2007年9月3日 (Mon)

9月の章。

















    根っからの道産子の私は、8月31日を夏の終わりの日と感じています。
そして9月1日の朝は、今日から秋の装いにと思うのです。

本日9月3日は私の故郷の秋祭り。故郷を離れて30年以上も経つのに子どもの頃の秋祭りを思い出すのは、楽しい思い出が沢山あるからなのでしょうね。
のどかな神楽囃子がどこからともなく聞えてくるような気がします。

札幌は夕べ夜半から久方ぶりに雨が降り、一夜にして辺りが秋の様相になりました。


ところで私はこの2日間、眼鏡とコンタクトレンズなしの生活を強いられています。私の裸眼視力は0.01あるかないかなので、車の運転は言うに及ばず、炊事もお掃除もきちっとは出来ないし、ピアノも譜面が見えないので仕事ができません。と、かなり不自由、あれも出来ない、これも無理と少々焦りがある一方、仕方がないなぁと2日分の食料を買い込み、銀行の用事を済ませ、ちょっとのんびりしてみようと思っています。



本や新聞は読めるので(こうしてPCのキーボードも打つことができます)、暮らしの手帖社「すてきなあなたに」9月の章を開いてみました。

アメリカ人の会社で秘書をしている若い女性のお話です。

* 世界一のコーヒー

コーヒーを持って副社長の部屋に入ろうとすると、「私の秘書のいれるコーヒーは世界一です。彼女は私の片腕で、彼女なしでは、東京で、私はなにもできません」と話しているのが聞えて、わたくしはびっくりして、体じゅうが熱くなって、大急ぎで自分の机の方に戻ってきてしまいました。

コーヒーはインスタントで、誰がいれても同じでしょう。
ただわたくしは、アメリカ人は一般にうすいコーヒーが好きだと聞いていましたし、副社長もつねづね、日本のレストランのコーヒーは濃すぎて、お湯で薄めてのむと言っていましたので、副社長のはうすめに、アメリカ人のお客さまにはそれよりちょっと濃く、日本の方にはもっと濃くして、ミルクとお砂糖をそえて出します。(中略)
でも世界一なんて、やっぱりアメリカ人は人を使うのがうまいのかしら。

この話を読んだ後、「宮廷女官チャングムの誓い」(韓国ドラマ)の中で、チャングムの師匠のハン尚宮とチャングムのライバル クミョンの師匠のチェ尚宮が王様にお出しするお料理、「白いご飯」で対決したときのことを思い出しました。

チャングムとクミョンはどんな苦労も厭わずお二人を手助けします。
ご飯を判定するのは、皇后さまと他の尚宮たちでした。他の尚宮は圧倒的に多くチェ尚宮側についています。

さて、どちらが炊いたご飯とは知らされずに判定されたのですが、尚宮たちは皆、ハン尚宮のご飯が、より美味しかったといいます。

「なぜだ」皇后さまが聞きます。ハン尚宮は、「◇◇尚宮は柔らかいご飯がお好きなので蓋の近くのものを盛りました。〇〇尚宮は固めのご飯がお好きなので鍋の底の方から盛りました。わたくしは◇◇尚宮や○○尚宮とは何十年も一緒に修行をして参りましたので、好みを知っておりました」と答えます。皇后や尚宮たちがいたく感心したのはいうまでもありません。


現実の話に戻りますが、家庭の主婦というのは、家族に対して上のような気配りを年中しているものだと思うのです。たとえ自分自身それに気づいていなくても。
「私はだらしなくてダメ、主婦業は失格よ」なんて言っている人も、夫や子どもの好みは全てお見通しなのじゃないかしら。

一方、男性はこういうことにとんと疎いのではないでしょうか。でも私はこういうことに疎い男性ほどかわいらしく感じますけれども(^^)
さてみなさんはどうでしょうか。

初秋の晩のつれづれ、こんなことを思っていました。


2007-09-03 14:46 in ちょっとすてきな話 #

2007年8月21日 (Tue)

