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2093: 肥前の焼物の里 辰巳屋 3月 7日(金) 15:37
佐賀県と長崎県の県境あたりに焼き物の里はあります。昔は肥前国であり、伊万里、有田、波佐見あたりの焼き物の里は、隣の町という近さで集中しています。
江戸時代には、伊万里(大川内)と有田(内山など)は佐賀藩領、佐世保市(三川内)は平戸藩、波佐見は大村藩と別々の藩により管理されていました。
現代の焼物の名称は、伊万里焼、有田焼、三川内焼、波佐見焼などと呼ばれているようです。

鍋島藩の有田を中心として、有田焼に関しては有田の現在の赤絵町を中心とした「内山」、その周りを「外山」、さらに周りを「大外山」と呼んでいたようです。

有田の街並みといえば、この「有田内山」の街並みを指していることが多いのですが、有田内山の周辺には外山といわれる窯場がありました。今回は、外山と言われた、応法山、黒牟田山、広瀬山を訪問しました。

画像は、応法山です。ゆるやかな谷間に所々に煙突が建っています。

辰巳屋 3月 7日(金) 15:39
画像は、黒牟田山です。古い街並みが、小さいものですが残っていました。


辰巳屋 3月 7日(金) 15:43
画像は、波佐見町の三股郷です。波佐見の中では、古くから焼物の産地だったようです。後ろの山の白い処は、陶石が露出しているようです。

三股は、急斜面の細い谷ですが、江戸期には、焼物の里として栄えたようです。陶石が同じ場所にあり、傾斜が唐臼を使うのに便利がよかったみたいです。
三股の谷を降りた処に皿山役所があったようです。

辰巳屋 3月 7日(金) 15:48
画像は、波佐見の永尾郷です。県道1号線から川沿いに山裾に入った所にありました。

もう少し事前学習をしておけば良かったと反省しています。
今度は、大外山も訪問したいと思っております。


孫右衛門 3月 8日(土) 21:57
町並や集落と言う面でしか追って来なかった身からすると、単純にこの地域は焼物の産地が沢山あるなという感想しかないのですが、それらを系統的に追及して見ると、また違った見方も生まれて来るのでしょうね。
視点を少し変えるだけで、また訪ねるきっかけが生れるものです。
これは、2018年に訪ねた三川内の風景です。

辰巳屋 3月 9日(日) 17:54
窯元の里は、街並みや集落というのとは異なっているかも知れません。どちらかというと、伝統産業の街並みになると思います。有田内山とは違った雰囲気になります。

大川内山、三川内山、中尾郷は、窯元の集中度が高いため、独立して紹介されることが多いようです。
時間的余裕があれば、訪ねてみてください。
unn-79-127-158-137.datapacket.com
2092: 長崎・伊万里の旅 辰巳屋 2月19日(水) 14:11
先週の日曜日から、長崎ランタン祭りに行ってきました。中華情緒溢れる景観は、長崎の歴史を物語っています。画像は、その様子です。人出が多く、自由には歩けません。
日本全体が寒い時期でしたが、なんとか雪は降らなくなりました。

辰巳屋 2月19日(水) 14:12
その後、伊万里市、有田町、波佐見町に行きました。
今回の報告は、伊万里市の「里小路」です。住所は、伊万里市東山代町里小路となります。
街並みを鑑賞する場合、建物だけでなく、塀や石垣も重要な要素となりますが、矢竹の生垣は、主に武家屋敷の街並みに多く見られます。
九州では、鹿児島県の麓集落に残っていることはありますが、ほとんどは、石垣に変わったりして、残ったとしても短い生垣になっています。その他、長崎県の神代小路、高知県の土居廓中などにも見ることができます。
里小路の矢竹の生垣は、ほぼ一直線で、約500mくらいあると思われます。建物は、古いものはありませんが、生垣はずっと維持されています。

