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sudoさん、毎日暑いですねぇ〜。熱中症に気をつけて下さい。

私事ですが、パソコンを手放しましたので、スマホから
短い文章となりますが、ご了承の程お願い申し上げます。
らむちぃ 7月 7日(月) 06:42
 sudoさん、質問に答えていただき、ありがとうございました。

 やはり、油絵は時間がかかりますね。室内だと絵具や調合液の臭いが気になりませんか?

 それとスケッチは水彩画で2〜3時間との事ですが、水彩色鉛筆などは、使用しないのでしょうか?
らむちぃ 7月 2日(水) 04:35
 sudoさん、毎日暑い日が続きますが、お変わりないでしょうか?

 今日は質問があります。
ホームページのトップに甲斐駒と那須岳の比較的大きなF20号以上の絵画がアップされていますが、スケッチと本制作にそれぞれどの位の時間がかかったのか、教えて下さい。
らむちぃ 6月30日(月) 11:21
 sudoさん、おはようございます。

 大町山岳博物館は知っていますが、いつも扇沢に直行してしまい、帰りに寄ろうかと思いつつ、いつも里心がまさり電車に乗り込んでしまうので、未だ訪れたことがありません。 そうでしたか、松濤明氏の遺書の書かれた手帳が展示されていましたか?
 sudoさんも【北鎌からの脱出】があったので、感慨もひとしおだったでしょうね。

 「狼は帰らず」は森田勝氏の記録ですね。冬季谷川岳の滝沢第3スラブ初登攀やK2遠征時の顛末が書かれていました。
 私は実物の森田氏を一回見たことがあります。まだici石井スポーツ本店が新大久保にあったころ、地下の登山靴売り場に降りた時、森田氏がお客にアドバイスをしているところでした。肩のあたりまで伸びた髪と何よりもその眼光の鋭さに恐れをなして、とても話しかける雰囲気ではありませんでした。

 sudoさんの「into the air」とはジョン・クラカワーの訳本の「空へ」の事でしょうか?たしか、ロブ・ロウの公募登山隊でのエベレスト遠征の話でしたね。公募登山隊の事を山の本で読んだ時、エベレスト500万・チョ・オユー300万で登頂できるのかと・・・改めて時代の移り変わりをかんじたものでした。

 それから、小説では新田次郎もよく読みました。『強力伝』『栄光の岩壁』『孤高の人』『銀嶺の人』『剱岳・点の記』『八甲田山・死の彷徨』や『武田信玄』などの実在する人物に焦点を当てて、ドキュメンタリーの様な書き方で楽しく読ませてもらいました。 特に『孤高の人』の単独行には、大きな影響を受けました。
らむちぃ 6月12日(木) 05:35
 sudoさん、おはようございます。  


 sudoさんは山の本は、あまり読みませんか?
私は山岳部に入部したころによく読んで、もう内容は忘れましたが、題名は今でも覚えています。

 ハインリッヒ・ハラーの「白い蜘蛛」 リオネル・テレイの「無償の征服者」 ワルテル・ボナッテイの「わが山々へ」などですが、ボナッテイの本にはモンブランプトレイ中央岩稜初登攀の記録がありました。

 日本の書籍では、二見書房から出版されていた山岳名著シリーズの加藤文太郎「単独行」や松濤明「風雪のヴィバーク」吉野満彦「山靴の音」などを、読みふけったものです。

 山のエッセイや記録などは、余り需要がないでしょうが、私は山の本を読むことで、自分の登山には無い別の山の一面を感じました。
らむちぃ 6月11日(水) 07:28
 sudoさん、こんにちは。

 河口慧海もハインリッヒ・ハラーの「チベットの七年」も読んだことはないですが、ハインリッヒ・ハラーはアイガー北壁の初登攀者で、ヒマラヤ遠征時に第二次世界大戦が始まり、イギリスの捕虜となったが脱走してチベットに逃げ込み、ここでダライ・ラマの教育係として7年過ごしたそうですね。

 「人間万事塞翁が馬」と言いますが、何がどうなるのかは、神のみぞ知るなのでしょうか?
らむちぃ 6月10日(火) 10:18
 sudoさん、おはようございます。梅雨のハシリでしょうが、はっきりしない空模様ですが、お変わりないですか?

 今日は、本の話です。sudoさんは最近は読書の方はどうですか?

 私は沢木耕太郎著の「天路の旅人」上下巻を読み終えました。
 第二次大戦中に密偵として敵情視察する為に、蒙古僧侶に変装して、内蒙古から青海省・チベットそしてインド・ネパールまで徒歩で旅をつづけたドキュメンタリーです。

 沢木氏がインタビューしたときには、まだ存命で岩手県で美容用品の卸をしていたそうですが、一年364日働き、夜はおにぎり2個とカップヌードル1個で毎日済ませていたそうです。
 旅行記の中では、野宿は当たり前で、托鉢や縫い針を交易品として、ヒマラヤ山脈の4000m〜5000mの峠を7から8回も越えたそうです。

 sudoさんはチベットやインドに興味がありますか? 以前にチベットを歩いて、カイラス山を見上げて、さらに西のイリ河源流まで行ってみたいなぁと夢想したものです。まぁ私では、とても耐えきれなかったでしょうが・・・。
らむちぃ 6月 9日(月) 06:32
 sudoさん、こんにちは。

