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1637: 鉄輪温泉 辰巳屋 12月11日(日) 09:43
大分県別府と北九州に行ってきました。
別府では、鉄輪温泉、明礬温泉、北浜界隈を廻りました。
画像は、鉄輪温泉の中心地の鉄輪銀座通りです。湯治場として有名で、地獄めぐりも有名です。街のいたるところで湯煙りがみられます。旅館も多いのですが、地元では旅館というより、湯治客への「貸間」と呼んでいるとの説明がありました。

万訪 12月11日(日) 10:14
辰巳屋さん、こんにちは。
別府の写真、風情がありますね。別府はJRから海側を歩いてはいますが、明礬温泉のような山側を歩いておらず、未だ記録すべき町並みの全貌がつかめておりません。一泊二泊して歩かないといけないですね。旅館ではなく「貸間」というのも湯治場ならではの表現なのでしょう。豊後水道沿のリアス式海岸集落に未訪地があるので、合わせて行きたいと思いました。

七ちょめ 12月11日(日) 12:01
この鉄輪温泉の画像はいいですね。一度は明礬温泉に泊まり、硫黄の採掘するところ??を見たこともあり、もう一度は別府市の街中の温泉、名前は忘れた 別府温泉??に泊まり、何だか近代建築の写真を撮った覚えがあるのですが。

湯治場じゃなく「貸間」という表現も面白いですね。確かに湯治客には当てはまります。

別府には私の泊まる対象となる温泉宿も少しはあるのですが、二人以上でないとと云われることが多く、電話するもの億劫ですね。

辰巳屋 12月11日(日) 13:59
画像は、「温泉閣」です。旅館と湯治とどちらも対応できるようです。
鉄輪温泉の中心地にあります。
温泉で野菜などを蒸して食べる「地獄蒸し」もできるようです。ホームページもあります。創業は明治とあったように思いました。


Yasuko 12月11日(日) 15:50
先日辰巳屋さんに教えていただいた、因島の三庄の鉄工所遊郭を写しにいってきました。確かに風格がよく残っていて、久々にうれしくなりました。
あと土生の歓楽街、面白い3階建がありました。生口島の瀬戸田にも耕三寺の庭園の傍にも遊郭があったというところも民芸館の館長さんが教えてくださいました。あとから知ったのは館長は平山郁夫さんの弟さんだったとか。

孫右衛門 12月11日(日) 19:31
鉄輪温泉をはじめとした情報ありがとうございます。別府は部分的に歩いてはいますが、私も全体像がつかめていません。九州は温泉の大変多いところですが、考えてみると私個人的には鉄道を目的としたものと町並を目的としたものばかりです。最近はそれでも温泉宿に泊ることも少なくないですが、九州では20年くらい前に雲仙に泊った位で、温泉を味わっていません。

先日のミニオフ会で、来年のオフ会当番役として意思確認みたいなのも行いました。これまでに出ているものとして、その九州の温泉地を中心とした案、そして(第15回ということで)祝島で再度という声も上っていたかと思います。
例年年明け2月くらいには実施日と開催地の決定に入っていますので、これから年明けしばらくにかけて、各々希望地その他を練っておいてください。今回は人数も増えましたので、開催日は早めに調整した方が良いと考えます。

辰巳屋 12月12日(月) 05:09
Yasukoさん、さっそく訪ねられたのですね。
三庄は、分かりにくい所です。一見、普通の住宅街のようです。土生の3階建ての情報は私は知らないですね。
瀬戸田は、外見は普通の住宅なので、地元の人でないと分からないでしょう。

鉄輪には、他にも湯治旅館のような旅館はたくさんありました。
画像は、別府の北浜にある趣のある旅館、山田別荘です。


七ちょめ 12月12日(月) 13:19
温泉閣の開業は明治年間ということで宿泊対象としてリストアップさせて頂きました。
山田別荘も調べましたが、昭和5年に別荘として建てられた建物を、戦後旅館として使用されているものの様です。
そんなんで私の宿泊対象から外れます。残念ですが仕方ないです。
情報を頂き有難うございます。

urano 12月14日(水) 23:33
別府は20年近く前に観光旅行で行ったのみです。そのときは大型の観光ホテルが多い街という印象で、以降も訪問リストに入れておりませんでしたが、風情のある裏道や温泉旅館がたくさん残っているのですね。

また、それとは別に最近、明礬温泉の湯の花小屋の存在を知り、いずれ行きたいと思うようになっておりました。
湯の花小屋については、情報を得たときにインターネットで検索したら、七ちょめさんのブログが偶然ヒットしました。
それで改めて町並みページを拝見しましたが、掲載されておらず・・、まあ「町並み」ではありませんからね。
でも、ここの茅葺き小屋の一群はたいへん興味があります。


七ちょめ 12月15日(木) 08:56
uranoさん
明礬温泉の湯の花小屋を訪ねたのは覚えていますし、ブログにUPしたのも覚えていますが、自分の投稿したブログを見つけることができませんでした。
どうでも良いことですが、偶然の上に偶然でしょうがよく見つけられましたね。

七ちょめ 12月15日(木) 22:02
多分 明礬温泉の湯の花小屋はこの様なものだったと思います。
URANOさん、当たっていますか。

七ちょめ 12月16日(金) 09:27
見学できるのはこの様なものだったと思います。

urano 12月16日(金) 13:41
七ちょめさん、そうです、これです!
あのあと再度検索しましたが、ブログページは見つけられませんでした。
私は小屋などの付属屋も好きなもので、こうした設備(しかも茅葺き!)に惹かれます。

