2009年12月15日 (Tue)

名古屋市内のある風景 



先週の土曜日、TVのコマーシャルでおなじみの美○堂がある清水口交差点から東へ少し行ったところでアマチュア無線の試験を受けてきました
昼飯を買うためにコンビニを探していると金城学園のすぐ近くの歩道にりっぱな木が生えていた
「歩道に生えているには立派な木だなぁ」と思いながら近づいていくと
なんと車道にはみ出て、それもまるまる一車線分占領
片側三車線がここだけ二車線
普通は道路を作るときに切られちゃうのに
名古屋市もなかなか粋なことをするなぁと関心して思わずパチリ
それとも余程の訳ありなのでしょうか、、、、、



2009-12-15 21:12 in その他 | Comments (3) #
コメント

名古屋市の道路に残った邪魔な樹木?

親父に聞いた話では道路工事で切ろうとして怪我をしたとか、白竜の住んでるとか、懸賞金を掛けても切れなかったとかで、祟りが怖いから?市内に何本も残っていた様です

私の地区に有る掘津大池(カッパ池釣り堀)は地区所有の池ですが、堤防横に在る池で、以前の安八水害で右岸堤防が決壊した場所が同じように池が横に有って決壊したことから、周りの池は埋めましたが、水神様の池を潰すと地区長に災いが起こったとか、堀津池も決壊の危険から、河川局から埋め立てを即されましたが、祟りを恐れて区長が認めないです、その後も歴代の区長も嫌がり、河川局との話し合いで、堤防際10m程を埋め立て堤防沿いに鉄板のコウヤ板?を打ったそうです
その後に、池の水が長良川と地底での繋がりが無くなりポンプで池の水位を保っています。
長良川河口堰に羽島市が同意した条件の一つに長良川左岸堤防のコンクリート護岸が有ったとか
池を残すのは粋な事ではなく、祟りが怖いだけです

by COE 2009/12/15 (Tue) 23:58:35

半世紀前まで付近に住んでいました。
名古屋で市電が有った頃、名古屋の道路を今のサイズで推し進めて都市計画した小林市長が手を付けなかった場所は尾張藩の菩提寺であり旗本の居住した名古屋城から東は尾張藩を守る守護霊が宿るという訳で清水口から東片端までの間には同じようにイチョウ、ケヤキなどの古木は残されていました。

金城女学園、シキシマ製パンと続き、赤塚交差点、山口町、古出来町・・・・・・左に回って徳川美術館
HATAさんが懐かしい写真を出さないと想い出せなかった初恋をした古巣です。

by NIC 2009/12/16 (Wed) 08:56:16

それなりの訳が、、、、

あるんですね、やっぱり!

根元の太さを見るとかなり生きてきたようです
でもよく空襲で焼けなかったんですね
名古屋の町は丸焼けじゃあなかったのかな
そういえば熱田の森も残っているか

by HATA 2009/12/18 (Fri) 21:51:03














 


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