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 sudoさん、おはようございます。

 四里観音の小屋にストーブがあったとは初耳です。私が泊まった時は確か無かったと思います。小屋前の庭先に焚火の跡があったので、その当時は小屋内に暖房器具はなかったのでは・・・。

 奥秩父の小屋でストーブの思い出は【樺避難小屋】です。ここには小屋脇に大木を切ったのが置いてあって、これを苦労して(非常用メタも使って)火を起こして、一人で温まっていた記憶があります。火を見ているだけでも、心が休まりました。

 最近では火災予防の観点から、ストーブの撤去があると聞きますが、何かもったいない気がしますね。野外で焚火するよりかは安全ではと考えますが・・・。
らむちぃ 2月 2日(金) 04:13
 sudoさん、おはようございます。精力的に山行を続いていらっしゃるようで、何よりです。
 乾徳山は20代の頃友人やその彼女達とワイワイ登りましたが、高原ヒュッテの記憶はありません。なかなか快適そうな小屋ですね。

 松峰小屋から逃げ出されたそうですが、これは仙丈ケ岳から伊那谷に延びる地蔵尾根にある小屋ですね。南アルプスの避難小屋は夏は管理人さんが入りますが【高山裏や荒川中岳など】松峰小屋はどうだったのでしょうか?

 ところで、私のホームグラウンドである奥多摩には一杯水・酉谷山・雲取山・三頭山・鷹ノ巣山・御前山と6軒の避難小屋がありますが、そのすべてに泊まった経験があります。
 特に御前山の小屋はログハウスに建て替わる前の囲炉裏のあった小屋に真冬に泊まり、地元・数馬の林業の人と酒を飲みながら、囲炉裏で温まりいろいろと話をした思い出があります。
 今はどの小屋もログハウス風に建て直されて快適だった記憶があります。ちなみに、雲取山頂の小屋は一億円で酉谷山の小屋は6千万円かかったそうですから、東京都はお金持ちですね。やはり。

 次回は避難小屋でご馳走に招待された話をしましょう。
らむちぃ 2月 1日(木) 04:13
 sudoさん、こんにちわ。前回の続きです。

 丹沢の避難小屋で畦ヶ丸に泊まった時の事です。だいたいどこの小屋でも単独行の人と泊まり合わせるのが多いのですが、この時は4人パーティーと一緒になりました。
 私が先に着いてシュラフを拡げて横になっていたら、4人組(男2・女2)は挨拶もそこそこに酒盛りをはじめ、土間を靴下で歩き、その足で私のシュラフを踏んでいました。

 「ヤダなぁ〜こんな連中と・・・」と思いながら見ていると、コッヘルで料理を始めたのですがそれをひっくり返したり、大声で所属山岳会の他メンバーの悪口を話してました。

 何とか宴も終わり、皆シュラフに入ったのですが、そのうちに何やら酢えた臭いがしてきました。女の1人が「何か臭うよね」というと、もう一人の女が「ゴメン!吐いちゃった」といったので、大騒ぎとなって拭き掃除が始まりました。

 朝になっても、昨夜の女がお茶を一口飲んだら窓を開けて、吐いてました。
 こんな山岳会パーティーもいるのかとあきれ果てました。

 山も都会と同じで、いろいろな人がいるものですね。

 今度は、楽しかった避難小屋の話をしましょう。
らむちぃ 1月29日(月) 11:06
 sudoさん、こんにちわ。
 
 前回の返信で避難小屋の事が出ましたが、私はよく避難小屋を利用させたもらいました。

 sudoさんは丹沢の小屋を書いていましたが、私の経験では、犬越路と一軒屋を除いて泊まった事があります。
 丹沢の小屋は奥多摩と違ってトイレが併設されていないので苦労しましたが、今はどうなっていますか?
 テントは2種類持っていますが(夏はゴアライトで冬は内張付きエスパース)1泊ぐらいだとテントの後始末が面倒なのと、小屋の広さと快適さにひかれて、避難小屋泊を繰り返していました。

 避難小屋の話はまだまだありますので、続きにします。
らむちぃ 1月26日(金) 14:11
 sudoさん、おはようございます。

 以前に大日小屋に泊まった時に、小屋番さんから聞いた話ですが、今ある小屋に建て替えるときに「もっと日当たりの良い場所に移動しよう」と提案したそうですが、当時の村の古老が「小屋は昔からあの場所だから」の鶴の一声で、今の小屋になったようです。

日当たりないですよね。あの小屋。寒いし!
らむちぃ 1月22日(月) 04:47
 sudoさん、こんにちは。
冬の金峰山に行かれたとのこと。レポートを拝見しました。

 私も以前に川端下から金峰山小屋(まだ親父さんのころ)に泊った時と、写真にもあった大日小屋に泊まって朝6時から歩いて、甲武信小屋に夜8時に着いて土間にいっぱいの登山靴が並ぶくらいの満員で、ストーブ脇のベンチで横になった思い出があります。(それにしても、大日小屋はよく倒壊しませんね!!)

