2011年4月5日 (Tue)
新生活
先週火曜日から6日間ピアノ教室の春休みでした。
最初の2日間は、またまたテレビ番組(ショパンと私のピアノ)の収録があり、その合間を縫って振替レッスンもしたので、休んだ気がせず普段より疲れてしまいましたが、翌日、実家(旭川)に行ってきました。
実家には3泊できると思っていたのですが、2日目になんと実家の塀に車の右下をぶつけてしまい、1日早く帰ってきました^^;
その日、車で古本屋と銀行に行き、車を頭から入れて駐車したからか、実家の駐車場にはいつもバックで入れるのに、何も考えせず頭から入れてしまい、こういうことになってしまったのです。
さて、昨日は三男坊の大学の入学式でした。長男の時は三男の中学の入学式と重なって行くことができず、次男の時は東京へ付いては行ったけれども入学式までは在京でなかったので、大学の入学式参列は最初で最後ということになりました。
会場は、むろん大学ではなく街中の芸術ホールです。会場前にはサークル勧誘の学生がいっぱいいて、なんだか懐かしかった、自分の時の入学式を思い出しました。
あの頃はまだ、ほんの少しだけど、学生運動のなごりみたいなものが残っていて、おそらく北大のセツルメントの学生がシュプレヒコールじゃないけれど、そんな歌をうたいながら看板を揚げて立っていました。その中の一人が地方から一人で来た私をめざとく見つけ、手をつなぎ歌の輪に入れました。その人の手がとても冷たかった(まだすごく寒かった)なぁとか思い出したんです。翌年の入学式にはセツルのメンバーは来なかったので、まさに私は学生運動という言葉を知る最後の世代なんでしょうね。
「いちご白書」や立命の高野悦子さんの「二十歳の原点」を夢中で読んでいた頃がものすごく遠くに行ってしまったことを感じます。
入学式では、新入生の言葉が印象に残りました。彼女は今回の震災で被災した東北の高校から来た人で、その言葉一つ一つに重みが感じられました。
のほほんと大学生になった三男にも少しは響くものがあったのかはどうかはわかりませんが、「サークル勧誘は全部無視した」といいながら、バイアフリー委員会から手渡されたパンフレットだけは持ちかえり「障がいのある人と一緒に毎回授業に出るなんて無理じゃね?」と言いました。
そういえば、三男は小学生の時、障がいを持った子たちの特別クラスに行き、よく遊んでいた子だったのです。
そんなこんなで、今日から我が家の新生活がスタートがしました。
新生活、一段落しましたね
はい(^^)/
スナフキンさん、コメントありがとうございます。
車は超低速でしたので怪我はありませんでしたが、右前のライトとバンパーが取り換えになりました。もちろん保険を使って直しましたが、こういう時の為に毎月保険料を納めていると思っているので、保険屋さんはどうなんでしょう? 案外使ってくれた方がいいのかもしれませんよ。ちなみに車の保険担当者は夫なんです。夫は車の販売会社勤務なので^^;
大学の入学式と聞くと、スナフキンさんも色々と思い出されたことでしょう。本当に懐かしいですよね。
日本の入学式が春で良かったな~とつくづく思います。
by 由 2011/04/13 (Wed) 12:48:08
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ご子息の大学生活スタートよかったですね。由さん、車の接触、お怪我はありませんでしたか?私も疲れてくると駐車場でハンドル操作を誤り、接触事故を起こしたことが何回かあります。車両保険のお世話になり保険屋さんに嫌われていると思っております。また昔話で恐縮しますが大学(横滑り)の入学式は母が大阪まで付き添ってくれました。東京の立教大学と姉妹校でミッションスクールでした。やはり入学式の校庭ではクラブ活動の勧誘が活発に行われており、私は新聞部の学生に誘われて暫く入部していましたが活動はさっぱりでした。下宿では隣の人が確か札幌の一乗さんとかいう方で新聞社のカメラマンになるとか話していたことを思い出しました。あと四国の山本さん、もう一人名前が思い出せません。朝、母屋で一緒に食事をとる時「いただきます」と言うと下宿の奥様が「よろしゅうおあがり」と言われたので少しびっくりしたことがあります。秋に下宿から学生寮に移りましたが同室の福田さんはクリスチャンでよくお祈り「アーメン」をされてました。私の家は昔から「南無阿弥陀仏」でしたので戸惑いました。