 聖岳の文章をアップしていただき、ありがとうございました。私の様な紀行文ではなくて、記録ですから貴重ですね。なにせ、私の記録は人が一泊で行くところを二泊で行く体力のない人間ですから、参考にはなりません。

 そうでしたか、「岳人」や「山渓」も20年分バックナンバーをそろえてあるならば、手軽に調べられますね。しかし、本は重いし、置き場所が大変でしょう。

 それから、sudoさんのお名前は私の父と読みが同じです。父は最後の漢字が【雄】なのですが…。我が家では「偏諱」と言って、代々一文字を受け継いで命名する習わしだそうで、私も【義】の文字を貰ってます。私には子供がいないので命名できませんが、男の子だったら「義煕」にしようかなと考えたこともありました。
らむちぃ 5月25日(日) 07:59
 sudoさん、こんにちは。

 私の文章を早速読んでいただいたそうで、ありがとうございました。
 sudoさんの文章をパソコンで調べたのですが、図書館に

 それにしても、「岳人編集部」からメールが届いて執筆したというのは、すごい!ですね。服部氏の本は読んだ事があります。サバイバル登山で有名な方ですね。

 もしも、古雑誌が読める環境にあるならば、「岳人」2012年7月号と2013年5月号を開いてみてください。ここにも、私の文章が掲載されていますから…。
らむちぃ 5月24日(土) 09:36
 sudoさん、こんにちは。  

 聖岳のレポートを拝見しました。車でもアプローチが長くて、大変でしたね。
 それにしても、よく年末の聖岳に単独で入山しようと計画しましたね。sudoさんのように、アルプスに冬季に入る人は、それなりの技術と覚悟を持って入山する人達ばかりなのでしょう。

 年配の人に会えたのも良い経験でしょう。行動の仕方や行動中の動作など学べるところが多々あったと思います。 帰路の車中での会話も参考になったことでしょう。
 登山届が遭難騒ぎまで発展して、大変でしたね。でも、騒ぎだけで済んでよかったです。

 西沢渡の籠の件は懐かしいです。私も乗って対岸に渡りました。 後で聖平小屋のスタッフに聞いたところ、【野猿】ヤエンと言うのだそうです。

 岳人の記録は、いつか図書館に行った時に拝見するとします。私も「山と渓谷」2014年6月号に埼玉県と山梨県境にある和名倉山に行った時の記録が掲載されました。


 便ヶ島の小屋は聖光小屋になったそうですが、私の時は休業していて、飯場の様なプレハブ棟が二つあるだけでした。光小屋など南アルプス南部の山小屋は、経営に苦労しているのでしょうね。
らむちぃ 5月23日(金) 09:04
 sudoさん、おはようございます!

 sudoさんは2017年に転付峠を越えたとありますが、私の古い山日記で確認したところ、それより10年前の1997年7月末の山行でした。もう、28年も前の事です。

 この山行はJR飯田線平岡駅からバスに乗り、バスの乗り継ぎに失敗して歩きだしたのですが、30分程で軽トラックに拾ってもらい、本谷口バス停まで送ってもらいました。 
 
 ここから、森林軌道跡の林道を延々と歩き、午後3時頃にようやく易老渡までたどり着き、ここで駐車場に止まる車を見て「車が通れる道もあるんだ」と嘆いたものです。 

 さらに、便ヶ島小屋に向けて歩いていると、一台の車が近づいて私に「この先に何かあるの」と聞くので、「山小屋しかないですよ」というと「バーベキューができる所を探してる」と答えて戻って行きましたが、しばらくすると戻って来て「小屋まで載せていくよ」と言ってくれました。中に乗ると、初老のドライバーのほかに、その奥さんとお孫さんらしい小さな女の子が眠っていました。小屋に着いたと「お孫さんに」と言って行動食の残りのキャンディーを渡したら、児玉スイカを貰いました。

 西沢渡から聖岳の登りもキツかったですが、アプローチの長いことが、今でもハッキリ覚えています。
らむちぃ 5月22日(木) 07:04
 sudoさん、おはようございます。
 
 前回の話で、私はてっきり小渋川を遡行されたのか?と思いましたが、支流に入られたとの事で、よく一人で支流に入られましたね。 本流でさえも遡行する人が少ないでしょうに…。
 
 私も聖岳から下山した時、予備日が余っていたので、二軒小屋から転付峠を越えて、山梨県の新倉に降りたのですが、この時保利沢沿いに歩いていたら、途中から土砂崩れで道がなくなり、河原沿いを歩いたのですが、いよいよ渡渉が必要になり、登山靴のまま川に入ったのですが、ひざ下位の流れでもよろけそうで怖かったです。そして堰堤に出たのですが、このまま下れないので、堰堤にあった鉄のアングル階段を上り、急斜面を無理矢理登って登山道に出たことがありました。

 新倉のバス停で身延行きを待つ間に、近くの雑貨屋でサンダルを買い、濡れた靴下などを脱いでサッパリしました。

 それ以来、渡渉はコリゴリです。
らむちぃ 5月21日(水) 06:57



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