2014年8月12日 (Tue)

甲子園



第96回全国高校野球選手権大会始まりました

私の二人の兄(MとT)は高校球児で共に甲子園出場しています
小学生だった私は両親に連れられ 良く球場まで応援に行ったものです
学校休まされてね(笑) 今では考えられない事ですよね・にこ
その頃はルールも何も分からず・・・
ただ『M兄ちゃん、頑張れぇ~』と叫ぶくらいだったかな?

M兄ちゃんは中学時代、県大会で優勝しました
当時から左の投手として県内では有名人だったそうです
(この事はずいぶん後から聞いた話ですけど。。。)
優勝後は色んな高校から声がかかったらしく・・・
両親にはきっと自慢の息子だったでしょうね

高校一年生の頃にはプロから声がかかるほどになっていたそうですが
運悪く、高校二年生の時肩を痛めて投手が出来なくなり。。。
今でこそ 投げた後のケアーのアイシングですが
当時は肩を冷やすなという事で 全く逆の≪温める事≫をやっていました
肩も悪くなるはずですよん♪ 知らない事って怖いですよね・悔
そう言えば M兄ちゃんの変な形のセーター
何故か片方だけに袖があるんですよ 思い出します
肩を冷やすからと海水浴にも行けなかった兄の夏休み
一体あれは何だったんだろうね・笑

そんなM兄ちゃんが今年の5月に亡くなりました。。。
母校・海星が久し振りに甲子園に出ていますよ
ベットの上からでもいいから見せてやりたかったなぁ~涙
代わりに 私がしっかり応援するからねっ!
ずーっと勝ち進んだら その時は甲子園まで行くよ、、、
M兄ちゃん! その時は一緒にアルプス席で応援しようねぇ~希

野球が好きな訳じゃないけど 甲子園はよく見ていました
きっと幼い頃からの兄たちを重ねながら見ていたのだと思う
今年は又違った意味で甲子園を見る事になりそうです。。。

2014-08-12 11:07 in 思い出 | Comments (0) #

2014年4月20日 (Sun)

勿忘草




別れても 別れても 心の奥に
いつまでも いつまでも
憶えておいて ほしいから
幸せ祈る 言葉にかえて
忘れな草を あなたに あなたに


Y子様 どこにいますか?
そこから私が見えていますか?
貴女の好きだった勿忘草が咲く季節が来ましたよ

今日 散歩中に勿忘草を見つけました
月一回お尋ねするY子様のお庭にも咲いていましたね?
あの日の事を思い出しながら… 歌ってしまいましたよ・笑

上司の奥様だったY子様には娘のように可愛がってもらいました
何も知らない田舎娘の私に色んな事を教えてくださいましたね
今あるのも貴女のお蔭です いつもそう思って暮らしていますよ
孫同然に可愛がってもらった息子たちも大きくなりました
随分と月日は流れてしまいました。。。

貴女に会いたいです。。。

2014-04-20 13:56 in 思い出 | Comments (0) #

2014年3月26日 (Wed)

二人の姉



私には二人の姉がいました(いました…というのが今は寂しいですけどね)
昨年5月にK姉が 今年1月にT姉が亡くなりました
体型も顔も性格も、、、違っていた二人の姉

自分にも他人にも厳しいK姉でしたが心の優しい人でした
姉兄の中で私が一番接していたので その辺りはよく感じられました
いろんな話を沢山する中で『優しい気持ちの持ち主』と感じたものです
多分、他の姉兄は怖い人だと思っていたかもしれないけど???

のんびりと何事も深く考えない(ような?)T姉でした
ほとんど自分の意見を言う事は無く、、、
側にいて『そうね、そう!』といつも笑っているような印象でした 

『もっと話しておけばよかった』 『どこか旅行したかったなぁ~』
色々考えたら… 悔やんでばかりの日々を過ごしています
大切な二人の姉が私に残したものを考えながら
これからは前向きに、元気出して過ごして行かなければ。。。

体型も顔も性格も違っていた姉
生まれ変わっても姉妹しようねぇ~
そして、その時は一杯お喋りして 旅行にも行こうねぇ~

二人の姉の死は私に色んな事を教えてくれたように思います




2014-03-26 10:27 in 思い出 | Comments (0) #

2013年11月26日 (Tue)

ペンフレンド




《ペンフレンド》と言うものがあった事  
現在どの程度の人たちが知っているのだろうか?

私は中学生の頃からすっかりはまってしまって(笑)楽しんでいましたよ
少女向け雑誌を買ってくるのが楽しみでした
(そうそう、私にも可愛い少女時代があったんです・思い出して苦笑)
色んな方に手紙を出し『文通』が成立するのは相手から返事が来た時
返事が来なければソレで終わりです。。。
1,2回やり取りして終わる事もあれば 何年も続く事があったり
今思えば良い思い出ですね

○確か東北地方の方だったと思う 『東海林』という苗字が読めなかった事。
しばらく私の中では「とうかいりんさん」でしたよ
彼女、震災にあって大変な思いしてるのかもしれない???
今も元気でいて可愛いおばあちゃんしてるといいな?

○大阪の元気な男の子
何度かやり取りする内 淡い恋心を打ち明けられ、、、
必死に気付かない振りをして… 『鈍感おんな』と言われた事も。
写真もやり取りしない時代の事。 文章に惚れ込まれたのかな・爆

○オーストラリアの女の子
知ってる限りの英語を使い書いた英文でしたが分かってくれたかどうか。
あの頃から外国人に対しての憧れが強かったような気がする???
送られてきた《コアラのぬいぐるみ》
「なんと汚い人形だろう」と思ったあの日 今思うと笑える
彼女とは数年続き、、、 写真のやり取りもしました
外国人の大人びた容姿には驚きましたけどね。。。

今の時代で言えば『出会い系』と思われそうだけど
あの頃は『知らない人と知り合う喜び』を心から信じて、楽しんで
本当に純粋な気持ちで手紙を書いていたように思います
きっとあの頃から私の中に《出会いはいつも素晴らしい》の気持ちがあったのでしょうね  
いま振り返るとそんな気がしています

文章を書くことは今も好き(でもヘタですけどね)
外国の人も好き だけど未だに英語は苦手と来ている私
この歳になり確かに『新しい出会い』は少なくなりました
だから、今までの出会いを大切に これからを生きて行きたいと思うこの頃です
2013-11-26 08:21 in 思い出 | Comments (0) #

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