里小路の説明(伊万里市)
豊臣秀吉が栄華を極めていた頃、山代郷(現在の山代町、東山代町)は、田尻鑑種(たじりあきたね)が治めていました。
 鑑種は、天正17年(1589年)龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)により筑後川の鷹尾城(たかおじょう)からここ山代に移封されました。
 その家臣たちは、この丘陵地を住居と定め、東西に本道、南北にいくつかの小路を設けて土地を区画し屋敷を構え、その境に矢竹を植えて生垣としました。
 今でも、緑豊かな矢竹の生垣の閑静な景観が、落ち着いた雰囲気を醸し出し、往時を偲ばせてくれます。
 このような景観が認められ、平成10年1月「新さが百景」に、令和元年11月に「佐賀県遺産」に認定されました。

Yasuko 2月19日(水) 20:05
岡山でも寒い日が続いています。長崎のランタン祭りは行きたいなと思っています。寒い冬にランタンの明かり憧れます。一度は行ってみたいです。
波佐見とかは焼き物が好きなのでよく聞く名前で、これも訪れたい場所です。まだまだ九州は行きたいところが、いっぱいです。伊万里と有田焼はちょっと派手すぎて買いませんけれど・・・

七ちょめ 2月20日(木) 09:06
里小路の矢竹の生垣は知りませんでした。
これは立派なものですね。500年もの間、維持管理されて保たれている生垣は見事なものですね。
見たいが叶わないでしょう。

辰巳屋 2月21日(金) 11:07
里小路の北西に「楠久・楠久津」という町があります。
江戸期には佐賀藩の支藩である小城藩の本陣が設けられ、要地として栄えていたようです。小城藩本陣跡(小嶋家)が残っています。この街並みには、唐破風の玄関屋根を持つ建物や酒造場、漆喰壁の商家跡が残っています。

画像は、小城藩本陣跡(小嶋家)です。

辰巳屋 2月21日(金) 11:09
伊万里と有田の中間地点に松浦鉄道大木駅がありますが、その近くに大木宿があります。
画像は、大木宿です。酒造場が街並みの中心となっています。

七ちょめ 2月21日(金) 12:04
22年程前に、古い町並から始まった「いらかぐみ」も時間の経過と共に皆様のスタンスも少しずつ変化していて、今でも皆様の基本は集落や古い町並ですが、古い町並一本を狙っている方は辰巳屋さん一人になってしまいましたね。
ちょっと寂しい感じがしますが、別に悪いことでなく、それぞれ個人の志向の変化で良いことととりましょう。
私の様に活動が少なくなったのも、仕方ないことと見るべき??。自分で思っているだけかも知れませんが。


万訪 2月23日(日) 08:43
辰巳屋さん、旅のペースが復活ですね。体調良さそうで何よりです。長崎ランタン祭りは、昨年だったか行きました。たまたま行ったらやってたという感じですが。通常時の新地はかつての賑わいがなくなっていますが、祭りは賑わっていますね。辰巳屋さんが旅すると古い町並みの発掘により、〇〇が生まれてくるように思えます。私も古い町並み興味が無くなった訳ではありませんよ。もはや戦後昭和も古い町並みですから。

辰巳屋 2月23日(日) 15:03
私は、「街並み」が好きなんですよ。
皆さんの情報は常にチェックし、参考にして訪問しています。

時々、特に小さな街並みを見つけるのが好きですね。地図(国土地理院)、Google地図、都道府県や市町村の景観施策を良く見ています。
また、歴史的事柄から探求するのも好きですね。今回も、長崎街道の宿場で、矢上宿(長崎市)というのがあるのですが、そこに諫早領の屋敷跡があるというので行きました。
画像は、その矢上宿の諫早領屋敷跡です。

辰巳屋 2月23日(日) 15:04
また、ながさき街道は陸路だけではなく、彼杵から時津の海路もあるようで、時津町に本陣跡があるというので訪問しました。
画像は、時津本陣跡です。保存状態は良いと思います。
面白そうな情報があればお知らせください。
unn-79-127-129-79.datapacket.com
2091: 阿波青石の里 辰巳屋 2月 7日(金) 16:43
青石の利用については、ガイドブックなどには、徳島城の石垣が有名ですが、今回掲載するのは、平野部での青石の集落です。場所は、徳島市八万町です。
青石の里としては、愛媛県の佐多岬半島が有名で、高低差もあり、見応えのある景観が広がっています。
しかし、平野部の青石の里はあまり聞いたことがなかったので、今回、訪問しました。
石垣がすべて青石で作られています。阿波青石は、江戸期には「おとめ石」とも言われていたようですので、明治以降に造られたもののようです。

