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2066: 長崎に行きました 辰巳屋 3月 8日(金) 17:50
先週になりましたが2月25日(日)から3月2日(土)まで長崎に行きました。

到着した日が「長崎ランタンフェスティバル」の最終日で、大変賑やかな日に着きました。

今回の訪問は、ほとんどが長崎市内と周辺の小さな港町(崎戸、崎戸本郷、野母崎樺島、茂木など)、長崎街道の宿場町(日見宿、矢上宿、松原宿、千綿宿、彼杵宿、嬉野宿、塩田宿、肥前浜町など)で、2011年に訪れたままでしたので、13年ぶりの訪問になります。

画像は、ランタンフェスティバルの様子です。

辰巳屋 3月 8日(金) 18:36
丸山町・寄合町にも行きました。丸山本通りから長崎検番と花月の間の梅園通りは、旧歓楽街の雰囲気が残っています。

辰巳屋 3月 8日(金) 18:39
寄合町の坂道(寄合町通り)にあった古い建物は、立て替え(工事中)になっていました。
現在、建物は取り壊され、工事中でした。

辰巳屋 3月 8日(金) 18:40
私は、この建物が好きだったのですが、やはり建物の老朽化は止むを得ないものなのでしょうね。画像は、昔の画像で、趣のある建物でした。

辰巳屋 3月 8日(金) 18:42
画像は、塩田宿です。街並みも整備修景され、陶土の廻船問屋で栄えた旧西岡家を見学しました。平成17年(2005)に選定され、私が訪問したのは、2010年でしたので、前回訪問から14年経過していました。

Yasuko 3月 8日(金) 19:14
長崎は何度か行ったことがあります。大好きな町です。ランタンフェスティバル一度は行きたいなと思ってもなかなか、出かけられず、この度行かれたとお聞きしていいなあとうらやましいです。見覚えのある建物もあります。段々なくなってしまうんだろうなと寂しい気持ちになります。九州是非まわってみたいです。

孫右衛門 3月10日(日) 11:56
長崎は特に投稿されている長崎市についてですと中学校の修学旅行で訪ねたのが最初で、その後ドライブ旅行、町並探訪目的でそれぞれ1度訪ねていますが、まだ町を全容を掴んでいるとは言い難いですね。
特異な歴史を歩み、また全国でも屈指の斜面上住宅地が展開し、町として様々な顔が見られ訪問のテーマは尽きないところですね。
次回は、ほぼ未踏である島嶼部も目的として訪ねる時になるでしょう。

万訪 3月14日(木) 07:12
辰巳屋さんの長崎県といえば、佐々あたりの木造3階建てを紹介されたのがすごく印象に残っています。長崎市内の町並みは結構変わりましたね。川の上のバラック市場なんかも無くなりましたし、館内町もかつての面影がかなり薄れています。でも、坂のまち長崎ですので、地形や坂道は昔ながらです。
私は今日から佐世保です。高島、池島再訪と佐世保の斜面上住宅地を歩きます。後半は大分へ移動し、津久見周辺の島を巡ります。
ec2-3-112-54-226.ap-northeast-1.compute.amazonaws.com
2021: おめでとうございます。 七ちょめ 7月29日(金) 15:34
YouTube投稿を続けられていた太泉八雲さんが、第一関門のチャンネル登録者1000名突破を達成されました。オメデトウございます。

素晴らしい映像を発信されているのに感動・感心しています。
早朝の暗いうち、夕方暗くなってからの撮影、お見事な撮影と思います。
それだけの努力は大変なものと思っています。

何時も拝見していて、上手撮影だなあと感嘆!!