七ちょめ 12月16日(金) 14:58
http://takahira.exblog.jp/18218453/
やっと探し当てました。掲載は2004・4・29で12年以上前でした。

Kさん 12月17日(土) 11:53
九州に住んでいるころ別府には何回も行きましたが、明礬温泉へは行っていません。「別府八湯」と言って、8つの温泉の集合体なのですね。鉄輪温泉のあちらこちらに湯気が立ち上る景色が目に残っていますが、残念ながらスケッチはなし。
この絵は亀川温泉の公衆浴場ですが、入湯料は50円でした。別府港近くにある伝統的建築の「別府温泉」も入湯料はそんなものでした。

Kさん 12月17日(土) 11:58
「訂正」別府の中心街にあるのは「別府温泉」ではなく「竹瓦温泉」でしした。入湯料は100円でした。

七ちょめ 11月 9日(金) 08:53
偽ブランドの販売業者が投稿しましたので削除したのですが、投稿の順番は上がったままです。
M014010098160.v4.enabler.ne.jp
1830: 南牧村の養蚕農家 辰巳屋 11月 1日(木) 05:51
現在、秩父にいます。
10月29日に長野県佐久に宿泊し、田口峠経由で群馬県南牧村に入り、上野村経由で秩父まで来ました。養蚕農家の集落の訪問が主な目的ですが、長野県佐久市の広川原、馬坂は良く養蚕農家が残っていました。ほとんど南牧村のようでしたが。

画像は、田口峠(県道下仁田臼田線)の道路です。


辰巳屋 11月 1日(木) 05:53
画像は、広川原です。二列に並んだような状態で建てられています。
ここは、南牧村ではないようです。佐久市です。

辰巳屋 11月 1日(木) 05:54
南牧村では、熊倉、勧能、星尾(仲庭・大上・小倉・道場)、赤岩、六車、山仲、下底瀬、上底瀬、大仁田、奥の萱と訪問しました。
画像は、熊倉です。

辰巳屋 11月 1日(木) 06:01
画像は、星尾大上です。

七ちょめ 11月 1日(木) 09:28
後の二つの画像の集落風景は良いですね。紅葉と天気で良い画像ですね。

私は今、新幹線で熱海に向かっています。地域の団体旅行です。泊まりは伊東温泉です。今までは家内が参加していましたが、今回は事情が有り私の参加に。

万訪 11月 1日(木) 14:19
辰巳屋さん、なんと秩父におられるんですね。この後、養蚕つながりで栃本行かれるのですか?
南牧村の奥地はよく残っていますね。見応えがあったことと思います。おっしゃる通り、広河原は長野県佐久市です。とんでもない峠を越えないと市役所に行けない。したがって、このならびの上信国境では田口峠だけ冬季閉鎖になりません。
なぜそんな国境線が引かれたのか、わかったら教えてください。

孫右衛門 11月 1日(木) 22:35
精力的に探訪されているご様子、災害対応も落着かれたようで何よりです。私はこれからなかなか動きづらくなる時期に入りますのでその分もお願いします。
それはともかく、南牧村は9月に訪ねているのに、挙げられた集落はどこも全く訪ねていません。まだまだ粗い探訪です。
私は山梨県側から秩父地方にアプローチし、小鹿野、上野村、南牧村を経て下仁田町から佐久・中込に抜けました。

辰巳屋 11月 2日(金) 06:06
上野村では、楢原(旧黒沢家)、乙父、乙母、川和、新羽、野栗沢、胡桃平、八倉、平原、橋倉、持倉、高塩、元船子、間物を訪れました。

胡桃平は、斜面に並ぶ養蚕農家の建物が印象的でした。

辰巳屋 11月 2日(金) 06:10
八倉を訪れ、八倉の麓にある橋倉集落で、地元の人に聞くと、八倉よりもさらに山の中(上)に持倉という集落があるという情報を聞き、急遽訪れました。天空の里として、有名のようです。

画像は、持倉です。国道462号から県道172号に沿って船子川を遡り、一番奥の集落です。椹森までは、広い道路ですが、直前の連続カーブの細い道を登ると終点に持倉集落があります。地元の人に聞くと平家の落人伝説もあるようでした。

山岳集落を訪れるには時間が必要です。足が疲れますので、シップを持参し、毎日貼っています。

太泉八雲 11月 2日(金) 21:47
おお、久しぶりの書き込みです。
辰巳屋さんは南牧村にいらっしゃったのですね。
長野県佐久市の広川原から南牧村は、最近ときどき久しぶりにバイクで訪れ、改めて撮影で再訪せねばと思っていました。
いくつかは知らない、見たことの無い風景。奥が深いですね。地元民として反省と共に久々の集落探訪、刺激されます。

太泉八雲 11月 2日(金) 21:58
しかも、今年は何度もバイクで訪れている上野村の新羽、野栗沢、胡桃平、八倉、平原、橋倉、持倉、高塩、元船子、間物は全く知らない場所です。
群馬県上野村。奥が深い...。

万訪さん、長野県佐久市広川原で言うと、分水嶺よりも東側に位置しています。
が、豪雪地帯というのがネック。流通の中心地である下仁田よりも、城下町にして宿場町でもあった田野口藩の臼田の方が距離的にも地形的にも近くて合理的だったようです。

この界隈、再訪問されますか?

