2007年9月8日 (Sat)
2007年9月7日 (Fri)
のんびり~ゆったり旅 2の~んびり ゆったり小浜島 宿泊しないホテルも楽しもうと「小浜島ビーチリゾート」に寄ってみると・・・とっても綺麗なビーチが目の前に! 素適なホテルなのに破綻したとかで~誰もいない海 波打ち際に行ってみると 魚たちが群れをなして気持ち良さそうに泳いでいます しゃがんで見ていると なんとしばらくしてモゾモゾと動き出すものが・・・視野の中に数十個のヤドカリやカニでした! 2時間余りで ほぼ島内一周 綺麗な景色で心が癒されたところでお食事タイム ネットで調べた「シーサイド」へ さすが地元の人もたくさんお客さんがいるという人気食堂♪ ここまできたら やっぱりこれでしょう! 「本場八重山そば」・・・安いのに量も多くとっても美味しかったです(また食べたいくらい!) きょうの宿泊は「ヴィラ ハピラ パナ」 癒しと至福の楽園というだけあって 隣接するゴルフ場のグリーンとオーシャンビューが目に優しく アジアンテイストの内装はリゾート気分満喫 いよいよ ジャングルクルーズとトレッキング・・・続く |
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2007年9月6日 (Thu)
の~んびり ゆったり旅~♪母の初盆を済ませ一通りのことが落ち着いたので 小さな旅に連れて行ってもらいました 那覇空港を飛び立って直ぐ 沖にいつもの座間味諸島が見えます 真下はエメラルドグリーンに輝く美しい海 いいお天気にも恵まれ さぁ出発です 宮古島と池間島上空を通過 高度8000mから 海の色が七色に変わり 南西諸島の海の美しさを再認識~! きょうの宿泊はここ? 今回はとにかく の~んびり ゆったりしたかったので そう「ちゅらさん」でおなじみの小浜島にきています 「おばあ」はいるかね~? ここは民家で立ち入りはご遠慮くださいとのこと 島で一番高い(標高99m)大岳(ウフダキ)からの眺め 360度周囲が見渡せ与那国島を除いた八重山諸島が見えるんですよ! ここは昔ながらの赤瓦屋根の民家・サトウキビ畑・石垣牛の牧場(馬も放し飼いにはびっくり)など 思った以上にのどかです 人口550人周囲16・6kmの小さな島なので 自転車でシュガーロードも走ってみたかったのですが 私の体調を考慮してレンタカーで観光(残念) 結構アップダウンがあるのですが 脚力に自信のある方にはオススメです 向うに見えるのは西表島 中央の細崎から2kmしか離れていない場所ですが ここを流れるヨナラ水道は別名「マンタウェイ」と呼ばれるほどマンタスポットとのこと 優雅に泳ぐ姿見てみたいですね! 西表の熱帯雨林で発生した雨雲がどんどん大きくなってカタブイするようすが目の当たりに・・・局所的大雨になって直ぐにこちらまで~ 大きな打ち水効果で涼しくなりました♪ 明日に続く |
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2007年9月4日 (Tue)
ウークイ~(旧盆お送り)とマブイ(魂)今年は母の初盆で新調したお仏壇 満足してもらえたかな~? いつも母の指示で行っていた行事なのに そばにいないのが不思議! 沖縄は先祖崇拝の無宗教ですから お仏壇には 仏様はいらっしゃいません 一番上にはご先祖様のトートーメー(お位牌)が鎮座しています 沖縄の一般的なお盆のお供え 杖になるサトウキビ・魔よけの生姜・パイン・スイカたくさんのくだものやお菓子をお供えします 旧暦7月7日にお墓を掃除して 「もうすぐお盆ですから ご先祖さまいらしてください」とあいさつし 13日にお迎えして 2泊3日の接待を心を込めて行うわけです 15日の晩には 沖縄式の重箱料理をお供えし ウチカビ(あの世のお金)を焼いて「いつもお守りください!来年もいらしてくださいね!」と玄関外までお見送りします 人は死んだら何処に行くんでしょう その答をさがしていろいろな本を読んでいますが・・・ 35年前父が亡くなってから 「父ちゃんはいつも見ているから 仏壇にいつも手を合せなさいよ!神社とか参拝するより 仏壇に頼みなさいよ!」が母の口癖でした お仏壇はきっとお墓にいる魂にワープするんでしょうね でも「千の風になって」を知って以来 どこでも父母が見守っていてくれていると思えるようになったので 寂しくはありません♪ |