おめでとうございます。


万訪 7月31日(日) 16:27
おめでとうございます㊗️
そろそろと気にしていました。おうだい達成ですね。映像に対する技術やこだわりもさることながら、いつも重装備での撮影、本当に頭が下がります。

太泉八雲 8月15日(月) 15:50
七ちょめさん、万訪さん
コメントへの返信おそくなりました!
ありがとうございました。
YouTubeを初めてちょうど2年目になります。
動画の数もようやく100本に到達できる目処が経ちました。
後発なので差別化で腐心していますが、方向性が少し見えてきたように思えます。
ただ、他にもやってみたい事はありますので、1000本を機会にサブチャンネルも検討しようかと思います。
p1929215-ipngn201116fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
2011: 思わぬ楽しみ 七ちょめ 3月30日(水) 14:05
思わぬ楽しみ
コロナ禍・家内の事情・老化などで遠方へ出かけることを控えていますが、何かをして楽しみたい。
動画も新しく撮影したもので、YouTubeのチャンネル登録も少しは増えましたが、静止画では見向きもされません。

でも、最近新しくフイルムスキャナーを買って20年〜25年も前に撮った古い町並写真をスキャンしてYouTubeで公開するのを始めました。チャンネル登録者は殆ど増えませんが、思わぬ楽しみを見つけました。

古い町並の撮影を始めたのは1996年で、フイルムカメラからデジタルカメラに変更したのは2003年でした。
「いらかぐみ」の初回開催(2003年5月)の祝島では、デジタルカメラを主にフイルムカメラも使っていますので、その頃にカメラの切り替えをやったようです。

フイルムカメラを使用していた時は、まだ、いらかぐみの皆様との出会いもないし、半日一ヵ所の町並探訪でのんびりしたものでした。一泊二日で訪ねても4ケ所程度の探訪でした。よって今でも町並の様子や印象をよく覚えています。
その印象深い町並を、今回のフイルムスキャンによって、思い出や印象が蘇ってきました。フイルムをスキャンをしながら、過去にさかのぼって楽しんでいます。

フイルムで撮った古い町並は約200ケ所あり、当分は楽しめそうです。
そして、ビックリしたのは、フイルムスキャナーの性能が良くなったことです。25年程前と20年ほど前にそれぞれフイルムスキャナーを買っていますが、その当時のものとは比較になりません。まあ、デジタルカメラも進化しましたのフイルムスキャナーも進化して当然といえば当然ですが。

万訪 3月30日(水) 15:32
七ちょめさん、先程メールをさせていただきましたので、ご確認ください。
最新のフィルムスキャナーはそんなに良いですか!私もサイトを始める前に、昔のフィルムやスライドをスキャンしていますが、解像度が悪く見せるに耐えられません。
七ちょめさんが静止画をYoutubeにアップされていますが、実は私も始めようかと思っていたところでした。「集落町並みの歩き方」と題して、スライドを見せながら解説するような動画です。作り込むと大変なので、BGMなしで、写真をめくりながらナレーション解説して、一つの動画で5分程度にまとめるイメージです。
七ちょめさんの古い写真の動画、参考にさせていただきます。

万訪 3月30日(水) 15:32
購入されたスキャナーの品番を教えてください!


七ちょめ 3月30日(水) 20:46
最近購入したスキャナーは
Plustek OpticFilm 8100 フイルムスキャナーというスキャナーです。
買ったのはアマゾンで、価格は30100円でした。
8200という上位のスキャナーもありましたが、これは49000円程だったと思います。
どの程度のデジタル化できるのか判りませんので、下位の物を買いましたが、今になれば上位の物を買っておけば良かったかも知れません。
スキャナーの性能は良くなっていますが、フイルム現像時の段階で、良く水洗出来てないフイルムは劣化が激しく、どうすることもできないのが気になります。
多分中国製の商品だと思います。日本語の説明も付いていました。

メールの返信を致しました。ありがとうございました。


万訪 3月31日(木) 00:00
ありがとうございます。私も購入を検討します。
221x240x45x58.ap221.ftth.ucom.ne.jp
2004: 横浜白楽の六角橋仲見世 urano 1月23日(日) 09:55
ご無沙汰しております。新年のご挨拶もいたさずに大変失礼しました。本年もよろしくお願いします。
さて、ここのところ古い町並みめぐりから遠ざかってしまいましたが、先日、仕事で横浜へ行った折、白楽駅(神奈川区)西口の商店街に並走する「仲見世通り」を歩いてきました。
白楽へは仕事やプライベートで6回ほど行ってますが、こんな道があったなんて知らず、驚いた次第です。
万訪さんは2014年に歩かれてますね!(ブログ拝見しました)
wikipediaにも比較的細かい説明があって、2011年には空き店舗ゼロだったとのこと。
ただし、万訪さんの写真と比べると、この8年間でシャッターが増えたのではないかと思います。