万訪 11月 5日(月) 06:31
下仁田より峠を越えて臼田の方が合理的
なるほどです。しかし、あの峠の高低差はどう考えても同じ行政区域として不自然に感じてしまいますね。

この界隈は、中央構造線づたいにつながる、天界の村の北限だと思っています。改めて動画撮影したいと思っておりますので、再訪問しようかな。

辰巳屋 11月 5日(月) 10:01
上野村の訪問地として、複数の地名を書きましたが、神流町の地名も含まれていました。八倉、平原、橋倉、持倉、高塩、元船子、間物は神流町です。失礼しました。

画像は、持倉の前掲の集落の反対側の建物です。養蚕農家の2階を改装したものと思われます。

辰巳屋 11月 5日(月) 10:02
画像は、南牧村の大仁田です。大仁田には、養蚕農家が多く残されていました。惜しいことに、大きな養蚕農家の建物が崩れかけようとしていました。

私は、その後、埼玉県秩父市の石間の沢口、半納の集落を訪問し、その後、山梨県の甲州古民家の集落を訪ねました。これは、整理中ですので、後日、報告します。

万訪 11月 5日(月) 14:16
辰巳屋さん、八倉の情報は私のサイト以外にありましたでしょうか?私は地形図で天界の村だとあたりをつけて訪れたもので、ほかに情報があれば教えていただきたいです。

辰巳屋 11月 5日(月) 16:50
八倉は、万訪さんの情報です。ありがとうございます。他にはありません。

ついでながら、時間がなかったので行けなかったのですが、神流湖の南側にも養蚕集落があるように思います。吉田太田部の久保田、相見、楢尾(以上秩父市)、鳥羽、宮本、浜の谷、住居野(以上神川町)です。地図で見ると斜面に広がる地形にあり、養蚕集落のように思います。
120050197170.mcat.ne.jp
1832: 温泉・銭湯二題 孫右衛門 11月 3日(土) 20:24
皆さんは余り温泉や銭湯は興味は低いと思われますが、その話題です。
私もほとんど興味がなかったですし、スーパー銭湯などには今も行く気は起きないのですが、レトロということに引っ掛けると結構魅力あるものと感じるようになりました。町並探訪でも小さな温泉旅館を好んで選んだり、現場出張でもビジネスプランなどで気軽に泊れるので、選択肢の一つにしています。

ここ最近のものからまず一つ。島根県の三瓶山の麓には非常に渋い温泉地が幾つかあります。今週初めの日帰り出張時、昼に少し空き時間が出来たので寄ったのが小屋原温泉・熊谷旅館です。ここは外観は普通の昭和の旅館といった風情で特筆すべきことはありません。

孫右衛門 11月 3日(土) 20:28
ところが浴室棟に移ると突如雰囲気が一変し、4つの小浴場が並ぶ湯治場的雰囲気です。平日の昼時間だけあって他に客はいませんでしたが、週末に入湯するのはかなり待つ場合もあるとのことです。

孫右衛門 11月 3日(土) 20:30
浴室内。浴槽は析出物で覆われ、入ると大量の炭酸ガスで体中に気泡が付着しました。

孫右衛門 11月 3日(土) 20:37
所変ってこれはわが町に唯一残る銭湯です。訪ねられた方はご存知かと思います。
子供の頃風呂が壊れた時に入ったことがあるのを記憶しています。こういう銭湯は激減していて、もはや銭湯マニアの間では結構有名になっているようです。
いつかまた行ってみたいと思いながら、今日久々に入ってみました。

孫右衛門 11月 3日(土) 20:45
脱衣場・浴室ともにまさにレトロ銭湯そのもので、小学生の頃は普通の風景だったのでしょうが、今は珍しいものになっているようです。
ロッカーの上には常連さんのセットが並び、それが10セットくらいはありましたので、何とか維持できているのでしょう。
番台に座るお婆さんは80歳を超えられているということでしたが、年齢を感じさせない雰囲気でした。多分小学生のときに来た時も座っていたのではと思います。
先の豪雨災害では床上浸水の被害を受け、その後仮復旧し被災者を無料で受入れたりされていた姿を見て、そのレトロさももちろんいつまで続くかということもあって、近いうちに入りに行かなくてはと思い続けていました。
このような銭湯は、もはや文化遺産的価値があり、わが町にそれがあるのは、誇りに思います。

Kさん 11月 3日(土) 21:31
九州時代には公衆温泉にずいぶん入りましたし、普通の銭湯にも大いに興味があります。懐かしい感じの銭湯に出会うと、よくスケッチしています。この絵は大阪府泉佐野市の銭湯ですが、他にもたくさんスケッチがあります。

先日の台風21号で大阪府下の銭湯の70%に当たる300軒が被害を受け、廃業に追い込まれる銭湯も多いそうです。泉佐野の銭湯は大丈夫だったかな?。

孫右衛門 11月 4日(日) 08:44
人吉新温泉もKさんの情報でしたね。
最近は銭湯に行くこと自体を目的としている人も少なくないようですが、お客さんの多くは地元の常連客であり、ちょっとしたことで廃業のきっかけになる状態なので、台風被害で次々と止められる事態になっているのでしょうか。
大阪は銭湯の多いところで、古い町並とは少し違えど昭和的な街の風景に貢献するものでもありますので、無くなってほしくないですね。
ちなみにわが町の銭湯はわたしが入っている間に5人くらい客の出入りがありました。そのため浴室内は撮影できませんでしたが少し安心できました。

万訪 11月 4日(日) 15:37
孫さんの新シリーズですか!銭湯は鑑賞するのは好きですが、入るとなると面倒なので敬遠しがちです。ひと通り持参しないとだめですし。今後の展開を期待します!