辰巳屋 2月 7日(金) 16:44
屋敷への入口にも使われていました。

辰巳屋 2月 7日(金) 16:45
青石は、様々な場所で使用されていますが、ミニオフ会の「たおか」の入口の敷石にも大きな青石が使われていました。

辰巳屋 2月 7日(金) 16:46
分かりにくいので、拡大です。このような大きな青石は珍しいと思います。
unn-79-127-129-83.datapacket.com
2090: 豊橋水上ビル 万訪 1月16日(木) 10:00
先週末、豊橋に行ったついでに時間があったので水上ビルを見てきました。戦後闇市整理(路上の闇市の移転先)で川の上に建てられた集合住宅兼商店街で、約2kmにわたって線状に連なっている近現代の町並みです。建物と建物の間に橋が残っていたり、一部穴が空いていて水面が見えるなど、川の上に建っていることが確認できます。何度も訪れている好きな近現代の町並みの一つですが、近くにオープンな図書館ができたりして、とても賑わっていました。

孫右衛門 1月17日(金) 12:48
豊橋の水上ビルは、3年前に静岡県を中心とした探訪を実施した時に寄りました。
この建物群自体も昭和の風情たっぷりですが、河川上に立地していることでさらに貴重度が増していますね、もう少し知られても良いように思いました。

万訪 1月22日(水) 00:19
ご存知でしたか!今や結構有名ですが、最初に訪れた時は知る人ぞ知る建物でした。地図見ていて妙に線上の建物があることに気づいて、行ってみてびっくりしました。
221x240x45x58.ap221.ftth.ucom.ne.jp
2089: 藍のふるさと 辰巳屋 1月14日(火) 18:17
吉野川の流域では、平野部に広がる田園風景の中に、高い石垣でかさ上げされた大きな屋敷があちこちに見られます。この屋敷は「藍屋敷」と呼ばれ、吉野川の流域の藍のふるさとの風景です。藍はジャパンブルーとも呼ばれ、前々から訪問したいテーマでした。

藍の館は、様々な観光情報で広報されているのですが、その他の施設は、あまり知られていません。今回は、その藍屋敷の訪問が目的です。
藍屋敷で訪問したのは、次のとおりです。
藍住町の「藍の館」で公開されている奥村家、同じく藍住町の犬伏家、石井町の田中家、武知家、松茂町の三木家、阿波市の割石家、上板町の戸田家、北島町の藤田家、吉野川市山川町諏訪の藍屋敷の里、藍の館以外は原則非公開、休日や特定の日のみ公開している屋敷もあるようです。

すべての屋敷を掲載すると枚数が多いので、2〜3紹介したいと思います。

辰巳屋 1月14日(火) 18:19
画像は武知家です。
武知家住宅は,藍製造で繁栄した吉野川下流域で最大級の藍商の住宅である。広大な敷地の中央に主屋を建て,主屋の周囲を藍生産のための藍床などの附属施設で囲み,東側に通門を構える。
 主屋は文久2年(1862)に建てられた大規模な建物です。

辰巳屋 1月14日(火) 18:21
画像は、犬伏家です。
犬伏家住宅は,吉野川下流域の北岸に建つ。藍の取引により財を築き,江戸時代後期から薬の製造・販売を営んだ。

孫右衛門 1月15日(水) 20:39
藍住・藍畑辺りは2017年に訪ねていました。
連続した町並というのとは趣が違うのですが、その存在だけで圧倒される思いでした。

