2011年6月14日 (Tue)
今朝5時AMとうとうやりました。5時AM今にも雨が落ちそうですが、今週早朝プレーが楽しめるのは本日だけです。だからやって来ました。 貸切??? 第1ホール188ヤードのパー3今日の私は奇跡がおきました。 「1オン!」それもピンそば1M?やった!! ここは何回挑戦しても1オンは難しかったです。ちょっと力が入ると木に激突!しかし今朝はやった~。 でもゴルフには「まぐれ」と「実力」の2つがあるそうです。 私の場合は「まぐれ!!」いつか「実力」に変われる日まで続けて行くつもりです。 ★継続は力なり・・・ですね。 私の名前は「とみこちゃん」です。92さ~い。 数日間の朝4時頃こびとの森で当直中の私のお部屋のドアをバンバン叩く人がいました。「なんだろ?」とそーとあけるととみこちんが今度はお迎えの部屋をバンバン叩いていました。 「どうしたの?まだみんな寝ているよ。ドアを叩くと起きちゃうから辞めようね。」するととみこちゃんは「トイレにおきたの。でもお部屋がわからなくなちゃって・・・。 私はとみこちゃんをお部屋に返してあげましたとさ~・・・。ホッ!! とみこちゃん又来てね。これからも長生きして下さい。お元気で!! |
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2011年6月13日 (Mon)
私の「あの日」2011、3,11悪夢の日(こびとの森編)あの日のこびとの森では2人のスタッフが勤務していました。 幸いにお客様はいらっしゃらなかったので2人は自分たちの非難だけです。 こびとの森は鉄筋コンクリートの2階建てですので思ったほど大きな被害はありませんでした。 客室はTVも落ちないほどにほとんどダメージはありませんでした。 1階の方に少しの被害がありました。 こびとの森の写真スタジオが被害が大きかったです。 機材関係も壊れてしまいました。 お子様スタジオだけは今でもあの日のままです。 棚などが倒れて中の物が飛び出し壊れてしまったものも多くありました。 しかし間もなく復旧!お客様を受け入れ出来るようになりました。 今では震災まえと変わりない対応が出来るようになりました。 この3け月間で私は多くの事を学びました。「生きることについて」 「人との絆」「感謝の気持ち」今まで考えたことのなかったこともたくさん考えさせられました。明日の命は誰にもわかりません。生きていることに感謝です。だから「今を大事」に・・・・・。そう思い明日死んでしまうことがおきても「悔いの無い今日!」そんな事も考えながら生きるようになりました。 そして「笑顔」です。苦しかった時ほど最初は作り笑顔でもそれでも頑張って笑顔でいると必ず「幸せ」がやってくる事をこの数ケ月間で経験しました。★幸せだから笑顔では無い!笑顔でいるから幸せがやってくる!! 皆さんもどんな時でも「笑顔」ですよ。苦しい時ほど笑いましょう!! 神様はたくさんの宿題を下さいましたが、1つ1つやり遂げて来た私です。 NEVER GIVE UP !! お客様が全くいらっしゃらなかった時・・・苦しかった! こびとの森もだめかもしれない!とあきらめかけた日もあった。 だから・・・打ちぱなし500円でドライバー飛ばした! ゴルフが私を支えてくれた!昨日のチャリティーゴルフで1年前の全く打てなかった事を知っているひとりのプロが私のスイング見て・・・驚いてくれた!!そして「男のクラブを持て!レディースではもったいない。」 相当頑張ったね!と・・・・・。嬉しかったな! 夏休みの予約がどんどん入ってきています。 ボランティアの保母さん大募集~・・・・・・・。 この夏休みもキッザニアやります。元気で心から笑って・・・・。 運動会も盛大にやります。元気で皆さん笑顔で生きて行きましょう!! 私とこびとの森の復興記録でした。 |
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2011年6月12日 (Sun)
私の「あの日」2011、3,11悪夢の日(自宅編)私の自宅は那須高原の13階建ての高層マンションの9階にあります。 リゾートマンションなので温水プールやサウナ、温泉、露天風呂、フィットネスルームなども完備されていてバルコニーやエントランスからの景色は何物にも変えがたい財産です。 そんな自宅が震度6に襲われました。福島県まで車でわずか10分のロケーションです。 キッチンです。冷蔵庫のドアが開いて中の物が飛び出していました。 食器類も無残でした。 リビングではこんな感じです。 棚の上の物はすべて落ちて散乱していました。 購入して1年の42型のTVが・・・・・。 しかし壊れていなかった!電源がついてTVが見れた時のうれしかったです。 外壁の外側のつなぎ部分が離れてしまいました。 内廊下から見た離れてしまったつなぎ部分。 しばらくエレベーターも使用できずに外階段を頑張って昇り降りしました。 (日頃から鍛えている私は大丈夫!) 3ケ月たった今では修繕も進んで自宅で住めるようになっています。 高層マンションは実際の震度より感じる揺れが大きいようです。 上の階に行けば行くほど被害が大きかったようです。 今では又素晴らしいロケーションを楽しめる心のゆとりも出て来ました。 バルコニーでロケーションを楽しみながらの食事は最高です。 常連のお客様は時々我が家にも遊びにやってきます。ゴールディンウイークにはダブルブッキング?そこで20年来のリピーター家族は我が家で宿泊しました。「又ココが良い!」と快適に過ごしていただいたくらいでした。皆さんも超リピーターさんになりませんか? 我が家に招待しますよ。プールもあるし温泉も露天もサウナもお楽しみ下さい~♪ こびとの森から車でわずか5分足らずです。 明日は震災の日のこびとの森編です。 今日の那須高原は実に良い天気清々しい朝です。 午後からチャリティーゴルフが那須国際カントリークラブで行われます。 わずか3500円でコーチ付でプレー出来てそのお金が被災地の皆さんの義援金となることから私も午後は楽しませていただきながら被災者の為にプレーさせていただきます! |
