| 父との記憶
たくさんのお悔やみのメールやコメントをありがとうございます。
 お一人ずつお礼の返信をしなくてはいけないところですが、
 まだ気持ちのゆとりがありません。
 
 ここに前回6/4のブログ以降の父の経緯を書いてみます。
 勝手ですが、これをお一人ずつへの返信と受け取っていただけたら嬉しいです。
 ただ長くなるので全て読んでいただくには気が引けますが、
 父と自分の記憶の為にも書いてみます。
 
 
 6/4(水)
 昼間病院で逢ったのに、19:20頃父から電話が入る。
 動けない身体で看護師さんに無理を言い、公衆電話まで車椅子に乗せて貰ったらしく
 「どうしたん?」と聞くと「隣のベッドの人がな、ウンウン唸っとる。ワシもあないなるんかなぁ・・・」と不安そう。
 「あんまり悪いように考えたらアカンよ」と言うと珍しく黙り込み、
 「お寺にな、近々ワシの葬式あげてもらわなあかんようになるって連絡入れてくれるか?」と言う。
 
 この時点では緩和病棟への話を進めてる最中で、先生も私もまだ生きてくれると信じていたので
 「縁起でもないこと考えんとき」となだめた。
 それでも「頼むわな、すまんな」と気弱に電話を切った父。
 自分ではもう最期の日が迫っているのを解っていたのかな・・・・真剣に聞いてあげずにごめんね・・・
 
 
 
 6/5(木)
 いつものように病室を訪れると父の姿がない。
 ナースのみなさんは毎日私の顔を見るので名乗らずとも知っていて
 父の部屋が急遽、個室に変わったことを報せくれる。
 
 個室に行くと心配したより元気そうで「待っとった」と可愛らしい事を言ってくれる父。
 
 この頃は食事も出来ず全て点滴の為、ミルクのみ人形のように管から入れた水分が出てしまうようだ。
 オムツでは追いつかないのか、毎日パジャマが3枚ほど洗濯物に出ていた。
 
 着いてすぐ1階のコインランドリーで父のパジャマやタオルを洗濯する。
 洗濯機のスイッチを入れ病室の6階でエレベーターを降りると
 3人の看護師さんに囲まれエレベーターのまん前に車椅子の父が居た。
 
 検査でも受ける事になったのかと慌てて近寄ると「娘を待っとるって言って」と看護師さんが笑う。
 「そんな事で忙しい看護師さん、付き合わせたらあかんよ。
 下に洗濯に行くって言ったやろ?」と笑うと
 「はよう顔が見とうてなぁ」と言う。
 みんなが居なかったら抱きしめてあげたい気分だった。
 看護師さんに付き合ってもらってすみませんと詫びると「好きで居ただけよ、人気者だもんね~、ハーレム状態だよね~」
 と笑ってくださる。
 
 病室に戻り担当看護師の方に昨日の夜の経緯を尋ねるのが日課になっていて
 熱が高い事、昨日の深夜、父は動物的な大声で「痛い~!苦しい~!」と叫んだらしく
 同部屋の人に迷惑なので個室に移された事などを教えてもらう。
 
 午後から緩和病棟の先生2人が父の問診に来て下さり、父は一生懸命答えるが質問にうまく答えられていなかった。
 「えぇっと・・・なんと申しますか・・・えぇっと・・・」と繰り返し、話し上手な父らしくない応答だった。
 
 しばらく痛がる身体をさすってあげると身を預けてくる。薄くなってしまった背中や骨ばった肩が悲しい。
 
 もう一度コインランドリーに戻り、出来上がった洗濯物を取りに行く。
 部屋に戻ると父は疲れ果てたように眠り始めたところだった。
 洗濯物をたたみながら父の寝顔を見ていると
 今度は担当医の先生が顔を見せてくださる。
 
 「先生が来て下さったよ」と起こすと父は私に向って「これはこれは先生」と会釈する。
 「これは私、先生はこちらだよ」と教えると「あぁ、どうもどうも」と挨拶し先生と3人で笑う。
 緩和病棟への最終希望確認に来てくださったそうで、父は自分で「緩和病棟に行きたいです」とハッキリ答えた。
 その後、少しだけ廊下で先生と2人きりで話し、部屋に戻ると「もう遅うなるで帰り」と父は言う。
 
 「うん、じゃあまた明日来るね」
 「ありがとう」
 「またね」
 「ありがとう、さようなら」
 
 
 まさか、これが父との最後の言葉になるとは、この時思ってもみなかった。
 
 
 6/6(金)
 昼前に私が到着すると父はよく寝ていた。
 担当看護師さんに私が居ない時間の父の様子を聞く。
 午前中、看護師さんに車椅子を押してもらい少し病院内(自分の病室フロアのみ)を散歩。
 「熱もあるけどご機嫌だったし、昨日の朝は唄まで飛び出したよ。」との事。
 徳島の阿波踊りの歌を披露したそうだ。
 再入院してから徳島の話がやたら多くなった。
 故郷に帰りたかったんやね、寂しかったんやね・・・・
 
 午前中動いたから疲れたかな?3時間、部屋に居ても私に気づくことは無かった。
 この日は先生にも逢えず、父とも話せず病院を後にする。
 
 夜、父がちゃんと目覚めたか心配で病院に電話しようか迷い受話器を持つも、
 夜分に迷惑かと思い直して受話器を置く。
 
 
 
 これより先、最後の2日間は壮絶でした・・・・
 記憶を辿るのに疲れたので今日は休みます。
 長いのに読んでくださって、ありがとうございました。
 続きはまた書きます。
 
 
 
 
22:52 in 自分 
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