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2057: 京都府丹後・丹波地方の探訪 孫右衛門 10月28日(土) 19:34
先週末に訪ねた京都府丹後・丹波地方を中心とした探訪をざっと報告します。
自家用車での1泊2日の探訪で、亀岡市から始め園部、殿田、綾部市近辺の町並を訪ね、その日は舞鶴に泊りました。
亀岡・園部とも前回探訪から20年経過していて、亀岡は京都の郊外地ともいえるところなのにイメージは大きく変わっていない印象でしたが、園部は古い町並の中心部が道路拡幅され、様相が一変していました。東部では町家の残る町並がありましたが(写真)、町並度も見直さざるを得ない状態です。
ここでは2010年にオフ会も行われました。あの年は本業が異常な状態で、繁忙期をとっくに脱している時期なのに唯一参加できなかった回です。その時の無念さは今でも覚えています。

孫右衛門 10月28日(土) 20:01
綾部市郊外の中から、梅迫地区を載せておきます。舞鶴線の中間駅がある程度にしか知識がなく、何気なしに通っていると街道集落のような家並の連なりを見て何かあるのではと立寄ってみました。
少し調べると小さいながらも陣屋が置かれたところのようで、古びた道標も見つけましたので京都方面と舞鶴を結ぶ街道の要衝にあったようです。

孫右衛門 10月28日(土) 20:14
舞鶴ではまずこの風景の無事を確認しに行きました。西舞鶴の海側に展開する吉原地区。この水郷のような景色は最近ネットで有名になってきていますが、この町並を構成する町家の密集度は相当なもので、隠れた重伝建と言ってよいと思っています。

孫右衛門 10月28日(土) 20:19
泊ったのは西舞鶴地区の中心街に位置する茶又旅館です。建物は戦後再建されたものですが、その創業は幕末頃に遡り、旅館のある位置も当時城下の一等地だったとのことです。
現在は素泊りのみの対応ですが、数人の客がありました。


七ちょめ 10月28日(土) 22:00
京都北部の丹後・丹波地方を訪ねて居られるのはTwitterを見ていました。
園部の本町辺りの道路拡張の最初の頃に、園部でのオフ会がありました。欠席されていましたね。西山さんの墓参が一番の目的だったと思います。
道路拡張が済んで、拡張部分の東西の町並も徐々に変わっていますが、大きくは変わっていません。古い町並の中に在る老舗旅館合羽屋も健在です。
私の家内の里が綾部ですので、梅迫辺りは何回も通っていますが、古い町並には気づきませんでした。山家の町並は探し当てたのですが。黒谷は和紙で有名ですが古い町並は余り無いと思いました。
舞鶴の吉原地区の水路を水郷と表現され、上手い言い方と感心します。成程と納得。
この吉原の町並は当分ほとんど変わらないと思います。古い様な感じですが、建物自体は比較的新しいようです。前回訪ねた時に町並を隈なく歩きましたが、これだけ活気ある漁業集落で、建て替え中の家が一軒しかなかったのでそう思いました。
泊まられた舞鶴の茶又旅館、私が泊った時に89歳と云っておられたおじいちゃんが、戦時中に道路を広げて防火帯をつくるためと云って、家を綱で引っ張って倒してしまった。何の補償もなかった、今では考えられないがと。このおじいちゃん今も元気だろうか。
しゃくに障るので、壊す前と同じものを建てたと仰っていました。
泊った日は暖かい日でしたが、翌朝窓を開けると運河の対岸の家に雪が積もっていました。
何かつまらんことを長々と書きましたね。

孫右衛門 10月28日(土) 23:24
今回の探訪は、かなりの部分七ちょめさんのデータを参考にさせてもらいました。
特に日吉町殿田、綾部市山家、黒谷町などです。また翌日訪ねた東舞鶴の先の半島にある成生という漁村集落も感動しました。
吉原地区の町並は、この一帯独特の海面と家並の高低差が少ないのが水郷のような風景を形成しているのだと思います。宅地の20cmほどの所に水面があるとは、干満の差の激しい瀬戸内の感覚からは考えられないですね。
茶又旅館で言われている高齢のお爺さんは見かけませんで、女将とご主人?らしき男性は見ましたが、ほぼ女将さん一人で対応されていました。
七ちょめさんの旅館の宿泊記で部屋からの運河沿いの風景を載せられていましたが、今は改修中のようで、建物が立ち退き風景が変わっていました。

七ちょめ 10月29日(日) 09:01
茶又旅館から見た対岸の風景が一変していますね。高野川沿いの建物が全く取り壊されている。何のためか。防災上道路を広げる??