すてきなお母ちゃんたち


今年、10年振り3回目の町内会の班長が回ってきました。

子ども達が小さい頃は、夏祭りやラジオ体操、雪中運動会、もちつき、交通安全講習会や1年生を迎える会、紙芝居、廃品回収、お花見...etcの町内会の行事に私も一緒に参加したものでしたが、もう何年もの間、ただ会費を払い回覧板を回しているだけで、町内会のことには関心も薄くなってしまっていました。

ここの町内会に引越してきたのは21年前で、その時はおよそ100軒でしたが、今や1000軒もの家が所属する市内一大きな組織となっているそうです。
この大きな組織をまとめ、自分たちの街を住みよくするために、大勢の役員さんが地道に活動されていることを今回改めて知ることになりました。
班長になって文化体育部に所属となり、月1回の部会に出席するのもブーブー言っていた自分が恥ずかしくなります。

先週の土日は文化体育部主催で夏祭り(盆踊り)が行われました。
私は婦人部が切り盛りしている食べ物屋台のお手伝いに行き、そこで働き者の素敵なお母ちゃんたちと一緒にお仕事できたことに感動すら覚えてしまいました。
本当によく働くお母ちゃんたちです。指示がなくても自分から仕事を探し、手早く片付けていき、各1000食の焼きソバやうどん、おでん等の下ごしらえを10数名でわずか1時間で終えてしまいました。

夕方からの本番も同じでした。少しの無駄もない動き、気遣い、素晴らしいいです。しかもみんな和気藹々楽しみながらやっているんです。
この最強の屋台のお母ちゃんたちの姿をみんなに見て、知って、見習ってもらいと思ったことでした。このお母ちゃんたちの末席に私も入れてもらえたことを誇らしくさえ感じています。

さて、我が町内のお母ちゃんたちは、たとえば市場でも働けるような庶民派が多く、お隣りの町内は新しく、立派な家が立ち並び、こちらから見ればセレブな方々が多く集まっているようにみえます。そんな二つの町内の子どもたちが同じ中学校に通っています。そこで問題が起きたりしないかというと、これが今まで一度もそういった問題は起きたことがありません。

セレブに見える方々も付き合ってみると案外みんな一緒なんですよね。
しかもセレブの方々も本当によく働き、素晴らしい方が多いんです。
学校の役員の仕事を通して、私はこれらを知りました。

こんなすてきなお母ちゃん、マダムの子どもたちですもの やがてすてきな大人に成長していくことでしょう。 

我が町内会付近のすてきなお母ちゃんたちに乾杯!(*^.^*)


母と家の前で

2007-08-21 12:48 in ちょっとすてきな話 #

2007年8月20日 (Mon)

2007.夏休み

今年の夏休みは8月11日(土)から17日(金)の1週間でした。
ちなみに夫は10日から16日までで、普段は週1しか休みがない分、よその旦那さま方よりは長い方かもしれませんね。
今年の夏休みを振り返ってみようと思います。
10日(金)は、私の両親がお墓参りのため来札しました。
実家のお墓は札幌の円山にあります。
道北で材木業を営み長者番付に載るほどの祖父が52歳で急死したのは父が10歳の時だったそうなので、今から70年前のことですね。
ここには祖父と父の兄(戦争に行き結核で亡くなりました)、そして私が7歳の時に74歳で亡くなった祖母が眠っています。

「自分の遺体は焼かずに、札幌の街が一望できる円山の天辺(てっぺん)にお墓を建てて埋めよ」と祖父が遺言を残したそうで、遺体は200キロも馬車を走らせこの地に埋葬されました。
その時の祖父の骨を拾い骨壷に入れ再びお墓に入れたのは、祖母の13回忌に父の兄弟が集まったときでした。私が短大1年の時だったと思います。

そんなわけで実家のお墓は札幌にあるのですが、円山の天辺に建っているというのが、近年、お参りするのに両親や父の兄弟にとっても大変なことになってきました。
今年、父に「そろそろお墓参りが大変になってきたでしょう」と言うと「そうなんだよ。だから、あっちゃん(母方の私の従兄弟でお坊さんです)の所(昨年、札幌に母の実家(お寺)の支院が建ちました)の骨堂に移そうかと思っているんだ」と言っていました。