孫右衛門 11月 4日(日) 18:02
私もさすがに本物の銭湯は用具一式が要りますし、地元の方々の中に闖入するのも少々勇気がいりますので、銭湯に入るのを目的とした探訪は予定にありません。ただ、レトロ性が話題だったり、宿泊先の近くに銭湯があれば足を伸ばしたいですね。
温泉の場合はそのようなことは少ないので、展開しやすいですが。今後メインに挙げるかどうかはもう少し考えましょう。

これは隣町の熊野町というところにある集落風景です。いつものウォーキングを少し場所を変えてやってみようという程度でしたが足を踏み入れていない路地も沢山あって、新たな発見も沢山ありました。ないと思い込んで歩かないのはいけませんね。
p1135141-ipngn200708niho.hiroshima.ocn.ne.jp
1831: 福島県南会津町 urano 11月 2日(金) 17:13
すっかりご無沙汰してしまって、すみません。
6月のオフ会以来の書き込みです……。皆さんの過去の投稿も拝見しました。万訪さんが行かれた宮城県の米川は、5年前に地域おこしイベントで探訪したところです。あまり知られていませんが、いい町並みですよね。

さて、ここのところなかなか町並み&集落探訪をできずにおりましたが、今週末は南会津町の水引集落で茅刈りのため、久々に遠出しました。
今日は前泊で、田島の登録有形文化財の旅館に宿泊します。
創業は昭和8年。翌年に田島大火があり、現在の建物は昭和9年のものだそうです。
駅の近くには比較的新しいビジネスホテルがあり、女将さんも「いつまで続けられるか……」とおっしゃってました。

孫右衛門 11月 2日(金) 22:51
田島の町並では会津郡役所の洋風建築とともにこの旅館も印象に残り、紹介ページに掲載しています。
この旅館が現役なのはとても貴重ですね。
水引集落もそのときに訪ねています。以前もあの辺りで活動されているという情報を聞きました。定期的に訪ねられているのでしょうか。

この時の探訪は会津地方から山形県南部にかけてのもので、3年前の9月でした。その後飯坂温泉や郡山郊外の棚倉町などを訪ね、最後に白河を歩いて新幹線で帰っています。

辰巳屋 11月 3日(土) 06:55
浦野さんは、水引で活動されていたのですか。
私は、今年6月のオフ会の前に訪問しました。現地の説明板に「茅屋根は、秋に外部からの参加者と集落の者が一緒になって茅刈りを維持しています」と書かれていました。
頑張ってください。
茅屋根の家には、私は小学校5年生まで住んでいました。

urano 11月 3日(土) 11:14
この旅館は田島の町並みでもひときわ目をひきますよね。今回、念願かなって宿泊できました。
さきほど水引集落に入りました。まさしく、辰巳屋さんの書かれた説明板の活動です。
午後から茅刈りをします。

万訪 11月 3日(土) 19:04
恒例の水引ですね。草屋根が綺麗に葺かれ守られていて素晴らしい!田島の旅館は写真は撮っていますが、すっかり存在を忘れていました。ちゃんと手入れがされていそうで、こちらも素晴らしい!いよいよ紅葉の時期ですがどこにも出かけられません。
pw126152200027.10.panda-world.ne.jp
1827: 新潟の報告 辰巳屋 10月18日(木) 05:15
遅れた報告で申し訳ありません。

新潟の特徴は、雪国ならではの「雁木」の町でしょうか。新潟平野には、雁木の町が多く残されていました。小須戸、白根、曽根、吉田、栃尾などを訪問しました。平野部ではありませんが、津川にも雁木がありました。津川が雁木発祥とありました。

画像は、吉田(新潟市西蒲区)です。とてもレトロな街並みが残っていました。

辰巳屋 10月18日(木) 05:24
地元のまちあるき広報誌を見ると、吉田の西川沿いには、「花柳界が栄えており、料亭が軒を連ね、おおくの芸妓さんや人力車が行き交う場所でした。」その中心に「橋畔楼」という料亭が残っているという記事が載っていましたので、訪ねました。
街並みだけかと思っていたのですが、意外なところから収穫がありました。


七ちょめ 10月18日(木) 09:46
津川 津川 知っているような??と思いながら自分のホームページを見ると、印象深い町並でした。
訪ねたのは2010.12.08とあります。新潟県の北部の村上市から、山間部に大きく入った阿賀町津川までの長距離を暗くなる前に、暗くなる前にと
念じながら雨の自動車道を飛ばした覚えがあります。
投稿写真で見ると、まだ、明るさが残っているようですが、実際その時にはもう暗くなってしまったと思っての撮影でした。
今思っても、無理して良くやったと、自分でも呆れるほどの行動でした。
http://matinami.o.oo7.jp/kousinetu/aga-tugawa.html
でも雁木が良く残っていました。

今日ここに泊っていると投稿すると突然にと言われますので、前もって。
来週、念願の熊本県の日奈久温泉の金波楼にそして人吉市の芳野旅館にも泊まってきます。また投稿します。



万訪 10月18日(木) 10:51
西蒲区とは巻町ですね。ここは知りませんでした。遊郭の存在も私の「全国津々浦々遊里リスト」にありませんでした。雁木の町並みといい遊郭といい、良い町並みですね。
七ちょめさんは日奈久の金波楼ですか。ゆっくり温泉に浸って疲れを癒してください!

