2012年2月20日 (Mon)
2012年2月18日 (Sat)
寒い日本4泊5日を終えて南に島に戻ってきて思う事2月12日には寒い日本を脱出してグアム国際空港へ降り立ったのは午後3時半頃でした。爽やかな風、南の島の照りつける太陽。青い海、空。 温かい人の心。ほっとします。 日本の那須高原は温泉や雄大な山々。人情。寒いけど雪景色も素晴らしかった。でも東京は嫌です。人間が死んでいました。生きているだけ・・・って感じに私は思えたのです。通り過ぎて行く人々が全く輝いていませんでした。私と小さな子供たちが思いスーツケースを引きながら歩いていても誰一人として助けてくれる人はいませんでした。 この島なら必ず誰かが助けてくれます。 昔、この島で私の車が故障した時も全く見ず知らずの人が助けてくれます。 グアムはアメリカの国?だからクリスチャンと言う宗教的なものもあるかもしれませんが、困っている人。大変そうな人には誰もが声をかけてくれてフレンドリーです。しかし東京人は私の目からは皆死んでいましたね。 最近読んだ本の中に「ある46歳のおじさんが二人いたとして一人は優秀な大学を出て一流企業に入ってくたびれきっている男性ともう一人の男性は学校は中退してでもそれからもう1度再起をかけて自分の人生を見つめなおし46歳となった今、光り輝いて自分の人生を楽しんでいる。自分の人生と言うものは何々大学を出たとか、一流企業のバッチを付けているとかではなく、自分がどれだけ生き生きと輝いて生きて行けるかが大事な事。その事を一人一人自覚していきたいですね。」とありました。 東京の電車の中でも誰一人輝いている大人は見ませんでした。 私はもう少しこの島で輝いて生きていたいと思います。 戻った翌日から日本での悲しい出来事をふっきる思いでゴルフの練習を再開しました。かな選手もアメリカへ行く!と言う大きな目標に向かって猛特訓です。小さな体でドライバー120ヤード平均でまっすぐに飛ばせるようになってきました。日本を出るときはウッドを使えなかったけど、今ではばっちりと飛ばせるようになりました。 最近は始める前に神様へ祈ります。この暖かい南の島でゴルフを楽しめることを心から感謝しながら・・・・。 私とかなちゃんのコーチは言います。「僕は毎朝、必ず神に祈ってからゴルフをスタートするよ。だからいつも神と共にゴルフをしているんだ。」と元気いっぱい70歳のベテランコーチです。数々の優秀なプロを育ててコーチです。 昨日の練習ラウンドはコーチ、私、日本人のきよみさん(じゅなちゃんママ)と韓国人のキムさんと4人でのラウンドでした。 ミスも多かったけど・・・・。でも私の人生で2回目のバーディーを出しました。10番ホール342ヤードパー4でしたが、ドライバーが右寄りのラフの中に200ヤード飛ばしてその後はウッド4番でグリーン近く左よりに落としました。3打目はアプローチで狙った所、吸い込まれるようにチップインしてバーディーを獲得。 2010年12月アメリカアリゾナツーソンヒルトンコースでパー3でバーディーを出して以来の事でした。私は「ミナクル~」と飛び上がって喜んだ所。コーチは「さちこの実力だ!」と・・・・・。きよみさんもキムさんも祝福してくれました。 次の目指すスコワーは90です。先日はすごく調子が良くってミナクル?ハーフで45で回ったりとやっと、やっと結果がついてきているかな?と思えるこの頃です。 本格的にゴルフを始めて1年数ヶ月です。 今は直線で落とす猛練習中です。ドライビングレンジではOKですが、コースに出るとやはり右寄りに落ちていく事も今修正中です。 目指すは今年中には安定して90。来年には80。です。そして3年以内にはシングルプレーヤーを目指します。コーチとの約束です。 日焼けで真っ黒ですが、大きな目標に向かって輝いています。 将来はこの島にジュニアゴルファー育成のアシスタントコーチにならないか?と声をかけていただいています。子供たちの育成!将来のプロゴルファーたちを応援していきたいです。がんばるぞ~・・・・・・。 ぎらぎらと自分の人生を輝させている私です。 |
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2012年2月17日 (Fri)
娘の面結婚式を終えて思う事結婚式を終えて翌日の2月12日(日曜日)6時50分AM私はホテルニューオータニからリムジンバスに乗って成田空港へと向かいました。 道路が空いていて予定よりだいぶ早く8時過ぎには成田第1ターミナルに到着しました。本当に4泊5日の駆け足の日本への一時帰国でした。 私はリムジンバスの中で車窓を見ながら・・・。私にとって日本と言う国は何なんだろう?とふと考えました。 そして大好きな私の父。今は天国で眠っています。私はいつも手のひらに収まる小さな父の遺影を持ち歩いています。 今回も私と一緒に日本へ帰ってきました。父はいつも私の心の中で生きています。娘の結婚式の時も私のとなりにちゃんと座っていました。 父は私だけの心の中でずーと生き続けています。 リムジンバスの中でそんな父の遺影を見ながら無性に涙が溢れて来て止まりませんでした。 