urano 1月23日(日) 09:55
商店の正面はだいぶ直されていますが、このように、ほとんど手が入っていないと思われるお店もありました。

urano 1月23日(日) 09:56
ファイル選択忘れです。

urano 1月23日(日) 09:57
仲見世と駅前の六角橋商店街を結ぶ、長さ10メートル足らずの路地が何本かありました。

urano 1月23日(日) 09:59
今回はスマホで撮影しましたが、ここは広角レンズが必須ですね。
なお、こんな狭い道ですが、ストリートビューはしっかり入っています。

万訪 1月25日(火) 02:12
Uranoさん、本年もよろしく!白楽へ行かれましたか。私も半年くらい前に行きました。確かに店は減っていますね。実はこの町、来年度から通うことになります。この商店街を通り過ぎて大通りを渡り、丘を上ると天辺に神奈川大学がありますが、今年4月から週の半分をそこに勤める(兼業)ことになっていますので。
この商店街は、神奈川大のお膝元ですので、レトロ感を残した改装など、神奈川大の建築学科の先生が協力したりしています。来年度からは私も携わることになるでしょう。楽しみです!


七ちょめ 1月25日(火) 13:00
勝手にいらかぐみを退会したと云っている「七ちょめ」がコメントするのは気が引けますが!!
万訪さん、神奈川大学が来期から新設する建築学科の先生に就任されるのですね。兼業と仰ってますが、週の半分とは凄い。どう言えばよいのか、やはり
「おめでとう」でしょうね。定年後は長野県で過ごしたいと仰っていたことが、有利に動くようになりましたね。

私は今日朝から枚方市茄子作集落を訪ねて動画撮影してきました。10日程前には滋賀県の五個荘町山本を訪ねました。長浜オフ会の後に訪ねたところです。他に数か所訪ね動画撮影しました。その前は岐阜県の南西部を訪ねていて、まあ、ちょこちょこと近場を訪ねています。
動画の撮影も機材、撮影など、機材も大体決まったし、撮り方も決まって負担に成らなくなりました。

ユーチューブも古い町並じゃあまり登録者も伸びません。と思います。もう少しで1千人ですが、最近は増えれば減って同じ数字のままです。収益化はしないつもりだから登録者が増えなくとも良い様なものですが、やはり数字が伸びるのを期待しますね。

コメントしない積りでしたが、万訪さんのことでコメントし、序に私のこともちょっと。

M014010098160.v4.enabler.ne.jp
1921: 椎葉に行きました 辰巳屋 11月21日(木) 06:22
宮崎滞在中には、椎葉に行き、椎葉、不土野、十根川に行きました。
椎葉の中心地には、鶴富屋敷を中心に、「つるとみ通り」という街並みがあり、「椎葉銀座」などという副題も付いていましたが旅館の多い通りのように思いました。

椎葉に行く途中には、「西の正倉院」を中心とした「百済の里」で地域おこしをしている美郷町南郷神門を訪問しました。

画像は、上椎葉の遠景、左山手に鶴富屋敷があります。

辰巳屋 11月21日(木) 06:24
画像は、鶴富屋敷です。

辰巳屋 11月21日(木) 06:29
画像は、「つるとみ通り」です。

この地域では最大の街場です。旅館・民宿・お土産店・スーパー・酒店・スナックなど揃っています。

Kさん 11月21日(木) 07:10
椎葉まで入られましたか。私も九州時代に一度、訪問しましたが、スケッチはなし。写真も撮っていないので、記憶も曖昧です。また行ってみたい。

七ちょめ 11月21日(木) 09:50
椎葉も五家荘などの九州の秘境は訪ねていませんね。行ったのは日之影町を2回訪ねたくらいです。そういえば高千穂峡も行ったことない。
訪ねる気になれば行けないことないとはおもいますが。古い旅館でも現役で営業されていると可能性は大きいのですが。

辰巳屋 11月21日(木) 12:08
椎葉を訪問するのは、大変な道です。現在は、道路もかなり改良されています。観光バスも来ています。毎年11月には、椎葉平家まつりが行われています。

