2011年12月21日 (Wed)

私が日本を出てから2回も新聞に掲載されたようです。 


うれしいですね。日本の友人たちが私に新聞の掲載を知らせてくれました。添付ファイルで送ってくれたのです。地元下野新聞でした。ありがとう。本当にありがとう。
私がしてきたことはとても小さなことです。でもその小さな芽がどんどん日本中に飛んで行ってほしい。と願っています。

1回目の記事は岡野さんが知らせてくれました。


2回目の記事12月18日の新聞掲載は平橋先生が知らせてくれました。

内容は下記の通りです。

1回目の岡野さんんからの記事は私の顔写真入りでした。
2回目目の「家族」をつくり、パーティー満喫 施設の子ども招待 那須

(12月18日 朝刊)
 【那須】高久丙のペンション「こびとの森」はこのほど、県内の児童養護施設の子どもたちを招いて1泊2日のチャリティークリスマス会を開いた。

 県内4カ所の養護施設に入所する小学生39人を招待。子どもたちは県内のボランティア12人と「家族」をつくり、那須テディベアミュージアムやペンションでのクリスマスパーティーを楽しんだ。

 2日目のパーティーでは、全国で活動する都内のチャリティーボランティア団体「ミリタリーエアポート」から、お笑い芸人や落語家、俳優やミュージシャンとして活躍する矢野デイビットさんら11人が訪れ、ガーナ音楽やお笑いライブなどを披露。子どもたちは大きな声を上げて楽しんだ。サンタクロースの衣装を着た団体メンバーが、子どもたちにプレゼントを配った。

 イベントはことしで5回目。活動の賛同者やペンション利用者などからの寄付で運営している。オーナーの川村さちこさんは「2日だけの家族だけど、打ち解けていた。小さな力を出し合ってすてきな思い出をつくってあげたい」と話した。

うれしいですね。異国に居るからこそ日本の情報はとてもうれしです。
岡野さ~ん平橋先生~お知らせしてくれて本当にうれしいです。
ありがとうございました。

私の独り言(ぶつぶつ・・・・)
施設の先生も話されていましたが・・・以前「タイガーマスク」がランドセルをプレゼントが全国で大フィーバーした時の事を思いだします。
今の施設はランドセルをはじめとして必要な物はきちんと買い与えられるお金は国や各市町村から出ています。日本の児童養護施設の子供たちがほしいのは物ではないのです。心や家族?と呼ぶことのできる人とか思い出です。だから全国の旅館、ホテル、ペンションの経営者のみなさんへお願いです。数人でも良いので無料で招待して差し上げて下さい。
そんな事が全国に広がってほしいです。私の力だけでは本当に小さな小さな力ですから・・・。

マスコミのみなさん~・・・。
全国の施設の子供たちが心の旅ができるようにこの輪を広げる為にお力を貸してください。お願いします。

先日、私にも実は有名?なニュースキャスターが親戚にいます。毎晩TVのニュース番組に出ています。
当時このランドセル騒動も報道していました。
クリスマス会の数日前に悩んな末に電話を入れました。力を貸してください。私の名前もこびとの森も伏せていただいて構いません。
あのタイガーマスク騒動のように日本中にこの芽が飛んで花が咲くことで一人でも多くの施設の子供たちが楽しい旅ができますように・・・。と
しかし電話の向こうから返ってきた言葉は大変冷たい言葉ばかりでした。
私の耳を疑うような言葉ばかりでした。彼に電話したことを私は心から後悔しました。彼には施設の子供たちの叫びが通じない!!
最後の言葉を振り絞るように「電話してすみませんでした。この事は忘れてをください。」とその後、私は悔しさで涙が止まりませんでした。

エリートコースをただひたすら走りぬいた人間には私のような人間をバカに見えるのでしょうか? 
私は学歴もありません。名誉も何もありません。しかし誰にも負けない情熱だけは持ってがんばってきました。
追い打ちをかけるように彼の妻である私の妹から電話が入り「私の夫には電話しないでね。ってあれほど言ったでしょう。主人は今は有名なキャスターなのよ。」と・・・。私はもう力も無くなっていましたが、「すみませんでした。」と謝るしかありませんでした。電話を切ったあと声をあげて泣きました。「もういい~」彼らと私は人生の価値観が大きく違ってしまったようです。