七ちょめ 10月29日(日) 09:05
園部のこの風景は2001年6月に撮った写真と全く同じですね。この部分の変化はありませんが、

七ちょめ 10月29日(日) 09:11
同じところを反対側から見た光景は大きく変わっていたでしょう。
写真は2001年6月に撮ったかっての光景です。
今の写真は孫右衛門さんが!!

私は少し前、動画で撮っていますので切り取って後程投稿します。

七ちょめ 10月29日(日) 10:17
エライこっちゃ

園部の動画の一部を取り出そうと、外付けハードデスクに電源を入れると何かおかしい。
ハードデスクが出てこない、認識されない。別のパソコンに繋いでも、様子がおかしい。
どうもハードデスクが壊れたらしい。 困ったこっちゃ。

主要なデーターは2重・3重に保存しているので何処かにはあるでしょうが。
 
どうしようか、費用をかけて復旧するか、別の保存場所から探し出すか。無くなっても諦めるか。


七ちょめ 10月29日(日) 11:49
別の外付けハードデスクの動画から取り出した画像です。
私が思っていたより古い町並が残っていました。
この動画を撮影したとき、その前の撮影でマニュアルフォーカスにしていたのをすっかり忘れて動画を撮影しましたので、チョットピントが甘いです。

反対側から見たら大きく変化していると言った前言を撤回いたします。
撮影したのは2021.3.12でした。

孫右衛門 10月29日(日) 20:14
園部の街道沿いは、七ちょめさんの泊られた合羽屋旅館さんの近くまで拡幅が進んでいますね。この写真だと古い町並が連なっていますが、この背後は新しい景色になっています。
ただ、残った町並が活気がない雰囲気ながらそれなりに残っているのは救いですね。
データは大丈夫でしたか?

孫右衛門 10月29日(日) 20:45
舞鶴市の半島に位置する成生集落です。小さな漁港ですが、集落全体の風景が素晴らしいのと、路地風景も風情がありました。訪ねて良かったと思いました。舟屋が残っているのも貴重ですね。ただ、今は軽トラの車庫として使われているようで、それが滑稽でもありました。
その他、綾部市の中心部、グンゼの資料館(これが無料で中々充実した展示内容で時間が押してしまいました)、京丹波町(旧瑞穂町)、兵庫県福住の再訪、篠山市八上地区を訪ねて帰りました。

七ちょめ 10月29日(日) 22:38
壊れた外付けハードデスクはデーター復旧業者に送りましたが、復旧費用を聞いてから復旧するか、そのまま返して貰うかを判断します。
大事な画像のデーターは他にも保存していますので。投稿画像の中でも別の外付けハードデスクから動画を静止画にして投稿したものが、上下に黒の部分のあるものです。画像の縦横の比率の変換を少し間違っていますが。
大切な画像は大丈夫なんですが、他に何を保存していたか判らないので、復旧するかどうかは微妙なところです。復旧価格にもよりますが。

舞鶴市成生は舟屋もですが、集落内の家々の光景が素晴らしいと思います。密集漁業集落ですが、あまりごちゃごちゃして無くてすっきりしたところが良いと思いました。
町並の取材と動画撮影の2回訪ねました。

七ちょめ 11月 1日(水) 19:59
外付けハードデスクのデーター復元は諦めました。
重要なデーターは他にも保存していますので、雑多な諸々は諦めます。
でも、もう少しうまく管理して居ればと、少しは後悔しています。
外付けハードデスクでなく、パソコンのハードデスクが壊れても鼻歌交じりで居られるように対応していたいものです。
ハードディスクが壊れる前に交換すれば良いのですがね。

孫右衛門 11月 4日(土) 12:22
PCや付属品の故障やトラブルはつきものですが、その時は焦りますね。
篠山市福住の町並を載せようと思いましたが画像の掲載が1件あたり10枚までなので、別項目で挙げます。

七ちょめ 11月11日(土) 21:23
あら〜 不思議
外付けハードデスクが壊れて、データーを取り出そうと業者に出した迄は、報告しましたがその後に思わぬ展開が。
業者からデーターを取り出すのに、「正式な見積りを出す」と中間報告があり、その時の様子から20万円以上かかる様だとのこと。
そんなに高いのならデーターは諦めるので送り返してと返事した。送り返されたハードデスクはそのまま部屋に放置していたが、昨日もう一度パソコンと接続してみた。
あれ〜、ハードデスクを認識しなかったり、認識してもホルダーやファイルが開けなかったのが、返却されたハードデスクが何の異常も無く作動するではないか。
それじゃ、データーを移し替えようと、新しく外付けのハードデスクを昨日夕方買ってきて、今日朝からデーターの移し替えを行った。何のトラブルも無くデーターを移し終えた。
何だったのだろう。業者が一旦ハードデスクを開いたがデーターを取り出さずに送り返しただけだが。
何だか判らないが、画像データーなどは無事事なきを得ました。 不思議。

