2009 04月 16日

The Marriage union



結婚関係において
神聖な愛を取り交わすことは、
初めに宇宙を形成した、創造的な愛と同じものである。

そのとき、父なる神は命じた。
「光あれ」
母なる神は応えた。
「ならば 光ありき」
と。


この創造性溢れるハタラキは、
目に見える結びつきにおいてだけ見られるのはでなく、
パートナー同士が、
互いにまだ見ぬ独身生活の中でも、
同じように展開される。
それぞれが、
源へとつながるために身を投じる、
内なる旅路の長い歳月のもとで。


男女の結びつきによって
聖なるエネルギーが交わされるのは、
宇宙意識、
―つまり光から成る私達の体―
の領域に移るためだ。

このような二人のフュージョンから生まれた光のエネルギーは、
パートナーそれぞれのポジティブな性質を高め、
彼ら自身の神聖なアイデンティティを強める。

そのチカラによって彼らは、
互いのカルマを
共有し合うことができるのだ。

その結びつきは神の愛へと捧げられるため、
父と母なる純粋なエネルギーが調和しながら混ざり合うことによって、
キリスト的な意識という「息子」がもたらされる。

そのカタチは様々だ。
―肉体を持つ子供となるのか、
またはインスピレーションとしてか、
実りある事業か、
または芸術作品として生まれるのか―。

このエネルギーの交換が、
「神とは愛し愛されることだ」
という認識のもとで精神的に扱われない場合、
二人が、物質的、肉体的な次元の喜びを経験することはあっても、
魂の領域の愛がもたらす恩恵を受けることはないだろう。
それどころか、互いのカルマのパターンを、
不本意にもさらに引き受けることにもなる。


上辺だけの性的な関係を持った者たちが、
しばしばアイデンティティの危機に陥るのはこの為かもしれない。

彼らはとてつもなくたくさんのカルマ的なつながりを引き受け、
自分という存在を極めて曖昧なものにしてしまったため、
もはやわからなくなってしまったのだ。

本当の自分とは一体誰なのか、を。


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