私の母もそんな婿の自慢ばかりです。以前こびとの森の常連のお客様が「さちこ先生は施設の子供たちを無料で宿泊させるなんてすばらしい事ですね。僕はさちこ先生のファンなんですよ~。」と私の母に話した時、母は「あの子は大したことないんですよ。あの子の妹の旦那がすごい人でね。」
とこびとの森で自分の婿の自慢話が又始まったのでした。
事務所の中に居た私はドアが開いていたので全て耳にしてしまいました。
これは現実なの?
実の母と言えどもここは私のステージ!!そこで私を大好きで来て下さる人に対して何て事を言うんだろうと悔しさと怒りでいっぱいのなった日がありました。

大好きな父が生前、私によく言っていました。「俺はもう離婚したい。しかしこの年になって離婚してもみんなが不幸になる。だから俺だけが我慢すればいいことだから・・・・。先も長くないしな。しかし幸子お前は我慢するなよ。俺はお前が1番好きだ!!お前はえらいぞ~・・・。二人の妹たちは口ばっかりで何もできやしない。俺が生きているときはお前を守ってあげられる。しかし俺が死んだらお前は一人ぼっちだ。辛いことがあるだろう。だけどお前は俺のように我慢しなくっても良いからな。最後は全員と縁を切れ~」

そんな父が2003年12月31日突然。本当に突他界しました。1番私を心から愛してくれたおとうさん!!個人タクシーのドライバーでした。
お金の無い恵まれない人に出会えば無料でタクシーの乗せてあげておまけに1000円あげちゃうほど人の良いお父さんでした。
私はそんなお父さんが大好きでした。しかし母は「稼ぎも無いのにただで乗せて1000円くれるなんて何てバカな男」と父に言っていたのを聞いたときに怒りでいっぱいのなりました。私は父を世界一素晴らしい人だと今でも思っています。お金も無いし、名誉も全く無かったけど最後まで人間として立派だったと思います。

私は父が亡くなる数ヶ月前に父の葬儀の夢を見ました。夢の中で告別式の最期のお別れを挨拶を私がしていました。私は目が覚めて父さんはもうすぐ亡くなる?」と思いました。時々私は自分の未来を見ることができます。
現実の告別式の前日に私は驚くべき会話を私の目の前で聞きました。母が婿さんに「あなたはTVで話すことが仕事だから明日の親族代表の挨拶をあなたにお願いしますね。」婿さんも「ハイお母さん僕がやりましょう。」
母は自分の実の娘より「世間体」やらエリート、有名ニュースキャスターが大好きな人なんです。

私は心の中で「え~3人姉妹の長女である私が話すべきでしょう?それにお父さんはプロのニュースキャスターの挨拶より1番愛した娘からの心からのお別れの言葉をほしいよ。」それまで話すことまで決まっていた私でしたが・・。その言葉は私の心の中だけで今では話されることはありませんでした。結婚式はまれに2回も3回も行う人がいるかもしれません。
しかし私の1番愛したお父さんの最期のお別れの言葉はもう2度と話すことはできない!!話事が苦手な私だたったらそれは仕方ないでしょう。
しかし私だって今まで数百人の講演会だってやってきた人間です。
父との心の絆は誰にも負けません。

最後に私は栃木県の郵便局で行われている「家族への手紙コンクール」で日頃大切な家族に直接言えない言葉を50字の手紙にして送りませんか?
1,000通以上の応募の中で私の書いた「おとうさんへ」が見事入選した事がありました。
その作品を朗読するつもりでした。実行されずにもうすぐ8年目の命日12月31日を迎えようとしています。
異国に居るからこそお父さんへの思いは強く私の心の中に生きています。

今回、この新聞記事を書いて下さったのは地元新人女性記者でした。
ありがとう!!これからも初心を忘れないでね。どんなに有名になっても人間としての心はずーと持って人の痛みや苦しみのわかる記者になってください。

2,011年3月11日の大震災。その後の原発事故。私の人生も大きく変わっていきそうです。苦しかった今年!!いっぱい!いっぱい一人で泣きました。
心の中で泣きました。
そんな1年があとわずかですね。今年は日本へは戻りません。このアメリカの国でお父さんの命日と新しい年を迎えます。

*今日は何だか長くなってしまいました。書きながら又涙がいっぱいになってしまった私でした。
悔しさをバネに異国で生きている私です。

もう寝ます。グアム時間10時30分(





2011-12-21 21:45 in カテゴリー1 | Comments (0) #
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