の下を補強して直せないですかね。

七ちょめ 6月19日(火) 16:03
我家の蒸篭藏は割に珍しいものと父親から聞きました。、
長野県等に多い蒸篭藏とは造り方は同じ様ですが、構造材は大きく異なるようです。
詳しく確認した訳では無いですが、幅30cm・長さ5〜6m位・厚さは確認できませんが10cm位の角材を、下から横に積み上げて組み上げて行くのです。今のログハウスと同じ積形です。

四隅に柱が入っているとは思いますが、内側からは確認できません。
阪神大震災で全体が、少し南に傾き、今回の地震で北西部分が南に5cm程ずれ、南東部分の、一階と二階部分の継ぎ手部分が少し膨らんだ状態になってしまいました。多分柱の部分がダメになっているのだと思います。

料理屋などの館として、鉄骨を組み上げて、長方形の大きな木材を利用することがかんがえられますが、自分ではどうにもならないし。解体屋さんで解体するか、工務店で再利用の方法が無いかのどちらかでしょう。

万訪 6月21日(木) 03:37
茅野市湯川の板倉ですが、こういう感じでしょうか。うまく治ると良いですね。

七ちょめ 6月21日(木) 09:48
長野県の蒸篭藏は万訪さんの画像のようですが、我が家の内部からの写真です。
柱は見当たりません。梁も壁の木材に乗っています。
壁の木材は長さ5m位×幅40cm位×厚み10cm程のものが、四方に積まれています。建てられてから100年は遥かに超えていると思います。土蔵内にいると何処が悪いのという感じですが、建物が腰折れになっていて、随分傾いています。
解体を考えていますが、さて、何時解体するか???


七ちょめ 6月21日(木) 09:50
外からみても、良く見ないと何処が悪いのという感じですが、傾いていますね。
土蔵もですが、早くガスが復旧しないかなあ!!電気や水道が止まるよりは「まし」ですが、それでも今日で4日目のガス無し生活。困ったものです。
広範囲でガスが止まっているので、コンビニやスーパーに行っても弁当などが売ってなかったのですが、昨日位から弁当類がコンビニに揃うようになりました。


万訪 6月21日(木) 13:29
蔵内部の壁材は構造体ではなさそうに見受けられます(校倉造のように材が隅で嵌合していない)。柱梁が板壁の外側にあって、この板材は貫のように柱同士を面状に固める役割ではないでしょうか。そうだとすれば、平行四辺形のような変形は抑えられていると考えられますね。変形量が許容範囲であれば、基礎との関係だけ治せばいけるかも。
この蔵は町並み的には重要な景観要素ですね。

七ちょめ 6月21日(木) 13:57
外側に柱があるとすれば、普通の土蔵の柱の内側に厚い板を入れて、構造材が菱型になるのを防いでいる工法でしょうね。
何も重要なものが入ってない土蔵です。どう見ても修理に1000万円位は必要でしょう。取り壊しでも200万円程度、このまま横から雨水が入らないように応急修理で50万円と見ています。
屋根は30年程前に本瓦で葺き替えましたので、今回の地震でも大丈夫だったのですが。
可能性が高いのは取り壊しでしょうね。

Kさん 6月22日(金) 07:02
蔵も大変ですが、ガスもご苦労ですね。温かい料理が作りにくいし、風呂にも入れない。早く回復するといいですね。交野市はおかげさまでインフラはすべて大丈夫でした。避難所を近くの小学校に開設したそうですが、「利用者はゼロ」とラジオで言っていました。

七ちょめ 6月22日(金) 08:40
近くの公園で、自衛隊によって「六甲の湯」と称した仮設の風呂が設営されています。昨日は阿部内閣総理大臣が視察に来ていました。
近所の方も入ってきたという人が多くおられます。
私は地域の役を全て下りたので、関係ないですが、引き継いだ地域の役員さん達は動員で大変のようでした。
我が家は偶然に台所は電気にしていましたので、食事には困りませんが、風呂は大変で、台所で湯を沸かして風呂に持ち込み身体を洗っています。
台所がガスの方は大変です。

七ちょめ 6月22日(金) 15:57
今日午後、やっとガスが開通しました。これで悠々と風呂に入れます。
よかった。よかった。

昨日、所用があり隣の市の枚方市を車で走ったのですが、ブルーシートを屋根に張った家を殆ど見かけなかったのですが、隣の茨木市の我家の近くでは、軒並み屋根にブルーシートが掛けられています。我が家も皆様に倣ってじゃないですが、業者に頼んで一部ブルーシートで雨を防ぎました。

Kさん 6月22日(金) 18:49
ガスの復旧良かったですね。
私も19日と今日22日に京阪電車に乗りましたが、枚方ではブルーシートは見えませんでした。テレビでは枚方の公衆浴場の煙突が折れたニュースを流していましたが、淀川の向こうとこちらではずいぶん被害が違ったようですね。

万訪 6月23日(土) 08:34
ガスが復旧してよかった!やはりガスは復旧が遅れますね。地域の皆さんはさぞ安堵されたことでしょう。

孫右衛門 6月23日(土) 09:09
土蔵の問題などはあるようですが日常生活を大分回復されたようでひと安心ですね。
ネットでつながっている高槻市の人も昨日外に風呂に入りに行かなくてよかったと安堵されてました。今朝ニュースでやってましたが一戸一戸確認しながら再開するので時間がかかるようですね。