辰巳屋 10月18日(木) 13:07
吉田の所在地を新潟市西蒲区と書きましたが、これは間違いで、燕市でした。失礼しました。
「橋畔楼」の近くには、現役の料理屋が今も営業していました。
この画像は、営業はしていないようですが、付近に趣のある建物も残っていました。

万訪 10月18日(木) 15:29
旧吉田町の吉田堤ですね。最後の写真の建物は立派ですね。近くの三条にも遊郭があって、木造三階建てが残っていました。このエリアは良い町並みが多いと思います。

Yasuko 10月18日(木) 20:44
すごい写真ですね。是非行ってみたいです。

孫右衛門 10月18日(木) 23:13
越後の探訪は収穫の多いものになったようですね。吉田は私もかなり印象度が高かったです。雁木の昭和レトロ商店街をはじめ様々な表情が凝縮しているように感じられ、なぜ注目されないのか不思議な町並でした。それがまた貴重なところです。
津川も訪ねてみたいのですが、ここだけポツンと残っているような町並なので、組みあわせる地域に苦労します。
広大な未訪問の地域というのも少なくなってきていますので、ここ最近の探訪は、あちこちに残る小さな空白地域をつないで探訪するという形になってきています。


七ちょめ 10月19日(金) 08:56
津川の印象が強く、津川 津川 になりましたが、燕市吉田下町の旧今井銀行のレンガ造りの建物も印象に残っています。
まだ、健在だったと思いますが。
辰巳屋さん投稿の木造3階建ての建物、蔓が絡んでいるので使われてないようですが、立派な建物ですね。このまま朽ちるのは勿体ないと思います。

辰巳屋 10月19日(金) 13:36
七ちょめさんのおっしゃるとおり、もったいない残念な話だと思います。燕市は街歩きも盛んに行われているようで、「燕三条まちあるき」という広報紙が出ています。私が、ホテルで見たのもこの広報紙です。後で気づいたことですが、ネットでも見られます。「橋畔楼」については、「再生に向けて活動が行われている」と記載されています。

その他、古い街並みでは、「新飯田繁栄の素・川前地区を歩こう」というのが紹介されています。新潟市南区になると思います。

辰巳屋 10月20日(土) 09:04
新潟といえば、豪農屋敷が多く残されています。北方文化博物館(伊藤家)、市島邸、長谷川邸、椿寿荘(田巻家)、孝順寺(斎藤家)、笹川邸、二宮家(外観のみ)、五十嵐邸(外観のみ)を訪れました。途中でもっと多くあることに気付きましたが、時間の関係で訪問できませんでした。またの機会を作りたいと思います。

現代の我々は、新潟は穀倉地帯が元々あったようなイメージですが、江戸期を通じて、潟の干拓、河川との闘いの連続、まさに開拓の歴史だということが分かりました。
画像は、笹川邸です。

太泉八雲 11月 2日(金) 22:18
最近の七ちょめさんの写真は情緒があって良いですね。
私自身反省すると共に、これからの町並み訪問の目指すところです。
もう町並みの「記録写真」は卒業するころかと、だいぶ前から思っていました。
後世に残す町並み風景。生活感、空気感、情緒感。これからの町並み散策のテーマです。
改めて再認識しました。ありがとうございました。

七ちょめ 11月 3日(土) 10:04
何だか褒めて頂いたようで恐縮です。
町並の写真が情緒あるものの様に撮っているかは疑問ですが、基本的には町並を必死に探し出して訊ねるというパターンは、古い旅館を遣りだした時からの辞めました。一番の要因は体力的なこともありますが、時間があればゆっくりと訊ねる。強いて探して訪ねないを目指しています。
一番端的なのは、旅館は午前9時以後の出発、宿への到着は午後4時までには着いている。を守っています。
その間には当然町並を訪ねますが、時間的にはゆとりを持っての訪問です。レンタカーを借りることも少なくなりました。
それが良いのか悪いのかは、自分の体力と相談しての結果と自分で思っています。
成るだけ長く探訪を続けたいのでの、少しでも楽な方法との考えからです。

でも付き合いで、11月1日〜2日と箱根、伊東辺りを訪ね、伊東の「青山やまと」に泊ってきました。
M014010098160.v4.enabler.ne.jp
1829: 歩いて出勤・歩いて帰宅 万訪 10月31日(水) 21:08
いい季節になりましたので、家から浜松町駅まで、朝歩いたり、帰りに歩いたりしています。芝浦は非戦災地区で戦前町家が残ってます、いや残っていましたが、もうこの一角くらいしかありません。

