カレーを作る大きな鍋で黒豆を煮たよ
ストーブの上でコトコトコトコト3日間
お鍋はこれ
私のお茶碗と比べてみると大きさがわかるかな
ほんとうはね、古い5寸クギがあると
もっと黒くなったんたんだろうけど
古クギがなくってね
こんな色になっちゃったの
でも、ほくほくしてて味もよし
だから、人生初の豆炊きは大成功
と、いうことにしておこう
煮豆って幸せの味がする
<煮豆の思い出>
母はよく豆を炊きます。
小豆、茶豆、とら豆、白いんげん、そしてお正月には黒豆を。
だから私も豆が好きだったかと言えば、そうではありません。
子どもの頃食卓に煮豆が出てもほとんど食べたことがありませんでした。
たまに食べても、あまさ加減が中途半端で、中々好きにはなれませんでした。
でも家を離れてから、お正月に実家で食べる黒豆をすごく美味しいと感じるようになり、いつからかスーパーで煮豆が目につくと必ずカゴに入れるようになりました。
でも家族で煮豆を食べるのは長男と私だけなんですよねぇ。
今まで自分で豆を炊こう、また炊けるとも思っていなかったので、当然ですが。
小学校1年生の時、同じクラスにあっこちゃんという子がいました。あっこちゃんの家は学校のすぐ近くにあったので、時々遊びに行くようになったのですが、今にも倒れそうなくらい古くて小さな家でした。そしてその家には当時すでに働いていたお兄さんやお姉さん、生まれたばかりの弟や、他にも兄弟がたくさんいて、お父さんとお母さんは、私の祖父母のように年をとっていました。
初めて遊びに行ったときは、兄弟の多さや生活スタイルの違いも含めて、幼いながらに相当のカルチャーショックを受けたと思われます。
小学校に上がる前の私の友達は、家の回りの1ブロック内に住んでいた幼馴染と幼稚園に通っていた子だけだったので、3人以上兄弟がいるのも珍しかったし、お母さんがおばあちゃんのよう(子どもを叱るとき以外はめったに口をきかない怖いおばさんでした)なのも不思議でしょうがなかったので、逆に興味を引かれたのかもしれません。
もちろん、あっこちゃんが明るくて、お互い負けん気が強くて、しょっちゅうケンカもしたので、余計、仲良くなったのかもしれませんが。
ある日、おそらく秋、もうだいぶ寒くなってからのことです。戸外で遊び疲れたあっこちゃんと私があっこちゃんちに行くと、薪ストーブの上に大きなお鍋が乗っていました。おばさんがお豆を煮ていたんですね。それは茶色の豆で、普段の私は箸もつけない豆でした。
茶色の豆だとわかったのは、おばさんがへらで豆をかきまぜていたからだと思います。それが湯気がたっていてすごく美味しそうだったんです。夕刻時、遊び疲れ、お腹も空いていたんでしょう。
その時、おばさんが小皿にほんの少しだけ豆をよそってくれました。あっこちゃんには「姉ちゃんたちには内緒だよ」とおばさんが言っていたような気もします。
あっこちゃんちで食べ物を食べるのは初めてでした。
当時は、「そよの家で食べ物をもらってはいけない」というような風潮がまだ残っており(おそらく物貰いのようなことをしてはいけない」という教えだったのでしょう)、私も子どもながらにあっこちゃんちのような家では特にそういうことをしてはいけないと思っていた記憶があるのですが、あーそれなのにその時差し出されたお豆を私はぺろりと食べてしまいました。
その時からです。煮豆が少しずつ食べられるようになったのは。
あっこちゃんは中学卒業と同時に本州に働きに行ってしまいました。そしてそれから一度も会うことがなかったのですが、昨年、故郷での中学の同窓会に、なんとあっこちゃんが来ていたんです。35年振りの再会でした。
私は高校に通えないほどあっこちゃんちが貧しくてそうなったのだと勝手に解釈していたのですが、そういうことだけではなく、愛知県のおじさんの会社が人手不足のため、その時高校を卒業したお姉さんと二人でおじさんの会社に就職したのだそです。そして定時制高校を卒業して、幸せな結婚をして、今にいたっているとのことでした。
「由ちゃんちに行ってピアノ教えてもらうのがすごく楽しかったわ~。ピアノにはずっと憧れていたから、娘たちには真っ先にピアノを習わせたのよ」って言うので「えー?私、小学校の時からピアノ教えてたの?」って、びっくり! そして私がピアノの先生になったことを伝えると、「由ちゃんは先生がぴったりだよ」と、回りにいたあっこちゃん以外の同級生も口を揃えていうので、そう思われていたことが嬉しいような、また、私って子どもの頃からいつもいばっていたのかななんて、思ってしまいました(笑)
そしてあの煮豆を食べさせてくれたおばさんも97歳にもなったけれど、お元気で、あの頃赤ちゃんだった弟さん家族と故郷の町に居られるとのこと、もうびっくりすることばかりでした。
お豆を煮ながら、母、そしてあっこちゃんとおばさんを思い出していました。