太泉八雲 12月11日(月) 08:42
HDDのデータが復旧して良かったですね。私も人ごとではありません。
普段は寝室用でチョイ旅用のサブサブMacBookAir、超薄型軽量で良いのですがバッテリー及び電源周りに何があって、一昨年と昨年と2回も逝ってしまった経験があります。作業用Macでは無いので重要なデータとかは入っていませんでしたがショックでしたね。

で、ハードディスクは物理的に書き込むので万が一は大金を払っても復旧できる可能性が大きいですが、最近主流のSSDは、万が一が怖いですね。
だけど作業は早い。動画編集などはSSDでないと考えられません。
なので、バックアップ用の外付けストレージはハードディスクです。

車もバイクも、そして電子機器も調子が悪くお店に持って行くと何事も無かったかのように元気になる。不思議なものです。
12.68.232.153.ap.dti.ne.jp
1873: 種子島〜口永良部島 万訪 4月13日(土) 08:05
今、種子島の南種子町にいます。昨年悪天候で断念した旅のリベンジで、今回は最高の天候に恵まれています。
木曜日の最終便で鹿児島空港に着いて空港前のホテルに泊まり、昨日1便で渡ってきました。予約していた地元レンタカー屋さんが日にち間違えてて空港に来ていないなどトラブルがありましたが、それも島ののんびりさですのでご愛嬌(走っているクルマもメッチャ遅い)。島のやや北部の内陸にある空港から、まず最南部の宇宙センターへ行き、内陸と海岸線を混ぜながら時計回りに一周しました。種子島は屋久島と違って高い山はなく全てが丘陵地。そこを開拓した農業の島です。鉄砲伝来やロケット基地などが話題の島ではありますが、集落町並みはいたって地味です。でも、歩いていると味わいがあるし、なんか居心地良さそうな良い島でした。

画像は種子島宇宙センター。景色がすばらしく良いところです。エリアは発射台など重要な敷地以外は閉ざされておらず、いろんな施設が点在しています。JAXAの職員食堂でランチしました。

万訪 4月13日(土) 08:16
中種子町坂井の古市家住宅です。島内で公開されている古民家はここだけ(西之表市にも一軒ありますが期間限定)。桟瓦葺入母屋屋根+板壁が基本形です。島を巡ると本瓦葺や板壁も縦張横張様々です。奄美に見られるトタン葺きやトタン壁はありません。その傾向は、屋久島や薩摩硫黄島も同じですね。本土の大隅半島とも共通と思います。

万訪 4月13日(土) 08:20
西海岸、中種子町岩岡の海岸集落です。種子島の集落は農業なので基本的に台地の上か川に沿った狭い平野(水田)が多いですが、海岸沿いにも多少集落があります。この集落は岩岡の外れにあり、漁業かと思いきや農業だと思います。風が強くドローンは諦めました。

万訪 4月13日(土) 08:25
西海岸、西之表市住吉上能野(よぎの)集落。岬の円弧に沿った集落です。ここではドローン飛ばしていい絵が撮れました。動画編集が楽しみです。


万訪 4月13日(土) 08:30
最北部をグルッと回って東海岸へ。東海岸は主立った街はなく集落が点在しています。画像は、西之表市現和浅川。種子島の中では一番良かったかな。板壁が続くグレーシュな感じが美しかった。

これから島間港より、念願の口永良部島へ渡ります。

七ちょめ 4月13日(土) 13:14
もう2〜3年も前に、鹿児島県南部の島々を訪ねた時に、爆弾低気圧のために鹿児島から船が出ず、種子島を諦めて桜島で過ごしたことを思い出しました。その後種子島は縁が遠いです。
天気が良さそうで、最高の探訪日和でしょう。楽しんで下さい。

孫右衛門 4月13日(土) 19:40
種子島の探訪ですか。屋久島は町並以外の目的も含め訪ねる可能性はあると思いますが、種子島は予定にありません。ただ農業の島とはいえ、石垣や板塀など島の集落らしい佇まいですね。
口永良部島は最近活発に火山活動がありますので、お気をつけて。

太泉八雲 4月13日(土) 22:54
種子島。一度は行ってみたい島です。

辰巳屋 4月14日(日) 07:09
種子島には、薩摩藩の外城(麓)があります。
西之表市の中心地で榕城小学校が仮屋で種子島博物館周辺が麓のようですよ。武家門も残されていると分かりやすいのですが。本源寺の周辺も種子島氏の城下のようです。このあたりの石垣には珊瑚の石垣も残されているようです。しかし、麓の形態としては、はっきりとしていないとも思えます。
まだ、行ったことはないのですが、薩摩藩の外城(麓)を廻ろうと集めた情報です。