この8月で80歳になった父ですが、このお墓の件が宿題として残っているようです。実家のお墓に入る予定がない私でさえも円山のお墓が無くなることは淋しいことと思えるので、父にとっては尚更でしょう。さて、どうなりますか。


お墓参りの話が長くなりましたが、夏休みの続きを書きます。
11、12日は、町内会の夏祭り(盆踊り)でした。
今年は班長に当たっていて、この夏祭りの企画、運営を中心になって行う、文化体育部に所属となったので、両日と13日も後片付けをお手伝いしました。
11日はパパが焼き鳥を焼き、12日は私が焼きソバやうどんの下ごしらえと焼きそば焼きに行きました。お天気が心配されましたが、とっても暑かったです! 
2日間で、焼き鳥8000本、焼きソバ、うどん1000食、その他おでん、綿菓子、ビールや飲み物もほとんど完売で、大盛況でした。
夏祭りで出会った素敵なお母さんたちのことをそのうち書きたいと思っています。

13日午後からはパパの実家のお墓参りに行ってきました。今年はパパと二人でした。 
パパの実家のお墓はパパのお父さんが亡くなった時に建てたもので、平岸霊園(地下鉄南澄川駅側)にあり、ここの霊園は、今はすっかり街中に近くなっており、すぐ側まで住宅や商店が建っています。
眠っているのはパパの両親と、パパのお父さんの前の奥さん、そして幼くして亡くなったパパのお姉さんです。パパのお父さんは二人の奥さんと一緒に眠っているのねとあらためて思ったことでした。
ここのお墓に来るとき、パパは生前お父さんが好きだったエコーという煙草とミルキーを買い、お墓の前でパパは一服し、私と子どもたちはミルキーを舐めながら帰ってきます。私がお供えするのは、パパの実家の庭から頂いた薔薇やアジサイです。今年は薔薇が散った後だったので、アジサイをお供えしました。

お墓参りの後はデパートに寄り、私の両親へのお土産等を買いました。


さて14日は、ぽっかり空いたので、子どもたちも誘って映画に行きました。「ハリー・ポッター」です。

ハリー・ポッター、本の方は巻が進むに連れて訳がますます子ども向けになってきてるような気がするのですが、映画の方は反比例して、小学生には難しいような気がしました。隣りで小学生がぐっすり寝ていました(笑)
でも家の家族にとっては面白かったです。
でもハリー・マニアの次男に言わせると、本2巻を2時間にするなんて無謀だ。重要なものが抜けて過ぎている ということになります。
ま、それはそうなんでしょうが、それを差し引いても、英国らしいどっしりとした作りになっていて、私は好きですね、ハリー・ポッター。本も映画も最終巻までお付き合いします。
この日、座席にパパがお財布を落としてくるという事件がありました。
全席指定、入れ替え制でホント良かったです(^^)


15日~17日は実家に行ってきました。
東京から弟の家族が来て、一緒に両親の金婚式と父の80歳の誕生日を祝いました。弟は息子(中1)が一人なので総勢10人と一匹でした。

15日、父と私が旭川駅で出迎え、父の案内で弟たちは旭山動物園へ、私は実家で料理の準備をしました。料理の準備といっても、メインは小料理屋さんに注文してあったので、食べ盛りの男子4名のためにオードブル(揚げ物とサラダ)を作っただけですが。


10人揃ったのは初めてで、父から祖父や祖母の話を聞けたりして、とても賑やかで楽しい夜でした。

翌16日、パパと子どもたちとショパンは一足先に札幌へ帰り、私と父で弟の家族を美瑛、富良野へと案内しました。
美瑛駅、美瑛を一躍有名にした写真家の前田真三さんの「拓真館」から小岩井農場の趣がある「富田ファーム」へ、そしてTVドラマ優しい時間の「北時計」を通り、北の国からのセットにも使われていた「ニングルテラス」(新富良野プリンスホテル)に行きました。
そして理科の先生だった父は、昨年旭川に出来た科学館を末っ子の孫にも見せたくて、連れていきました。プラネタリウムでみんな居眠りしてしまったことは内緒です(笑)

ピアノには触れることがなく夏休みが過ぎてしまい、今汗~ですが
充実した夏休みだったと思います(^^)


2007-08-20 11:18 in ちょっとすてきな話 #

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