万訪 10月31日(水) 21:09
今日はうっかり寄ってラーメン食ってしまいました。歩いたエネルギー消費よりラーメンの方がカロリー高いでしょう。

孫右衛門 10月31日(水) 21:33
私も会社帰りに駅まで(3kmくらいですが)なるべく歩くようにしています。休日のウォーキングを含め、平均して週20kmくらいは意識して歩くでしょうか。
町の風景も楽しめれば一石二鳥ですね。
私は夜は麺類も米も炭水化物はほぼ口にしません。ただ酒類を減らせばもう少し減量できるはずなのですがね。
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1828: 日奈久温泉の金波楼に泊まっています。 七ちょめ 10月23日(火) 20:01
念願の日奈久温泉金波楼に泊まっています。
期待した以上の好印象の宿泊です。

万訪 10月24日(水) 00:54
念願達成おめでとうございます。いい旅館ですね。私も泊まった旅館の中では、会津東山温泉の向滝と双璧です。

Kさん 10月24日(水) 07:31
さすが、七ちょめさんの執念ですね。

孫右衛門 10月24日(水) 07:44
金波楼、わたしもいつかは泊ってみたいものです。
オフ会の時も柳屋さんの方が地震による宿泊客の減少をいわれていましたし、温泉街を歩いていると空地も多く、そんな中でよく健闘していると感じます。

七ちょめ 10月24日(水) 09:34
東山温泉の向滝は一人宿泊を中々受け入れてくれないようで!!
写真は金波楼の玄関奥です。

七ちょめ 10月24日(水) 18:14
今日は人吉市の芳野旅館に泊まっています。
孫右衛門さんの泊まられた人吉旅館とどちらにするか迷った末、芳野旅館にしました。

孫右衛門 10月24日(水) 21:34
人吉旅館は私が個人的に泊ったなかでも感動度が高かったですが、この旅館も良い雰囲気ですね。
来月、島根県で現場出張があり1泊の予定で宿を当たったのですが、まずは七ちょめさんの泊られた亀遊亭は満室といわれました。近くの温泉宿も断られました。ホテルがない地域なので、数少ない旅館はかえって平日の方が仕事の客で混み合うのかもしれません。
少し遠いですが別の温泉旅館を予約しました。建物は古くないのですが温泉は珍しいもののようで、その点は少々楽しみではあります。

七ちょめ 10月25日(木) 10:27
亀遊亭は明確には表明されていませんが、一日二組しか宿泊客を取らないようです。
部屋数は多いですが。元々旅館に建てられた物でないので。


七ちょめ 10月25日(木) 19:06
夕方、電気を点けてカーテンを開けてと頼みました。

万訪 10月25日(木) 20:03
さすがいい夜景ですね。七ちょめさんがこだわられて撮っている古い旅館、しかも照明が点灯している(現役の証)夕景写真は、伝統的な旅館が失われていく中、後世に残すべき大切な映像だと思います。がんばって続けて下さい!


七ちょめ 10月26日(金) 09:21
二日目の行動は日奈久温泉から人吉温泉までの予定。直線距離にして約30km程の距離。2時間に一本程度しかない列車のえびの高原線でも早く着き過ぎる。
そこでチョット横道になるが水俣市を訪ねることに。約2時間半もある水俣市探訪。おれんじ鉄道の水俣駅から町並を探しながら歩いて浜町辺りに、そしてまた歩いて水俣駅まで、約2時間で10,000歩以上歩いた。
写真は徳富蘇峰生家。
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1826: 海界の村を歩く 八島(山口県) 万訪 10月 8日(月) 12:53
台風一過、孫右衛門さんと八島を歩きました。この海域は、祝島や平郡島など良い島里が多いので、期待を膨らませて渡りました。そして、期待を上回る町並みでした。

万訪 10月 8日(月) 12:56
壁に動物の絵看板飾られているのは区長のご趣味だそうです。町並み鑑賞には必要ありませんが、過疎化の進む島里でも何か暖かさを感じます。
町並みは一級品です。祝島に勝るとも劣らないレベルと言っておきましょう。

万訪 10月 8日(月) 13:00
とても漁村で栄えた程度の家並みではない。なぜこんなに立派な家々があるのか。答えは「ハワイへの移住者による仕送りで潤おった」からだそうです。

家々は風を防ぐため、建物で囲った屋敷配置をしています。そして石垣が素晴らしい。

万訪 10月 8日(月) 13:02
祝島の隣にある島なので、あの特徴的な練塀はないかと思ったら、一部に見られました。漆喰塗りはなかったですが。

万訪 10月 8日(月) 13:03
もう一枚

万訪 10月 8日(月) 13:04
どうです、いいでしょう!

Kさん 10月 8日(月) 18:09
ちょっと出かける元気はありませんが、確かに魅力的な島ですね。

万訪 10月 8日(月) 18:24
今旅を終えました。蓋井島も良かったです。下関ですが山陰の集落ですね。
八島は祝島がなかったらエリア随一と言ってもいいでしょう。孫さんいい写真アップお願いします!