椎葉には、老舗旅館風なものは、残念ながらありませんでした。やはり椎葉にやってくる旅人は山林資源を取引する人々の旅館なのでしょうか。

画像は、美郷町南郷神門の西の正倉院です。百済王族の伝説があり、百済王族の遺品といわれる二十四面の銅鏡が残されています。また、奈良の正倉院と同一品を含む、貴重な文化財が存在することから計画された博物館です。

七ちょめ 11月21日(木) 15:12
西の正倉院ですか。奈良の正倉院とよく似てますね。
椎葉村に観光バスが!!
道路が随分整備されたのですね。

孫右衛門 11月21日(木) 23:20
辰巳屋さんの挙げられた中で、重伝建地区に指定された十根川集落は訪ねていると思いましたがこれが椎葉村に属していましたね。鶴富屋敷も何だか見覚えがあると思い私のサイトを見返すと那須家住宅としてUPしていました。
それにしても宮崎県は遠いですね。飛行機で入れる東京からの方がよほど近いでしょう。鉄道の旅ではもちろん訪ねていましたが、町並探訪としては全国で宮崎県が一番最後になりました。この十根川などを訪ねたのが2011年で、宮崎県初探訪の時でした。

辰巳屋 11月22日(金) 10:02
椎葉へは、私は2度目なのですが、前回は、約20年も昔のことで、十根川の巨樹を目当てに訪問しました。九重・阿蘇から高千穂・椎葉・西米良と九州山地を縦走する旅行でした。
西の正倉院は、正倉院の図面を元に、屋根瓦や柱などのすべての部材や瓦の葺き方まで、奈良正倉院と寸分の違いもなく再建されたようですよ。

南郷神門には、明治から大正にかけては、企業家や商人が出入りし、街並みを形成していたようですが、現在は、古い建物では地元で「駐車場」と呼ばれる原田邸が残っているだけになっています。
画像は、神門の街並みです。左手が原田邸です。
120050198241.mcat.ne.jp
1825: 企業城下町を歩く 宇部 万訪 10月 6日(土) 18:42
企業城下町あるいは戦災復興と非戦災地区が入り乱れる「宇部」を歩きました。ご存知、宇部興産の企業城下町。炭鉱で開発され、その後も工業都市として発展しました。
最初の画像は埋立地に続く宇部興産専用道路。特にゲートがあるわけでもなく、ズンズン入れますが、途中から妙な遮断機が表れて、鉄道ではなく、材料?を積んだ重連のトラックが走り回る。その先は入れませんでした。

万訪 10月 6日(土) 18:50
宇部の町の中心駅は、山陽本線の宇部駅ではなく、宇部線の宇部新川駅です。宇部新川駅から東へこと琴芝駅・東新川駅・宇部岬駅と続きますが、それらの南側(海側あるいは工場側)が商業地、北側が住宅地という都市構造になります。
まずは駅近くの「宇部市民会館」にクルマを停めて、建物を拝みました。村野藤吾設計の昭和戦後の名建築ですが、じっくり外観を見廻しました。やっぱスゲーと感激。何がスゲーのか、ここでは書ききれませんが、ココロに響きます。

万訪 10月 6日(土) 18:54
宇部新川駅から北側は起伏のある地形で、丘の上下に住宅地が開発されました。ここは古い住宅地。塀の煉瓦積みは宇部では「桃色レンガ」と呼ばれるもので、石炭ガラ(燃えカス)と石灰を混ぜて焼かずに天日で乾かして作った煉瓦だそうです。

万訪 10月 6日(土) 18:55
写真忘れた。

万訪 10月 6日(土) 18:56
こちらは琴芝駅の北側の古い住宅地。確かに桃色です。

万訪 10月 6日(土) 19:01
これらの住宅地は、工業都市化と共に形成された住宅地と思われますが、同時に非戦災地区でもあります。戦前の平屋建の住宅が結構残っていました。
さて、ここからはJR宇部線の南側の平らな街を歩きます。宇部新川駅の南から東へ延びる商店街。駅前の旅館街あるいは宇部興産Gの工場との間に形成された歓楽街。非戦災地区のため、意外にも戦前の建物が残っています。