万訪 1月16日(木) 00:06
藍の集落を訪ねられたのですね。私が訪ねたのは2012年。もっと昔と思っていたら12年前でした。いずれの屋敷も大きく驚かされましたが、阿波青石の石垣が印象的でした。藍の青ならぬ阿波青石の青。
ところで、このところ離島集落巡りにエネルギを注いできていますが、もうすぐ終わってしまうので、次のテーマを探しているところです。そこで、クルマで広域をひとつのテーマで縦断することを考えています。そのひとつが[青石紀行]。秩父から九州の八代まで、中央構造線沿いに青石の石垣を求めて順番に訪ねていきます。今年の冬からスタートして、5年くらいかかりそうです。その中で藍住周辺も再訪することになるでしょう。
117.111.14.145
2088: 新年おめでとうございます 万訪 1月 2日(木) 11:59
新年おめでとうございます。
昨年末は中国山地の山岳集落を巡る予定でしたが、日本海側が大雪となり、初っ端のケビ丘の取材が難しいと判断して、伊勢志摩へ変更しました。しかし、賢島に一泊した翌日、義理の母が危ないと連絡が入り急遽帰宅、そのまま亡くなって、年明けに葬儀があるため、遠出はできずにいます。まぁ日帰り、一泊程度で房総半島に何度も出かけておりますが、仕事と動画編集がめっちゃ捗っています。
今年もよろしくお願いいたします。

ところで、辰巳屋さん、LINEのいらかぐみ登録はいかがでしょうか?うまくいきませんか?

七ちょめ 1月 2日(木) 20:55
辰己屋さん
ラインの接続をお願い。是非ともお願い。よろしくお願いします。

辰巳屋 1月 3日(金) 07:39
明けましておめでとうございます。

ラインは使ってみたいですが、私から、行動を起こすことがありますか。
「招待」がくれば対応すればよいと思っていましたが。


七ちょめ 1月 3日(金) 11:13
おはようございます。
私も判らないことばかりですが、正月前から皆様のラインに参加させていただいています。
多くの方が近況を報告されています。
先ほど辰巳屋さんに招待を送信しました。私の電話番号で接続してラインを繋いでください。
万訪さん  グループにもお願い致します。

七ちょめ 1月 3日(金) 14:32
辰巳屋さん 今日11時8分に私のコメントを読まれた時点で、私とラインがつながっています。あとはグループに参加は万訪さんと繋げたら、万訪さんがグループに入れてくれます。
あと少し頑張って下さい。
M014010098160.v4.enabler.ne.jp
2087: 徳島県の山間部の街並み 辰巳屋 12月14日(土) 06:35
那賀町の平谷の「さくらぎ旅館」です。現役の旅館です。
平谷は国道195号と193号が分岐する所ですが、平谷への入口を見逃すところでした。那賀川がダムにより大きく湾曲する地形の平坦部に平谷の街並みがあります。

辰巳屋 12月14日(土) 06:37
那賀町の上流、那賀川の上流には、木頭出原があります。

那賀川沿いは土佐中街道になり、宿場の役割を果たした集落も多いように思いました。
真ん中の建物は入口のガラス戸に「旅館」の表示がありましたが、現在は営業していないようです。

辰巳屋 12月14日(土) 06:39
上勝町落合です。
上勝町の中心集落です。林業で栄えた時にはずいぶんと繁盛したようです。川が合流する地点で、通称「落合」と呼ばれているようです。字は、字生実と字福原の境に当たります。バス停は「落合」となっています。

辰巳屋 12月14日(土) 06:40
上勝町旭
画像は、山西旅館です。営業しているようです。
町の説明(町HP)によると、創業明治30年から4代続く老舗旅館。
千年の森ふれあい館の向かいにあり、町民の集いの場として利用されている地元に愛される旅館です。

辰巳屋 12月14日(土) 06:41
画像は、この旅館付近の街並みです。昔、相当栄えた集落であったと思います。

辰巳屋 12月14日(土) 06:44
神山町の街並み
地方創生の優等生と言われる神山町にも、規模は小さいものの味わい深い街並みがあります。

画像は、上角(うえのつ)と読むようです。
道の駅「温泉の里神山」の山側に規模は小さいですが端正な街並みとして存在しています。


辰巳屋 12月14日(土) 06:47
上分川又にも街並みがありました。
国道438号と国道193号が交わる場所です。北谷、南谷など川が集まる場所で川又という地名になったと思われます。