エピソード。八島で初ドローン撮影をしました。撮影そのものは上手くいきましたが、ちょっとした騒ぎが、、、
1回目の撮影でカラスが一羽偵察に来てました。2回目山の方に近ずいたら、森のカラスがたくさん出てきておおさわぎに。巣の警戒区域に入ったんでしょうね、追い払おうとしたのかな。撃墜されたらマズイのでそそくさと帰還させたら、すぐ平常状態に戻りました。空にも縄張りがあることを知りました。今後気をつけねばなりません。

孫右衛門 10月 8日(月) 19:33
万訪さんお疲れ様でした。1枚目の写真、集落の中に入ってこの風景が展開しだして感動度が高まりましたね。少し登ったところにあるこの辺りも見事でした。
また、ちょうど一番大きな寺の法要のある日で、見事な天井絵や貴重な話を聞けたのも収穫でした。
万訪さんとの探訪で以前もどこかで見た光景とそのときから思っていましたが、西山さんとの3名で訪ねた但馬紀行で、生野でも地元の人に案内されて天井絵を見たのを思い出しました。随分前のことです。
便乗させてもらってよかったです。

万訪 10月 8日(月) 19:39
私も思い出しました。生野の寺で、西山さんもご一緒でしたね。お陰まで良い旅になりました。


七ちょめ 10月 8日(月) 19:48
島集落探訪の旅ご苦労様です。成果があったのが何よりと思います。
ドローンがカラスの縄張りに入り、大騒ぎになったという話、面白いですね。
当たり前と言えば当たり前??なんでしょうね。 

万訪 10月 8日(月) 20:20
巣の警戒区域は40-50mだそうです。離れれば何事もなくおさまるようです。カラスは頭がいいのか臆病なのかドローンを攻撃しないそうですが、タカやワシは挑んでくるそうです。トンビはどうかな。


Kさん 10月 9日(火) 06:06
ストリートビューの定点カメラで見ました。1枚目の写真のある煉瓦塀に沿ってもう少し上った所が、一番のスケッチポイントと感じました。祝島は3度も行きましたが、八島へ行く元気がもうありません。お二人のリポートを楽しみにします。ドローンの話も面白い。


七ちょめ 10月 9日(火) 10:23
八島は面白そうですね。行きたいと思い今柳井市や光市などその周辺で、私の泊まる宿を探しています。対象の宿が見つかれば八島に行こうとおもいますが、宿が見つかるかが大問題です。

孫右衛門 10月 9日(火) 23:06
八島への航路右側に祝島が見えました。やはり大きな島で存在感がありますね。祝島・平群島そして八島と、この近海は良い集落のある島ばかりです。七ちょめさんも訪ねてみてください。私も祝島を再訪してみようという思いを抱きました。

万訪 10月14日(日) 07:12
八島の動画をYouTube にアップしました。今回は最後にドローンによる空撮でしめています。もっと遠くから島の全景を近づきながら撮るべきでした。
ドローンは佐合島でも撮りましたが、蓋井島では風が強くやめました。

万訪 10月14日(日) 07:14

孫右衛門 10月14日(日) 13:06
動画拝見しました。ちょうど1週間前、動画で見ると情景が鮮明に思い出されます。集落紹介映像としても素晴らしいと思います。最後にドローン映像で締めているところで一段と良い余韻が感じられます。ドローン映像は家々の配置の様子などもよくわかり、集落系に威力を発揮しそうですね。
高評価を付けさせていただきました。

Kさん 10月15日(月) 09:27
動画リポート拝見しました。画面に登場するハンサムなリポーターも含め、素晴らしい作品です。

スケッチしたくなるポイントもたくさん。2,3日ゆっくりと滞在してスケッチ三昧で過ごしたい島ですね。

万訪 10月15日(月) 18:52
楽しんでいただけましたでしょうか。空撮は無音なのでBGM入れざるを得ないのですが、いきなり作業が面倒になります。歩き動画も揺れが気になってきますね。来年からはジンバルで安定させる予定です。

万訪 10月15日(月) 21:07
孫さんと八島を歩いて、改めて離島集落の魅力を感じました。そろそろ島旅は休止するとか言いましたが、やっぱり続けようかな。
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1821: 困った!!ジオシティーズのサービス中止 Kさん 10月 1日(月) 21:28
今日、yahooから「ジオシティーズ」のホームページサービスを来年3月末で止めるとの連絡が来ました。以前、インフォシークというのを使っていて、それがサービス中止になったので、苦労してジオシティーズに乗り替えた経緯があります。
私のサイトはトップページとその他ほんの少しだけ関西電力系の「eo」を使い、その他の大半はジオシティーズのサーバーを借りています。

ただ、頭がだいぶ鈍っていますので、うまくいくかどうか、あまり自信がありません。



七ちょめ 10月 2日(火) 09:47
ヤフーのジオシティーズが無くなるようでKさん同様、私もホームページの半分をジオシティーズを使っていますので困ったことです。

そう云えば、今までにも随分レンタルサーバーの移動を強いられましたね。
インフォシークからヤフーのジオシティーズに、FC2からニフティのアットホームページに、ニフティのアットホームページからニフティのラクーカンにと、それぞれ会社の都合で迷惑を被りましたが、今回もまた手数が掛かりますね。

さて、1 新しくレンタルサーバーと契約するか 2 ジオシティーズには今余り関心あるものを置いてないので閉鎖するか、 3 ニフティのラクーカンの容量を増やして移行するか。

どちらにしても厄介なことです。


七ちょめ 10月 3日(水) 09:53
Kさん  困ったことですね。
私はもう決めました。ニフティのラクーカンの容量をあげて、ヤフーのジオシティーズから移行し、ニフティ一本にします。
レンタル価格は高くなりますが、仕方ないと諦めます。

Kさん 10月 3日(水) 17:07
わたしは、大量のページのほとんどがジオシティですから、知人のひまつぶしさんなどが使っておられる「sakura」と新たに契約しようかと思っています。しかし現時点では原稿執筆を抱えていますので、それの目処が立ってからぼつぼつ準備しようかと・・・

七ちょめ 10月 3日(水) 19:32
sakuraは確かいらかぐみの太泉八雲さんか万訪も使われていると思います。

万訪 10月 4日(木) 06:56
すいません、今自分がどこにサイトを置いているのか、忘れてしまっています。sakuraというのもピンとこないので、おそらく違うでしょう。


七ちょめ 10月10日(水) 17:29
さくらを使われているのは太泉八雲さんかな。
それは兎も角、ヤフーのジオシティーズを止めるなら早くと思い、項目の約半分を、容量の約9割程を、ニフティのラクーカンに移し終えました。
勝手に閉鎖される腹いせに、少しでも支払い料金を少なくと!!