万訪 10月 6日(土) 19:03
さらに東へ進み、まじめ川を越すと新天街というアーケード街。いわゆる戦災復興商店街です。

万訪 10月 6日(土) 19:06
アーケード街は商店街ですから、基本物販店舗が並びます(シャッターだらけでしたが)。そこから枝状に分かれた狭いアーケード街がありました。飲食店街ですが、もう半分がゾンビ化しています。

万訪 10月 6日(土) 19:08
アーケード街を東へ抜けると錦町。昭和33年以前までは遊郭だったエリアで、レッドライン時代の残照がありました。

万訪 10月 6日(土) 19:10
また写真忘れた。↑

万訪 10月 6日(土) 19:13
最後は、レッドラインの隣にあった夜の飲食店街、いわゆるブルーラインと思われます。ここで力尽きました。
企業城下町らしいネタがあまり見出せなかったかな。


七ちょめ 10月 6日(土) 19:20
宇部興産の企業城下町。宇部興産は懐かしい名前というより、私が今住んでいる家が宇部興産のPCコンクリート製の宇部ハウスなんです。もう40年ほど前えの製品ですが。


七ちょめ 10月 7日(日) 09:43
今日は孫右衛門さんとのミニオフ会で瀬戸内の島探訪ですね。
天気も良さそうだし、十分に楽しんで下さい。

孫右衛門 10月 7日(日) 21:17
八島はビックリするような集落でした。景観的には違いますが祝島にも匹敵するという意見も出ました。
祝島と香川県高見島を足して2で割ったようなところともいえましょうか。
野村万訪さんの探訪計画ですので私からは写真の掲載は差し控えますが、万訪さんからレポートがあるでしょう。
一人で訪ねるにはなかなか思い切れない島でしたので、訪ねる機会を与えてもらって感謝いたします。
p1135141-ipngn200708niho.hiroshima.ocn.ne.jp
1774: 陸奥・陸中の探訪 孫右衛門 5月 3日(木) 11:35
昨日遅くに帰宅しました。盛岡を起点に5日間に及ぶ探訪で、初日から2日目は一戸・二戸周辺から始めて下北半島の大湊まで、その後1日半で下北半島を時計回りにめぐりながら最終日は八戸から往路より海岸よりを南下するというルートでした。
東北地方では最後に残った町並としての探訪空白域で、盛岡を基点に岩手県の北端付近と青森県の東半分だけですが、走行距離は1000km近くになりました。下北半島のせいでしょう。
前半の町並から、まだ訪ねた方が少ない二戸市浄法寺(旧浄法寺町)です。鹿角街道沿いの町で塗り物でも有名なところとのことです。

孫右衛門 5月 3日(木) 11:46
三戸町泉山地区。もと茅葺と思われる大型トタン屋根の集落で、中心に東北北部で良く見かける消防の鐘楼が印象的でした。
農村集落系はここのほか新郷村の西越地区も訪ねました。今回はuranoさんのサイトを随分参考にさせてもらいました。

孫右衛門 5月 3日(木) 13:01
下北半島陸奥湾沿いの川内の町並。かつては北前船も立寄るところだったそうで、写真のような船問屋や商店ばかりだったと、たまたま通りかかった年配の人が教えてくれしばらくお話しました。

七ちょめ 5月 3日(木) 13:12
北東北の探訪からお帰りなさい。有意義な日々だった様ですね。
盛岡から出発だったのですね。
下北半島を回られた様で、羨ましいです。私は何回青森県を訪ねても、何時も下北半島は能率が悪いのでカットしていました。
次回の青森県探訪でもカットですので、多分今後もダメでしょうね。