七ちょめ 6月23日(土) 11:29
普段家に居られるお宅は開栓されていますが、昼留守にされているお宅はガスが開通していません。
大阪ガスの関係者が開栓に来た時に、偶然家に居られた家はガスが使えますが。
まあ、最初のガス開栓と同じです。

辰巳屋 6月23日(土) 21:43
毎日のニュースでは、日を追うごとに被災状況は増すばかりで、昨日あたりからライフラインが復旧しつつあり、幾分安心できる状況になったのではないかと思います。
しかし、ブルーシートを覆った住宅も多いとの報道もあり、これからが、復旧の本番かもしれません。
七ちょめさんも、大変でしたね。途中、七ちょめさんお画像を見て、声をかける言葉もありませんでした。
土蔵の課題もあるようですが、ガスの復旧で、ひとまず平穏な生活を取り戻せたことと思います。
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1789: オフ会前後レポート 孫右衛門 6月15日(金) 22:02
1週間前は既に出発して今頃秩父の旅館でしたので、早いものです。
私の個人的探訪部分の概略を報告しておきます。
まず池袋から西武線で飯能を訪ねました。町並度は甘めに見て4でしょうか。
4評価も、というのは連続性はないものの質的に良い建物が残り、また商店街の佇まいなどに昭和の面影も濃かったことが一因です。
この出桁商家建築が公開されていたので、中で案内の方とも色々お話しました。このような重厚な商家をはじめ商店が連なっていたとのことです。
訪ねられた方の写真をみると、この左側に平入りの建物が見えますが、更地になっています。

孫右衛門 6月15日(金) 22:14
飯能から秩父盆地に入る前にある吾野宿、秩父鉄道の西側の終点である三峰口から徒歩で訪ねられる贄川宿の2つの宿場町を訪ね秩父に宿を取りました。宿は幹線道路沿いから5分余り歩いた閑静なところにある「だいます旅館」で、創業100年といわれる老舗旅館でした。料理屋であった時期もあったとのことですが、外観上・内部ともに伝統的な感じはそれほど受けません。しかし随所に古い旅館であることが伝わってくる風景がありました。

孫右衛門 6月15日(金) 22:18
秩父の町並は先に投稿した秩父神社門前のほかにも、商家建築が連なり裏手にも味わいのある町角風景があって、泊ってじっくり歩けてよかったと思いました。

孫右衛門 6月15日(金) 22:23
翌日は秩父鉄道で寄井に出、寄井・児玉と八高線沿線の町を歩き高崎へ。ここではやや範囲が広いので一番遠い旧中山道沿いの常磐町までタクシーを使い、そこから徒歩で戻る作戦としました。
町の風景としての伝統的な姿は風前の灯といった感じを受けましたが、昭和レトロ商店街に癒されました。

孫右衛門 6月15日(金) 22:28
その後万訪さんYasukoさんと落ち合い三国街道の宿場町などを巡りました。
利根川上流域は雄大な地形というのがやはり印象に残りました。河岸段丘上の市街地を象徴するこの階段はやはり印象的でした。その上にある坂道の方が長く、私も登り甲斐がありました。

孫右衛門 6月15日(金) 22:40
最終日に訪ねた富岡製糸場は、それでも世界遺産登録のほとぼりが少し冷めた頃合だったのかもしれませんがまあ世界遺産=観光資源という認識のわが国ではしょうがない部分もあると思いました。しかしこのような風景に接することができたのは良かったです。純粋に建物だけ見ても十分価値があります。

辰巳屋 6月17日(日) 05:45
飯能市の店蔵は、公開されているのですか。私は未訪問ですので、一度見学したいですね。秩父方面と合わせて訪問したいです。

富岡製糸場は、昨年、訪問しましたが、改装中のエリアが多かったようです。地元の皆さんは、やる気満々で、ガイドの皆さんも、意欲的でした。なによりも、この製糸工場が、現在まで、保存されてきたことに感動いたしました。

孫右衛門 6月17日(日) 17:50
最終日は富岡製糸場を訪ねなければ小川町や越生、東松山を訪ね、さらに川越を再訪する予定にしていましたが、こういう機会が無かったら製糸場は訪ねず仕舞いになっていたかもしれませんね。
私は利用しませんでしたがガイドツアーもありました。
言われるように工事中の箇所があるのが少々残念でしたがそれでも満足でした。
飯能の店蔵は案内の方も常駐されています。今回、思いがけず公開されたり外部の客を受け入れる体勢を整えている建物を何軒か見ました。
これは秩父往還沿いに残る昔の商人宿を利用した「ほっとすぽっと秩父館」という拠点施設です。

辰巳屋 6月18日(月) 05:14
秩父には、随分と古い公開されている建物があるのですね。調べてみるとこの建物は、明治時代初期に建築された商人宿「秩父館」を改装したもののようです。まだ、秩父のことを詳しくは調べていないのですが、是非、訪問したいと思っています。
秩父の養蚕農家にも興味があります。
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