 もうそろそろ冬山は・・・などと言わずに大台まで頑張ってくださいませ。

らむちぃ 1月21日(日) 13:18
sudoさん、金峰山冬山テン伯お疲れ様です。そろそろ冬山テン泊を引退を考えられましたか。残念ですが、夢に奥様が出られたのをきっかけに、あまり心配をかける登山は控えたほうがよろしいのかもしれません。私は難病を発症したのが自宅のベッドでよかったと思っています。いつでも携帯の電波のある連絡の街中でポタリングや散歩で気を紛らわせています。雪山は若手のyoutuberの動画で鑑賞できるので満足しています。
山こじ 1月20日(土) 10:54
 sudoさん、おはようございます。

 【和食】展は、標本や模型も多くてわかりやすい展示で、子供連れや修学旅行の学生なども多数入場していました。

 食事のほか、酒・醬油・味噌などの作り方や各地のお雑煮の違い、また和食を支える包丁の種類など、見ていてとても勉強になりました。

 我が家の雑煮は、醬油ベースに角餅と小松菜だけですが、sudoさん家はいかがでしょうか?
らむちぃ 1月14日(日) 09:03
 sudoさん、こんにちは。

 昨日、上野に行き、西洋美術館の「キュビズム」展を見てきました。セザンヌ・ルソーに始まり、ブラック・ピカソなどが何点も飾られて、その他にドローネ・シャガール・デュシャン兄弟と見ごたえのある展示でした。パリのポンピドーセンターのリニューアルの為に良い作品が多数来日したとの事でした。18世紀末から20世紀初頭の画家たちは一度は「キュビズム」の洗礼を受けたようですね。

 その後は国立科学博物館の【和食】展を見ました。キノコや海藻などの標本とともに卑弥呼や長屋王が食べたであろう食事が再現されていて興味をそそられました。
 なかでも、信長が家康をもてなした時の料理の再現は五つの膳が並ぶ立派なものでした。
 また魚類の模型もあって、切り身の焼き魚しか知らないホッケが、どんな魚かもわかりました。

 でも、卑弥呼や長屋王の横に当時の庶民の食事もありましたが、玄米と青菜の汁それに塩だけの質素なもので、少々身につまされました。
らむちぃ 1月13日(土) 13:11
 sudoさん、おはようございます。咳がよくなっているみたいで、何よりです。
 西那須野にスケッチに行かれたそうですが、あまり無理されると肺炎にもなりかねないのでご注意を!!
 那須周辺は連山からの吹きおろしの風で寒さがこたえるでしょうね。絵具が凍るのもうなずけます。

 「ノモンハン」の本を読んでいるとか・・。私も以前に誰かの本で読みましたが、モンゴル国境のハルハ河でソ連軍と交戦して、大敗した戦いですね。戦後処理が悲惨で、現地師団長達に上官等が自決を迫ったひどい話です。昭和陸軍は無茶苦茶な組織だと思います。
らむちぃ 1月12日(金) 04:51
 sudoさん、こんにちは。

 その後,咳の具合はいかがでしょうか?
私も以前に咳から気管支炎になったことがありますから、お大事になさってください。

 絵を描いたり、本を読んだりしているそうですが、私も今年から佐々涼子氏の本を読んでいます。氏は日本語教師からルポライターになった経歴の持ち主で、ルポルタージュには定評があるそうです。

 sudoさんは今、何を読まれているのでしょうか?
らむちぃ 1月11日(木) 13:22
sudoさん、ご無沙汰しています。年も明けこれからと思う間もなく夕方の震災のニュースにびっくりしていました。罹災された方にとっても元旦の夕方で、全くの無防備状態での罹災だと思われます。我々もいつ災難が降りかかるのかわからないですが、せめてもの身近の方々の不幸がないことを祈るばかりです。今年も十分にお気をつけてお過ごしください。
山こじ 1月 8日(月) 20:43



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