川又商店街があり、その中に大塚旅館がありました。現在、大塚旅館は営業していないようですが、そう遠くない昔まで営業していたようです。

神山町には、このほか寄井、鬼籠野、安吉に街並みがあります。

孫右衛門 12月14日(土) 22:31
ミニオフ会の時に少しうかがっていた徳島南部の山間部の情報ですね。
今は交通不便の僻遠の地というイメージが拭えませんが、林業隆盛期はとても賑やかで発展していた地域だったというのがわかります。
さくらぎ旅館はSNSで時折宿泊情報が流れてきます。この旅館か投稿されている山西旅館に泊って、可能な範囲で巡ってみたいところです。

辰巳屋 12月16日(月) 17:01
徳島県の山間部といっても、今回訪れた地方の呼び名がよくわかりません。
徳島県は、全域を東部地域、西部地域、南部地域に区分して呼んでいるようです。
那賀町は南部地域、神山町・上勝町は東部地域になっています。
鮎喰川、勝浦川・旭川、那賀川は東西に流れ、峻険な地形の為、南北の行き来は中・上流では難しく、下流域でやっと南北の行き来ができるようになっています。
私も四国88カ所霊場でこの地域を訪れた時、焼山寺(第12番)、鶴林寺(第20番)、太龍寺(第21番)を巡る時に、良い街並みがありそうだと思っていましたので、今回念願が叶ったものでした。

一つ那賀町で気づいたことがありました。
木頭出原から木頭北川に行く間に、コンビニがありました。
画像は、「未来コンビニ」です。事前知識がありませんでしたので、何これ!
未来だから、すべて自動決済なの、何が違うの、などと疑問だらけ。
駐車場の車をみると、県外ナンバーがちらほら、四国の他県ナンバー、写真を撮っている人、ちょっと普通のコンビニと違うのかと思い私も写真をとりました。
どんなコンビニかは、調べてみてください。木頭地区の起爆剤になることを願っています。
ホームページやユーチューブもあるようです。

七ちょめ 12月18日(水) 10:33
未来コンビニ 名前は??
田舎の何でも屋の商店??
ネーミングの珍しさで町おこしの起爆剤に チョット無理でしょうね。

冒頭画像の「さくらぎ旅館」何か寂しそうな外観の旅館ですね。

2〜3日程前から2台使っているパソコンの内、動画を扱わない一般用のパソコンが起動したり、起動しなかったりと不調になりました。
シャットアウトするとなかなか起動しなかっても、一旦起動するとシャットダウンしない限り快調に作動する。

もう4年程使っているので買い替えを考えているが、今の使用状況とあと何年出来るかを考えると、新品に20万円の物を買うのに抵抗がある。

殆ど画像など撮影しないのでね。ネット・アマゾンでの購入・いろいろな調べもの・メールなどのオフイスできればそれでよし。となると再生品の3万円のもので、壊れたたまた買うを繰り返すのが良いか、中間的なそこそこ機能がある10万円以上する品物にするか、思い切って新品に20万円程かけるか、思案 思案。

一番問題は年齢を考えてこの状態が後何年続けられるか2年か5年かそれとも半年か。

万訪 12月18日(水) 19:38
徳島の山岳エリアに行かれたのですね。徳島県は、県が主体的にCATVを使ったネット環境整備を行い、10年前からサテライトオフィスの企業誘致が盛んに行われていますね。神山町が最も有名ですが、上勝はじめ、海岸沿いの美波町なども町おこし先進地域になっています。移住者も増えている。未来コンビニもその現れで、以前テレビで紹介されていました。