生前、父が私に良く言っていたことが私の苦しみとなって現実のものになっているのです。父は私によく言っていました。「俺が生きている時は俺がお前を守ってあげられるけど・・・・・。俺が死んだらお前を守ってあげられる人間はいない。だから2人の妹や母親と縁も切って何処へでも好きなところで幸せに暮らせよ~。」と私と父は性格がよく似ていました。 母と二人の妹はいつも気に入らないとガミガミと文句ばかりでした。 父に対しても「バカおやじ」と呼ぶような人たちでした。 私も父もそんな人間たちに逆らわずに黙っていました。相手にするのはよそう。父と私は決めていたのです。しかし父が死んでからはその標的が私だけに集中されました。 父は生前神様のような人でした。個人タクシーの運転手でお金の無い人がいると無料で乗せてあげて1,000円渡して美味しい物を食べなさい。 そんな事を父が母に話していた時に母「稼ぎも少ないくせしてバカじゃない?」と 私は幼いときにその二人に姿を見て育ちました。父は世界1立派な人間です。私の1番の理解者でした。いつも二人でお互いの携帯電話で秘密の会話をしていました。「俺はもうお母さんと離婚したいんだよ。しかしこの年になってそんな事したらみんなが不幸になちゃうから、俺だけ我慢していれば何とかなる。しかしさちこお前は我慢しなくてもいいんだぞ。」とある日の会話でした。 父の葬式の時も私が出版した山と渓谷社からに本を御棺にそーと1冊入れるとすぐ下の妹が「そんなごみ入れないで~」と言ってきました。 父は私が本を出版しとき本当に喜んでくれました。新小岩駅の書店に行って これは私の娘の本なんだ。と言って10冊も購入して親戚や友人に配ったそうです。とっても嬉しそうだったよ。受け取った親戚の人から私は聞きました。 天国でも読んでね。と思って御棺に入れたのに・・・。母はそんな妹の行動にも黙ってみている人でした。父は亡くなる前日まで仕事をしていてとても元気でした。しかし心筋梗塞で突然にして天国へ行ってしまいました。しかし私は知っていました。父が亡くなることは・・・。私は夢で見たのです。父の葬式の夢で私が最期のお別れの言葉を話していました。 しかし現実の告別式では3人姉妹の姉の私は無視されました。 前日の夜に母は妹の旦那(日本を代表するテレビ局の有名なニュースキャスターをしています。)にあなたにお願いします。と私の目の前で言ったのです。父と私の絆より母は世間体が大事だったのです。父は有名なニュースキャスターの話より血のつながった一番大好きな娘の私の話をしてほしかった事でしょう。でもあの日はもう戻らないのです。 夢を見たあの日から父の葬儀で話す事が決まっていた私です。しかしそれは実現される事はありませんでした。 妹は散々人に迷惑をかけてきた人間です。私も彼女が狂った時に「こびとの森に火を付けてやる。これから行くからまっていろ~」と脅迫された事が何度もありました。今だったら大変な事でしょう。 最近では「うちの旦那は有名なニュースキャスターなのよ。もう電話して来ないで~」と言われました。 有名大学を出て日本を代表するTV局に務め有名なニュースキャスターがどれだけ偉いのでしょうか?私の今グアムには有名でないけどもっともっと人間的に素晴らしい方々が大勢いらっしゃいます。 人が困っている時、悩んでいる時に自分の事のように考え行動して下さる人々。その方々が社会的にはとても大きな方ですが、そんな事は大したことでは無いと言い切って弱い人間たちに惜しみなく救いの手を差し伸べて下さる方々が大勢いらっしゃいます。 そんな方々の惜しみないご厚意にどれだけ助けられてきている事か? 遠くの親戚より近くに他人とはこういうことなのでしょうか? 式が始まる直前にも直ぐ下の妹は私に酷い言動をしてきました。 2番目の妹は「お忙しい中、来てくれてありがとう。」と言っても無視されました。本当に悔しかったです。娘の結婚式で無かったら「もういい加減にしろ~その態度何だ~」と言いたかった。しかし両家の控え室でみっともない真似だけはできない。と私はぐっと堪えて別室で涙を堪えて「お父さん、神様、私は我慢します。だけどもう限界です」。と涙を堪えて祈りました。 神様に2人の妹たちと母に人を傷つけるような行為を反省させて気づかせてほしい。さもなければ神様、あなたの裁きを3人に下してください。とお祈りしました。人を傷つける愚かな行為は人間として最低な事だと私は思います。 新約聖書のローマ人の手紙第12章17節 誰に対しても悪をもって。悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。あなた方は出来る限りすべての人と平和に過ごしなさい。愛する者たちよ。自分で復讐しないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。何故なら「主が言われる。復讐は私がすることである。私自身が報復する。」と書いてあるからである。 この聖書の言葉が私には実際に起きています。 