孫右衛門 5月 3日(木) 13:14
下北エリアではむつ市大湊地区、川内地区、脇野沢地区、西岸の佐井村、風間浦村下風呂、大畑町の町並を訪ね、2泊したお蔭で途中に仏ヶ浦と恐山を観光、下風呂温泉郷の共同浴場に入るなど観光要素を組み込むことができました。
今回1泊以外は旅館に泊り、初日は岩手県最北部の金田一温泉、3日目に下北半島の薬研温泉、4日目は八戸の新むつ旅館でした。
その中で薬研温泉の薬研荘について記しておきます。
この玄関の外観から、古びた簡素な印象で実際そうでもあるのですが、ここの女将さん、周囲の山野から山菜やキノコを毎日自ら採って歩き、手作りで提供されるのです。非常に手の込んだものでした。実際泊った方や口コミなどをみてもその点が非常に評判のようです。もっと宣伝しても良いものと思うのですが、全8室の小さな宿のこと、手を広げない方がよいでしょうね。

孫右衛門 5月 3日(木) 13:35
下北半島は当初1泊のみの予定でしたが行程を詰めてみるとどうしても相当な駆け足になってしまうため、盛岡に向かって車を借りて泊るだけの予定を前倒しし半島で2泊することにしたのです。特に西岸部の交通の便が悪く、時間がかかりますね。
七ちょめさんの次回の予定も津軽地方が中心とお聞きしていますので、組み合わせるのは困難を伴いますね。

それから新むつ旅館はやはり玄関を入って眼に飛び込んでくる階段と廊下が大変見応えありますね。同じもと遊郭建築の旅館では萩の芳和荘がありますが、独特さではそれに匹敵するものを感じます。女将さんも高齢を迎えており跡継ぎもいないとのことで、今後が心配です。この建物を譲ってほしいという方(団体?)もいるとちらと言われていましたが。
当日満室だったのです。他はご夫婦一組と30代くらいの男性3人組、女性のひとり客でした。宿帳を見ると結構若い人から幅広い客層のようです。七ちょめさんの名前もありました。
女将さんは七ちょめさんのことを覚えて居られないようでしたが、よろしくとおっしゃっていました。

七ちょめ 5月 4日(金) 08:55
新むつ旅館に限らず、古い旅館の後継者の問題は、何処でも困っておられますね。
私の泊まった時は、他に常連客の60歳位の夫婦でした。東京のどこかでパン屋のチェーン店を経営しているとのことで、そのお客さんの部屋に招かれて、持参して来たお茶を頂きました。こんな経験も初めてでした。年に2〜3回はこの旅館に泊まっているとのことで、女将との会話も友達の様でした。お土産にパンを頂きました。でも、この夫婦の常連客は、夕食も朝食も旅館でしませんでしたので、旅館で食事したのは私一人でした。その食事時には、女将とそっくりな娘さんが主になって働き、女将は私の話し相手になって、食事場所の端の椅子に座っておられました。話し好きで明るい女将でしたね。

孫右衛門 5月 4日(金) 21:36
新むつ旅館の女将さんは話好きですね。ただ、私がごめんくださいと宿に入った時二階に居られたのですが、口は饒舌ながらも足腰を気にされながら階段から降りてこられる様子を見て現役旅館としては長くは続かないのではと少し心配になりました。
娘さんが手伝われているとはいえ跡継ぎではないとのことですし。周囲は普通の住宅地、今となってはこの旅館建築が残っている方が滑稽に感じるほどです。何とか残してもらいたいものです。
八戸では朝市も魅力的ですね。生物は買えないですが郷土料理イチゴ煮の缶詰を土産用に求め、名物だという倉石牛のコロッケを買いました。
振り返ってみると古い町並の観点ではそれほど群を抜いた収穫はありませんでしたが、宿や食事や風物などに触れた良い旅になりました。

七ちょめ 5月 5日(土) 10:29
皆さんからの反応が無いですね。休みで忙しいのでしょう。孫さんと二人の掲示板としましょう。
私、7月初旬に青森県の旅館に2泊するのですが、青森・弘前・黒石辺りで、適当な探訪する町並が無いのです。
一応弘前市上白銀町の寺院群、大鰐温泉、鶴田町大柱の茅葺家屋は調べたのですが。