七ちょめ 12月18日(水) 20:13
未来コンビニの名も意味あってのことなんですね。
企業誘致の一方法としてですか。なるほど。一番の目的は移住者が増えて町が活性化することですね。
M014010098160.v4.enabler.ne.jp
2086: 三好市辻町の「勇楼」 辰巳屋 12月10日(火) 16:48
私は、辻町には、2010年に訪問したのですが、古い街並みがよく残っている街だという程度に思っていました。現在、街並みを歩くと国登録文化財の表示が目立ちます。
調べたら、三舩家住宅、立川家住宅、旧熊谷家住宅、島尾家住宅、山下家住宅、曽我部家住宅、それぞれに応じて主屋、離れ、倉庫、門などが指定されています。それと旧四国銀行辻支店、今宮神社の拝殿・本殿など、が国登録文化財となっています。(すべては網羅していないかも知れません)

「勇楼」は、そのような古い街並みの中心地にある創業120年の旅館です。
旅館の内部の案内は、女将さんにしていただきました。普通の古い旅館かなと思っていましたが、話を聞くたびに味のある、川港で栄えた辻町、谷口集落としての山地の煙草栽培の集積所としての辻町など、地域の歴史を背負った旅館を感じました。
その途中に、七ちょめさんの話が出て、その後、古い旅館が趣味の人や、女性で勇楼の食事を食べてみたいという人がちょくちょく来るようになり。本当に七ちょめさんには感謝してお礼が言いたいとのことでした。

七ちょめさんの後、太泉さん、孫右衛門さんも泊まれました。とはっきりと覚えておられました。

今まで、辻町の街並みを過小評価していたのかも知れません。そして「勇楼」も評価していなかったのかも知れない。どうして、いらか組のオフ会の候補にならなかったのだろうか。
いらかぐみが注目すべき旅館であり、広く世に発表すべき街並みのように思えてきました。
(辰巳屋の独り言)

辰巳屋 12月10日(火) 17:01
旧熊谷家住宅です。

勇楼を出たところ、一番近い所。辻町中心部の伊予街道に面する乾物商の町家です。歴史的街並みの往時の賑わいを伝えています。

辰巳屋 12月10日(火) 17:03
山下家住宅別邸です。

前の熊谷家とともに国登録文化財です。

屋根の両端に袖うだつを設け、特徴的です。辻の町並中心部の歴史的景観の核となる町家である。

七ちょめ 12月10日(火) 18:55
辻の勇楼に泊まられたのですね。
勇楼の女将は私のことを忘れずによく覚えたて居られること。
多くの宿泊客のことをいちいち覚えられず筈も無いのにね。

泊まった旅館から毎年年賀状を頂くことは結構あるのですが、貴方のおかげで宿泊する客が多々あるとの書いてくる旅館は勇楼の他に、埼玉県の町田屋旅館、三重県のお宿伊勢慶など、複数の旅館が感謝の言葉を言ってきます。
どの旅館もネットの力は強いですねと感心して居られます。

七ちょめ 12月10日(火) 19:12
ネットの力では良いことだけじゃないです。
徳島県のある古い旅館に泊まろうと調べていると、誰も居ない筈の隣の部屋から夜中に物音がする。でも隣には部屋が無い筈。気持ち悪くて寝られなかったとの書き込みが。
泊まるのを辞めました。

私も一度、夜早くですが、隣か天井からか変な音がすると、部屋を変えて貰った経験がありますね。東北地方の案外有名な老舗旅館です。

古い旅館きに泊まると、大きな古い建物に宿泊客は自分一人、旅館の女将などは遠く離れた別棟の新しい家にというパターンは多いですので。気持ち悪いこともありましたね。

孫右衛門 12月10日(火) 22:06
辰巳屋さんが勇楼さんに泊られたと現地で聞いて少し意外に感じましたが、この旅館はそのものが辻の町の歴史でもあるので泊る価値はとても高いですね。SNSを見ていると、ネットを通じてかなりの客が泊りに行かれているようです。どうもその発端は七ちょめさんの宿泊記にあるようです。
古い旅館に泊って気味の悪い思いをしたことはありませんが、宿泊客が私だけのこともあり、そんな時は心細くはありますね。
目下の所、年末に山口県、年始に京都の旅館を予約しています。奇しくもいずれも少しの間過したことのある町です。そういう面でも楽しみではあります。
p5900134-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp
2085: 西日本地区のミニオフ会 孫右衛門 12月 2日(月) 19:28
11/30〜12/1で西日本地区の三名で、徳島県脇町「田岡旅館」でのミニオフ会を予定通り実施しました。
重伝建地区のメイン街路の北一筋の静かな所に、もと商家で大正時代に旅館に転業されたという格式ある佇まいを見せていました。門をくぐると左に見える主屋は、消防法の関係で客室として使っていないとのことで、奥にある建て直した新しい棟へ案内されました。こちらも二間続きの非常に落ち着く部屋だったのですが、この点が唯一期待通りではなかったといえばそうでしょうか。しかし、女将さん、若女将さんの親身ある対応、そして質量的に格別すぎる料理(特にご年配のお二人にとってはやや量が多すぎでしたが)がそれを上回りました。