Kさん 4月14日(日) 07:10
これまた凄いですね。

私の近況報告2件。
先日、スケッチ会で大和郡山市の元遊郭・東岡町へ行きました。10何年かぶりでしたが、遊郭の建物がすっかり取り壊され、ほとんどが普通の住宅に建て替えられていました。数少なく残っている元遊郭の3階建ては無残な姿をさらしていました。
昨日は滋賀県のかやぶきの里・マキノ町在原へ。8年前に13軒あった茅葺きのうち、半数が焼けてしまいましたが、残っている家も崩れるに任せているところが多く、寂しい思いでした。

万訪 4月14日(日) 10:17
皆さま、反応いただきありがとうございます。
画像は昨日探索した口永良部島の本村集落です。2015年に大噴火があり、全島民が7ヶ月屋久島へ避難した後戻られて、現在は平常の暮らしが営まれています。民宿の方といろんなお話をしましたが、やはり避難の7ヶ月によって島民の方々に色々な影響があったようです。物資というより精神的なもの。

口永良部島の本村集落は良かった!星3.5というところ。噴煙をあげる新岳を背景に、石垣石塀+入母屋板壁の景観が素晴らしかった。

万訪 4月14日(日) 10:19
本村集落

万訪 4月14日(日) 10:25
寝待温泉
ここは本村とは島の反対側にある場所で、とても泉質がいいことから、島の方々が湯治に使う別荘のような建物が並んでいて、一番奥に温泉があります。ところが昨年の台風で土石流が発生し、家々のわずかを残して崩壊していました。それでも温泉はかろうじて助かっており、土砂崩れの上を歩いていくことができます。電気が絶たれていますので、昼しか入ることはできません。

万訪 4月14日(日) 10:35
口永良部島の道は細くて険しいです。最東端の湯向(ゆむぎ)地区まで結構かかります。そこにも温泉があり入りましたが、泉質はとても良かった。
画像は本村から湯向へ行く途中の田代地区にある民宿くちのえらぶ。44年前に東京から移住されたご夫婦が自ら建てた建物です。ご主人は昨年お亡くなりになり、奥様が営業されていますがとてもいい宿でした。息子さんも娘さんも島で暮らしていて、島の中心的役割を果たされています。トカラ列島もそうでしたが、新たな住人が島を守っています。

西之表では段丘の上に麓集落を感じさせるエリアがありました。沖縄の島旅は完結しましたが、鹿児島はまだまだ続きます。
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1859: 沖縄最後の島旅 万訪 2月17日(日) 23:00
この週末は、沖縄最後の島旅で、宮古島を基点に大神島、伊良部、多良間島へ行ってきました。2月の沖縄は冬の雨季で、天候は悪かったのが残念でした。
画像は多良間島です。ほぼフラットな隆起サンゴ礁の島。

万訪 2月17日(日) 23:06
多良間島は、宮古島や伊良部島と同様、台風で大きな被害を受けたらしく、木造民家がほとんどありません。コンクリート系の町並みです。一方、フクギ林や御嶽などは沢山あります。観光客はほとんど来ないと言ってました。私もそうでしたが、沖縄最後の離島でしょう。沖にある水納島(みんなじま)も有人島ですが、船をチャーターしないと渡れませんし、海がちょっと荒れただけで渡れないそうです。

万訪 2月17日(日) 23:07
宮古島北部の大神島。小さな島で神々の島と呼ばれています。

万訪 2月17日(日) 23:08
宮古島の平良の町並み。夜のレポを動画でします!

万訪 2月17日(日) 23:23
那覇空港での乗り換え時間を利用して、空港ビル1階の端くれにある知る人ぞ知る「空港食堂」で打ち上げました。これで沖縄の離島はおしまい。ですが、今ひとつ充実感がありません、、、

Kさん 2月18日(月) 07:15
久米島の久米仙、九州に勤務していたころこの会社にとてもお世話になりました。一度訪問すれば良かった。

七ちょめ 2月18日(月) 17:29
沖縄ですか。凄い行動力。流石いらかぐみ。

孫右衛門 2月19日(火) 00:55
宮古島の写真にある店舗のコンクリート壁面に直描きされている宣伝はいかにも沖縄らしい風景ですね。離島を中心に、集落的に魅力的な多くのところが訪ねず仕舞いです。今のところ、意識の中では優先順位は高くない状態なのですが、いつか訪ねることになるでしょう。
島唄という泡盛焼酎を先日近所の酒屋で買って帰っています。たまに飲むには良いものです。
p1142047-ipngn200709niho.hiroshima.ocn.ne.jp


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