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2011年6月11日 (Sat)
私の「あの日」2011、3,11悪夢の日(空港編)本日6月11日。あの日からちょうど3ケ月がたちました。 未公開写真と共に私の「あの日」を今日このブログ書きます。 私はあの瞬間はグアムに向かう為に成田空港第1ターミナル出国ゲートでチェックインを済ませてちょっとお茶でも・・・。そんな時でした。 頑丈なはずの空港のターミナルの天井から何かが大きな音を立てて落下してきました。まさか?こんな大きな国際線のターミナルがこんなに揺れるとは・・・・。本当に大きな揺れでした。つぶれるかも・・??でも心の中では「大丈夫!絶対に大丈夫!!日本の国際空港は頑丈だ!だから絶対に壊れない!」と自分自身に言い聞かせながら私は不安と恐怖の中で過ごしました。 外へでると駐車してある車が何台もまるでボールのように地面から中に浮いていました。その状況を見た私は関東大震災が来た!と直感するほどの大きなゆれでした。 2回目の大きな揺れのあとやっと空港公団から指示が入りました。 (それまでは何の誘導も放送もありません。) 外に出るべきか?それとのターミナル内が安全なのか?自己判断でした。 この写真は一般のお客さんを避難させた後の空港職員が1階駐車場へ避難している様子です。高速道路は全面閉鎖となりました。もちろん京成もJRも動きません。東京へも那須へも戻れないのです。 全員1階駐車場に集められました。大きな荷物を持った人はかわいそうです。私はもう預けた後でした。 情報が全くありませんでした。 ただビル内は天井落下の危険ありと言うものでした。 そんな中人だかりのある方へ行ってみると停めてあった車のドラーバーが皆に聞こえるようにエンジンをかけてラジオで情報を流してくれていました。それによるとコンビナート爆発や大きな津波などの情報。関東大震災でなく東北だ。ということが分かりました。そのうち雨が降ってきました。寒かったです。本当に寒かったです。 夜には寝袋が配られターミナルの床で一晩を明かしました。 寝袋を受け取る情報も入って来ない中で行列の後ろに並んでやっと1つもらうことが出来ました。暖房もなく寒かったです。頻繁に襲ってくる余震に不安と恐怖の1晩でした。東京の家族とも夜遅くなってやっと携帯電話がつながり全員無事であることがわかりほっとしました。 水を配っていたのですが、残念ながら数が足りなく私は受け取れませんでした。しかし私がひとりの男性空港職員に「お水は何処でもらえるのでしょうか?」と聞くと「もう終わってしましました。」私はあきらめて歩き出しました。するとその男性は私に自分のポケットの中の1本の水を差しだしてくれました。「ありがとう!!」 しかしこの苦しい中で韓国人か中国人?だったか寝袋を一人で2枚も持っていて1枚は下からの冷気をシャッツアウトそして少しでも柔らかい所で寝たいのか2枚ももらって寝ている人を見かけました。寝袋の数がなくってそのまま横になっている人もいました。又別の韓国か中国人の男が私と混みあう通路でぶつかりました。その男は私の背中を叩いてきました。 文句を言う力もないほど疲れきっていた私は相手にしないで他の寝る場所を探してひとりフラフラと歩き出しました。 本当に日本人はこんな状況下でも物資を奪いあいませんでした。 この時に私は日本人であることに誇りを感じました。 誰かだわかりませんがお水を下さった日本人男性の方3ケ月も経ってしまいましたがこのブログを通じて心からありがとうございました。 寒くってお腹が空いて、余震で不安と恐怖で何処にも行けず携帯もほとんどつながらず・・私も空港で避難者でした。翌朝の空港で見た朝日が今でも忘れません。きっとこれからも・・・・・。 ★あれから3ケ月がたったんですね。私の復興、こびとの森の復興。頑張って来た3ケ月間でした。 最初の1ケ月は無気力となりこのブログも書けませんでした。脱落感とこれからどう生きていくべきか?悩んだ月日でした。でも2ケ月目から元気に立ち上がることが出来ました、それはゴールディンウイークのたくさんに人々がこびとの森に来て下さった事と震災後に4組の家族が来て下さいました。その人々から元気をもらいました。私よりもっと怖い経験」をした被災地から来て下さった人たちだったから・・・。 明日のブログは3月11日に震度6が襲った那須高原の私の自宅9階のリゾートマンション編です。 高層住宅の揺れは大きかった!未公開写真と共にお知らせいたします。 |
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