七ちょめ 10月11日(木) 11:34
全く個人的で余計なことですが、ジオシティーズの閉鎖の件で全て移動し終えました。
最初はもたもたしましたが、後になる程スムースに進みました。
全く余計な作業で、腹立たしいです。

Kさん 10月11日(木) 16:24
早速に移し替え作業を終わられましたか。羨ましい。私はまだなにも。。。新しいとこととの契約もしていません。今日、仕事が一段落しましたが、しばらくスケッチにも行っていませんし、何だかんだと飲み会もある。悠彩会展が終わったら手を付けたいと思います。気が重いです。
180-144-66-137f1.osk3.eonet.ne.jp
1825: 企業城下町を歩く 宇部 万訪 10月 6日(土) 18:42
企業城下町あるいは戦災復興と非戦災地区が入り乱れる「宇部」を歩きました。ご存知、宇部興産の企業城下町。炭鉱で開発され、その後も工業都市として発展しました。
最初の画像は埋立地に続く宇部興産専用道路。特にゲートがあるわけでもなく、ズンズン入れますが、途中から妙な遮断機が表れて、鉄道ではなく、材料?を積んだ重連のトラックが走り回る。その先は入れませんでした。

万訪 10月 6日(土) 18:50
宇部の町の中心駅は、山陽本線の宇部駅ではなく、宇部線の宇部新川駅です。宇部新川駅から東へこと琴芝駅・東新川駅・宇部岬駅と続きますが、それらの南側(海側あるいは工場側)が商業地、北側が住宅地という都市構造になります。
まずは駅近くの「宇部市民会館」にクルマを停めて、建物を拝みました。村野藤吾設計の昭和戦後の名建築ですが、じっくり外観を見廻しました。やっぱスゲーと感激。何がスゲーのか、ここでは書ききれませんが、ココロに響きます。

万訪 10月 6日(土) 18:54
宇部新川駅から北側は起伏のある地形で、丘の上下に住宅地が開発されました。ここは古い住宅地。塀の煉瓦積みは宇部では「桃色レンガ」と呼ばれるもので、石炭ガラ(燃えカス)と石灰を混ぜて焼かずに天日で乾かして作った煉瓦だそうです。

万訪 10月 6日(土) 18:55
写真忘れた。

万訪 10月 6日(土) 18:56
こちらは琴芝駅の北側の古い住宅地。確かに桃色です。

万訪 10月 6日(土) 19:01
これらの住宅地は、工業都市化と共に形成された住宅地と思われますが、同時に非戦災地区でもあります。戦前の平屋建の住宅が結構残っていました。
さて、ここからはJR宇部線の南側の平らな街を歩きます。宇部新川駅の南から東へ延びる商店街。駅前の旅館街あるいは宇部興産Gの工場との間に形成された歓楽街。非戦災地区のため、意外にも戦前の建物が残っています。

万訪 10月 6日(土) 19:03
さらに東へ進み、まじめ川を越すと新天街というアーケード街。いわゆる戦災復興商店街です。

万訪 10月 6日(土) 19:06
アーケード街は商店街ですから、基本物販店舗が並びます(シャッターだらけでしたが)。そこから枝状に分かれた狭いアーケード街がありました。飲食店街ですが、もう半分がゾンビ化しています。

万訪 10月 6日(土) 19:08
アーケード街を東へ抜けると錦町。昭和33年以前までは遊郭だったエリアで、レッドライン時代の残照がありました。

万訪 10月 6日(土) 19:10
また写真忘れた。↑

万訪 10月 6日(土) 19:13
最後は、レッドラインの隣にあった夜の飲食店街、いわゆるブルーラインと思われます。ここで力尽きました。
企業城下町らしいネタがあまり見出せなかったかな。


七ちょめ 10月 6日(土) 19:20
宇部興産の企業城下町。宇部興産は懐かしい名前というより、私が今住んでいる家が宇部興産のPCコンクリート製の宇部ハウスなんです。もう40年ほど前えの製品ですが。


七ちょめ 10月 7日(日) 09:43
今日は孫右衛門さんとのミニオフ会で瀬戸内の島探訪ですね。
天気も良さそうだし、十分に楽しんで下さい。

孫右衛門 10月 7日(日) 21:17
八島はビックリするような集落でした。景観的には違いますが祝島にも匹敵するという意見も出ました。
祝島と香川県高見島を足して2で割ったようなところともいえましょうか。
野村万訪さんの探訪計画ですので私からは写真の掲載は差し控えますが、万訪さんからレポートがあるでしょう。
一人で訪ねるにはなかなか思い切れない島でしたので、訪ねる機会を与えてもらって感謝いたします。
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