もんちゃん(柴犬)
今日は今まで何度も書こうと思っては書けなったもんちゃんの事を書きます。私のとって一番悲しく決して忘れることのできない犬もんちゃんのお話です。 本当に悲しい話なので悲しいことが苦手な人はこの先は読まないでください。 今は眠れない程頭に来ることがあっても全く傷つくことの無くなった私ですが今でも毎日にように思いだすもんちゃんと言う犬がいます。 皆さん子供は仕事もせずに遊んで未成年者は法に守られ幸せだと言います。 しかし私の子供時代は死にたいのに死ぬことさえも許されない 誰も私の見方はいない...両親も一緒にいない...ひおばあちゃんに育てられたけど私の事を嫌っている...そんな真っ暗な子供時代でした。勿論いじめといういじめは全て受けていました。 そんな時月に一度くらいかな会いに来るお父さんが子犬を連れて来たのです。名前はマリリンモンローからとってもんちゃんという名前がついていました。私が10歳の時です。もんちゃんと私はすぐに仲良くなりました。 私に初めてできた友達で本当に本当に大切だったんです。 ときを同じにして両親がよりを戻し私も両親と住む事になり、おこずかいも貰えるようになりました。私は子供の頃からちくわぶが大好きだったんですが、もんちゃんはちくわぶを食べないので私はおでん屋の前で何時もこづかいの全部をもんちゃんのウインナーに変えていました。もんちゃんが喜ぶと嬉しくて嬉しくて...自分はほとんど食べなったと思います。しかし私の幸せは長くは続きませんでした。両親が住んでいたマンションがペット不可だったんです。私はその頃ペット可のマンションがある事も知りませんし 子供ですから泣きわめいてもどうにもならず、もんちゃんはおばばちゃんの家の庭で飼われることになってしまったのです。おばばちゃんは犬が嫌いだし何よりもんちゃんは私以外懐きません。毎日学校以外はもんちゃんと一緒に居たんですが、ある日父親がもんちゃんをペットショップにやってしまったんです。もんちゃんは血統書つきの雌だったので子供を産めると言う事でペットショップが引き取ったようですが、私は勿論狂ったようになりましたが子供には何の権利も力もないんです。父親は私の事を全く理解してくれませんでした。私にとってもんちゃんがどんなに大切だったか... あの時の私はたとえ目を失っても声を失っても足を失ってももんちゃんだけは失いたくなかった。父親はあの時私に言いました。おれのいったことが正しい事がお前を大人になれば判ると...でもね私はあの時からわかっていたんです。決してそんな事はないと.....あの時もんちゃんが近所の家の幸せな家庭に貰われたのなら私は今でも悲しむことはなかったかもしれません。もんちゃんは私以外には全く懐かなかったしペットショップで最後はどんな人生を終えたのかと思うと今でも涙が止まりません。子供はほんとに無力です。大人になってこんなに人生がばら色で自分が望めば何でも手に入れられる世界があるとはその時は夢にも思いませんでした。私は父が好きですが、今でももんちゃんを私から引き離した事は忘れられませんし、恨んでいます。いまだに犬をやめろと言っているので全く私をわかっていません(笑)
今はほんとに幸せです...自分の欲しいものは何でも手に入れてきたし 毎日が楽しいです。子供の時のように言いたい事もいえないと言う事もないし.だから自分の人生にとっても満足しているしまだまだ長生きしたいけど 子供時代はほんとに辛かったです その中でも一番辛かったもんちゃんのお話を今日は書きました。 本当にもんちゃんが好きでした これからもずっと死ぬまで忘れることは出来ないと思います あの時どうにかする方法はなかったのかとずっと考えていましたが 最近になって自分が18歳になった時全財産(たいしてないけど)を使ってもんちゃんを探し出し買い取れば良かったのではないか?と思いました。 しかし多分やっぱり18歳の時に同じように考えたとしても まだ精神的に弱かった自分はもう死んでいるかもしれないと思い その現実が怖くてやはり探せなかったでしょう
私は犬が本当に好きです
追記 私は犬の気持ちを良く考えます 寂しくないかな?いやな事ないかな?とか 子犬が足を噛む尻尾を追いかけるという仕草はストレスのシグナルです そう言う場合飼い主さんに何時も言うのは 子犬の気持ちを考えてあげてくださいと言う事です 環境が変わり子犬もナーバスになります 意思の疎通が飼い主さんと出来ない事で 子犬にストレスが掛かるのです そんな場合はしつけはあとにしてとにかくオーバーに 愛情表現をしてあげてくださいとお願いしています。 とにかく撫でたり可愛がってあげれば子犬はストレスから解放されます。 その後調子に乗ってきてからしつけをして頂くようにお願いしています。
2012-07-29 23:17 in カテゴリー1
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