十数年前に当時の夫は酒、賭け事、女(私の部下との不倫)などで背中から包丁で突き刺してやりたいほど悔しかった時がありました。 今ほど神の存在や聖書を知らなかった私ですが、私がこの人たちの事で殺人罪で刑務所に入って自分の人生をダメにする事は出来ない。 だから神様にお願いして私は離婚して懸命に生きて来ました。 借金を返済して二人の娘を高校、大学と学費を働いてそして結婚!! 神は大きな裁きを元夫と不倫相手の女の二人に下さいました。職も競売で家も失ったのです。 おまけに親の家まで競売で失いました。最高の親不孝者です。 私が追い出さなくとも法によって追い出されて哀れな生きざまとなってしまいました。もちろん娘の結婚式にも呼ばれませんでした。 こんなに幸せな娘の姿を見る事が出来ない。 本当に神の裁きはあるのだ。人を苦しめる人間には必ず神の裁きが下される。地獄へと突き落とされていきました。私と一緒の頃にはベンツに乗って周りからチヤホヤされていた面影など何一つありません。 神の裁きは本当にあると言う事を私は身を持って体験しました。 私は母や二人の妹がとても憎いです。母の私と二人の妹との差別に関してはもうんざりです。今回の結婚式でも「お祝い金は幾ら2人に出したの?」と聞かれて20万円を結婚が決まった昨年中に渡した。と言うと「それっぽっち?」と言われた時。震災と放射能によってのダメージが大きく、苦しい経営を余儀なくされている今の私にとっては何との鬼の言葉に聞こえました。2人の妹の態度愚かな行為にもうんざりです。私には日本にもう家族は居ません。父の生前言ったいた通りになりました。 でも人を恨みながら生きる人生も又悲しいです。だから神に祈り全てを任せることにしました。神様は3人にどんな裁きを下すのでしょうか?どんな軌跡が起きるのでしょうか???天国にいる父もずーと3人の今までの私へと仕打ちを見てきてくださってきっと父の怒りも下される事と思います。 私はここにこの事実を書くことで全てを忘れて前に進みます。 書かないと私の人生を前に進む事が出来ない自分が居るのです。 長い文章になりました。ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。明日からは全てを忘れて笑顔で元気な私で生きていきます。 bphoto1> |
2012年2月16日 (Thu)
娘の結婚式(東京)2月11日(土)に次女「さき」の結婚式が東京のセントメアリー教会にて行われました。私が一時帰国する最大の目的でした。 さきの幸せの瞬間 笑顔がとっても素敵でした。 皆さんに祝福されて幸せいっぱいの娘でした。 私はグアムにて多くのカップルにウエディング撮影をしてきました。 しかしセントメアリー教会は式の撮影が認められませんでした。 もっと日本も欧米スタイルで自由になってほしいものです。 1番大切なのはカップルの思いなのだから・・・売り上げだけを追いかけないでほしいと思います。 私はグアムの素晴らしいロケーションでの撮影になれてしまったせいか、 全く絵にならない景色で残念です。電線もあっちこっちでどこかのちょっと 金持ちの御家のお庭?それに金持ちの御家のベランダ?って感じでした。 みなさん~南の島のグアムで結婚式あげましょう。安くできますよ。そして 素晴らしい海と空がまっていま~・・・。 グアムのどこのウエディング会社も今では教会内の撮影もOKになっているので私の相談してください素敵な結婚式ができますから・・・。 日本か高過ぎ~・・・・・。 披露宴がとっても素晴らしかったです。 涙、笑、感動の手作りパーティーでした。 お食事もとっても美味しかったです。 ウエディングパーティー会場浪漫亭 http://www.romantei.info/ 同じ会社の鉄板焼き天で二人は働いています。娘は銀座店、旦那様は渋谷店と青山店だとか http://www.teppanyaki-ten.com/ ぜひ皆さんもお食事にお出かけください。 その際に大西翔さんとさきさんの紹介って言ってください。1ドリンクサービスしてくれたらうれしいな。スタッフの皆さんよろしくお願いしますね。 |
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2012年2月14日 (Tue)
2泊3日の東京(35Fのお部屋から見た東京の夜景)那須高原の2泊3日も駆け足で過ぎて行きました。 この写真は東京の四谷駅近くの高級ホテルニューオータニの35Fにあるお部屋から撮影した東京の夜景です。素晴らしかったです。 次女「さき」とさきの旦那様からのプレゼントでした。 お部屋も素晴らしかったです。ベットルームとリビングが分かれています。 角部屋なので窓が寝室にもありますが、リビングには2ヶ所もありました。 明るく広々としたお部屋です。 夜景を見ながらいろいろと考えにふけってしまいました。 素晴らしいお部屋をありがとう。 娘たちの結婚式が行われます。 東京の2泊3日も超駆け足で過ぎて行くことでしょう。 |
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