そんなんで孫右衛門さん、参考にしたいので、今回訪ねられたところをなるだけ早くアップデートしてもらえると有り難いのです。よろしくお願い致します。

孫右衛門 5月 5日(土) 15:16
今は「溜め」がありませんので、今回の探訪分は連休明けからすぐに掲載を始めますが、今回青森県で訪ねたのは下北半島以外では、三戸・七戸などの東部で津軽地方は訪ねていませんので、今掲載しているところが全てです。
とはいえわたしも津軽地方で訪ね切れていない町もあり、かつ七ちょめさんも訪ねられていないところとして鯵ヶ沢町、浪岡町、青森市浅虫(浅虫温泉)があります。これらはいずれも鉄道でも訪問できるところです。良い町並の保証はありませんがぜひ訪ねてみてください。
画像は関係ないですが、下北半島仏ヶ浦の風景です。

七ちょめ 5月 5日(土) 20:42
孫右衛門さん、ありがとうございます。
参考にして検討いたします。
過去、団体の観光旅行で浅虫温泉は訪ねていますが、何処に泊ったか、どんなところだったかの記憶も残っていません。

Kさん 5月 6日(日) 07:27
孫が成人式の前撮り(今ごろはあらかじめ写真を撮るようです)とかで、珍しく大型連休中に遠方へ出かけました。

下北半島を含めた東北北部へは昨年春、パック旅行で出かけました。津軽半島の龍飛岬ではカメラのシャッターも押せないほどの強い風でしたが、下北半島では好天に恵まれました。
あの辺りはパック旅行でなければ、恐らく出かけることがないだろうと思って、選びましたが、バスに乗っているだけで疲れる旅でした。スケッチ時間もなく、やっぱりダメですね。

万訪 5月 6日(日) 17:31
お疲れ様でした。とても充実した旅だったようで、何よりです。二戸の浄法寺や薬研温泉の情報、大変参考になります。夏休みに東北地方へ行く予定ですので、薬研温泉の薬研荘や新むつ舘にも泊まろうと思います。
今日はGW最終日。人類滅亡の前日の気分です。

孫右衛門 5月 6日(日) 20:41
Kさん参加のツアーは昨年聞いて驚きました。聞くだけで移動が大変そうだなと思いました。
それでも以前よりは自動車専用道が随分整備された印象ですが、まず物理的に移動距離が長いです。

万訪さん新むつ旅館は今のうちに泊っておいた方が良いと思います。女将さんのご年齢や跡継ぎもないことを考えるといつまでも現役旅館という保障はないですね。
料理は基本的に家庭料理ですが、ホヤなど地物も出てしかもボリュームがありました。ビール一本つけても7000円台でしたので、泊る目的を考えるとこんなに安くて良いのかと思えるほどです。
朝は川向こうの陸奥湊駅付近で朝市がありますので、朝食は市場でというのも面白そうです。

今日は連休最終日ですので島根県を軽く訪ねてきました。天気が崩れる予報でしたので朝早く出かけて昼過ぎまでの予定で、有福温泉を再撮影して共同浴場にも入り、その後益田市周辺に。明日からは日常が戻りますね。まあ、仕方ないです。

urano 5月 7日(月) 09:09
孫右衛門さん、南部藩領北部の旅おつかれさまでした。私のサイトもご覧いただき、恐れ入ります(1年半も放置したままなので、何とかしなくては・・・)。
私は下北半島を2度探訪していますが、いずれも日帰りであわただしい旅でした。特に西海岸の移動に時間がかかってしまい、佐井が日没後になったことは悔やまれます。2泊されるのは正解ですね。

このエリアは独特の風景が見られるので、たまに行きたくなります。東京からならJR東日本のトクトクきっぷ類を使い、週末や三連休でも行きやすいのですが、広島からではご苦労されたことと思います。
更新も楽しみにしております。

孫右衛門 5月 7日(月) 21:09
当初は3日目にむつ市の市街地に泊り、翌日下北半島を1周して八戸泊の予定を立てていたのですが観光しなくてもかなり無茶な行程であることがわかり、1泊追加したのです。
昔は東北や新潟は夜行列車で行くことが常でしたが、最近はそれがなくなったため東京経由の新幹線利用ということも多くなりました。
uranoさん情報のお蔭で他に三戸町泉山や九戸村伊保内、大野村を訪ねることができました。感謝します。
九戸村の町並です。
p250131-ipngn200502niho.hiroshima.ocn.ne.jp


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