孫右衛門 12月 2日(月) 19:35
左が築140年ほどの主屋、奥に見えるのが泊った部屋のある棟です。

孫右衛門 12月 2日(月) 19:37
敷地内に商家時代から残る土蔵が食事処として利用されており、そこでいただきました。夕食はこの後鯛の塩焼き、さらにもう2・3品追加されました。
朝食もかなりの品数がありました。

万訪 12月 4日(水) 21:41
先週末の西日本オフ会、宿といいお料理といいいい企画でしたね。四国の脇町というのも年次オフ会の候補にいつも上がっていましたね。岡山と広島は近いですが、辰巳屋さんはどうやってこられたのでしょうか。
東日本組も今週末オフ会です。青梅澤乃井酒造のガーデンで🪴

孫右衛門 12月 5日(木) 22:34
辰巳屋さんはご実家のメンテナンスも兼ねて先月末から出発され、明日くらいに宮崎に戻られるとのことでした。
帰りに新居浜市の大島を訪ねました。小さな島なのに、立派な屋敷が多く万訪さんの情報で頭に入ってはいましたが驚きました。

辰巳屋 12月 7日(土) 07:43
遅くなりました。
実家の整理、先祖の墓詣りなど、をこなし、一昨夕帰宅しました。
西日本オフ会では孫右衛門さん、Yasukoさんには、大変お世話になりました。九州での開催が希望だったのではと思いますが、私のわがままな意見を聞いていただき脇町での開催になりました。
宿泊する場所が新しいので少し驚きました。主屋を見学できなかったのは少し残念。私設資料館のようなものでもあると、理解しやすかったかもしれません。

貞光の二層うだつは、素晴らしい。私は、四国88カ所詣りの途中に寄っただけで、再度、見学すると二層うだつが、あまり手を加えられずに残っている街並みは、良いですね。
最後の「半田そうめん」も良かった。

私は、今回、徳島県を中心に訪問しましたので、成果も相当あったように思います。主な項目は次のとおりです。
@ 辻町の「勇楼」A藍で栄えた豪農豪商屋敷、B林業で栄えた山間部の街並み(上勝町・神山町)、C椿泊、D伊予街道・撫養街道の街並みE土佐中街道の街並み(那賀町)

まとまり次第、合間を縫って掲示板に掲載したいと思っています。

孫右衛門 12月 8日(日) 11:16
辰巳屋さんお疲れさまでした。
脇町はサイトの更新は10年以上前のものから行っていませんが、2017年のちょうど同じ時期に訪ねていますね。その時撮影した田岡旅館の通りです。
その時は、小松島や阿波橘などを訪ね、徳島市郊外の「大正楼」という旅館に泊っています。内陸部も神山町、鷲敷まではその時訪ねていますが、その奥は訪ねられていませんので、次回徳島を訪ねるならばその方面を探訪し、「さくらぎ館」に泊るという行程が考えられます。
p5900134-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp
2084: 湯治はいいもんだU 辰巳屋 11月18日(月) 18:39
湯治は、霧島の麓の妙見温泉でも行いました。素泊まり自炊可の宿でしたが、温泉の湧出量が多く、泉質もとても良いと思いました。鉄分を含んでいるとか。
ここでも、昼間は運動を兼ねて麓を訪問しました。

画像は、福山麓の地頭仮屋跡で、旧福山小学校です。錦江湾の海岸段丘をうまく利用した麓集落です。地頭仮屋跡の前を南北に幅四メートルの道路(馬場)が延びています。江戸期には、この馬場で武士たちが武芸を鍛錬したそうです。馬場は、「上人馬場」と呼ばれていたと郷土誌に書かれていました。

辰巳屋 11月18日(月) 18:40
画像は、その「上人馬場」です。周囲の石垣は、石と石の間が細かい、ここもまた石の文化を感じました。海岸段丘の中段に位置します。

辰巳屋 11月18日(月) 18:44
画像は、蒲生麓です。「西馬場」に武家屋敷の面影が色濃く残っています。ほとんどそのまま残っているようですが、道路(馬場)がタイル舗装されています。
地頭仮屋のある「八幡馬場」や「下馬場」は、県道になっているため交通量は多いですが、武家門や石柱門のある屋敷も多く、武家屋敷の面影を感じることができます。

これぐらいの規模になると、重伝建地区になっても良さそうな街並みと思います。


辰巳屋 11月18日(月) 18:49
福山麓は、霧島市です。「福山酢」が特産です。目の前に桜島がそびえていました。

蒲生麓は、姶良市で、「かもう」と読みます。

タイトルは、ほかのタイトルにすべきでしたが、入力を忘れたら同じタイトルになってしまいました。


七ちょめ 11月19日(火) 09:31
石垣が多用された麓集落、いい光景ですね。
中でも蒲生麓は重伝建になっても不思議じゃないと私も思います。
「かもう」と呼ぶのは知りませんでした。「がもう」が普通でしょうね。
妙見温泉には私も旅籠宿に泊まると題した企画で泊まりました。
「おりはし旅館」という旅館で、本館の大きな部屋に一人で泊まり、25,000円程だったと思います。そのときは高額だなあと思いました。(今は家内と一緒に泊まることが多く、その程度は普通の考えになってしまいました)
辰巳屋がタイトルが同じになったと言われていたので、タイトルにUと追加しておきました。

辰巳屋 11月19日(火) 19:16
タイトルに「U」を付けていただきありがとうございます。
「おりはし旅館」につきましては、妙見温泉を散歩していた途中で気づきました。もしかして七ちょめさんの旅籠宿に鹿児島県で唯一の旅籠宿として掲載しているのではと・・・。

妙見温泉の湯はいいですね。
妙見温泉を流れる天降川流域には、様々な温泉があります。高級温泉もあれば、庶民的な温泉もあります。日帰り温泉もかなり多いように思います。温泉を楽しむには、好都合な場所と思います。
鹿児島県を訪問する場合は、大隅地方は妙見温泉、薩摩地方は仙台高城温泉にしようかと思うくらいです。

画像は、高隈麓(鹿屋市)です。門に蔦を絡ませ綺麗に仕上げています。珍しい例と思います。
鹿児島県の麓の街並みは、以前、2008年前後に60カ所程度は訪問していますが、景観というか画像を中心とするものでした。現在は、図書館を訪れ、地元の歴史を知りながら訪問しているため、訪問箇所数があまり進みません。図書館で調べると、あれも忘れている、もうちょっと良く撮っておくんだったとか、反省点も多いです。おかげで、2度目の訪問も考えています。温泉には、まだまだ当分行けそうです。


万訪 12月 1日(日) 13:37
近県の湯治の旅が続いていますね。近くにいい町並みが多く羨ましい。やはり九州はいいところが多いですね。
オフ会で提案したLINEグループですが、その後この掲示板で皆さんの了解が得られたと思いますが、言い出しっぺの私がグループ申請をしていませんでした。先ほどLINE検索でわかった方だけ申請をいたしました。辰巳屋さんはLINEをやられていますでしょうか?

七ちょめ 12月 1日(日) 16:25
LINEに私も入れて頂きありがとうございます。判らないままごく少人数の方々と通信をしています。掲示板に代わり皆様の活動・行動を発信されるよう願っています。
皆様の活動を眺めて楽しんでいます。
よろしくお願いいたします。
M014010098160.v4.enabler.ne.jp