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2007年8月25日 (Sat)
ウンケー(お盆の入りお迎え~)今日は母の2回目の月命日 まるで母との交信のように 2ヶ月前と同じように大きな虹がでました 松山上空から天久台にかけて ダブルレインボー♪ スポットライトが当たっているような不思議な世界でした 通り雨が 東から西の空へあっという間に駆け抜けていって 10分後には ほらもうこんなに晴れました 今日は旧暦7月13日 お盆のウンケー(お迎え)でした 沖縄では夕方早めに玄関両脇にローソクを灯し 家族みんなで「ご先祖さま ようこそいらっしゃいませ!」とお仏壇までご案内し出迎えます それから ウチャトゥ(お茶)をお供えし 「ウンケージュウシー(お迎えのための炊き込みご飯)」をいただきます (写真がないので拝借) 味付けして炊いたご飯に 豚肉・しいたけ・にんじんをそれぞれ味付けしたものを混ぜる沖縄式のジューシー仕上げに刻んだねぎを入れて 各家庭でさまざまですが・・・ 今年は結婚して初めて27年ぶりに 実家のウンケーにも参加 「お父さんお母さんその他ご先祖さま~ゆっくりしていってくださいね!」 |
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2007年8月23日 (Thu)
県民の足~☆しばらく曇り時々雨の日が続き 猛暑の日本列島のなか 一番涼しいところだったかも? ここ沖縄は30度前後の安定した気温・・昨日東京は38度を越えたようです きょうは久しぶりに晴れ 朝8時過ぎ 朝日に照らされ街がまぶしく光っています いつものように 鳩が集団空中遊泳 船が出港し 飛行機も5分に2~3機離発着する忙しい那覇空港 旅行の好きな私は 飛行機や船の出発~到着を見ると心が休まります 毎日見るこの光景がとても好きです 小さな島に住む私達県民にとって どこに出かけるにも飛行機は大切な足 先日の中華航空機の事故は 大事に至らなかったとはいえ 大変ショックでした!事故原因を突き止め 人為ミスは絶対にあってはならないと願います 20日のその時刻 私はその景色をカーテン一枚で隔てたデスクでPCに向かい仕事に励んでいました 集中していたので サイレンや煙にも気が付かず 30分後 目を休めようと 外に目をやると 飛行機が何度も旋回しているのと ヘリコプターが3機空港を取り巻いて飛んでいるのが見え 「えっ~何かあった?」とテレビをつけ 燃え盛る飛行機が映し出されていて もうびっくり! 何も知らず その煙を見ていたらきっとショックを受けパニックになっていたはず・・・スクープ写真が撮れたかも~と一瞬思いましたが いやいや これも私が動揺しないように神様がしてくれたことと感謝 少しして友人に電話をしたら なんと! 「今空港からの帰りなんだけど~娘があの事故の数分あとの飛行機で東京に出発のため 事故を目の当たりにして怖かった~!」と興奮した声 おまけに一緒に見送りに行った妹さんの息子さんが 飛行機の整備でその事故機に入っているかも?!と一時は取り残された人がいるという速報でパニックになっていたそうです 何もなくてほんとによかった~~!! こんなたそがれ時の景色はまた格別 真っ赤な夕焼け 明日は晴れるね~と予感 毎日きょうのブログに記事を書こうと写真を撮っても なかなかアップできないこの頃です(記事がたまりっぱなし) |
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2007年8月16日 (Thu)
終戦記念日きょうは 62回目の終戦記念日 日本武道館では政府主催の戦没者追悼式が行われ 全国民が黙とう追悼したことでしょう 310万人が亡くなったという先の大戦 安倍首相が「わが国はアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」と 日本の加害責任に言及したうえで「不戦の誓いや平和確立に貢献する」とあいさつされたようですが・・・? 今沖縄では「集団自決に日本軍は関係せず」と書き換えられている教科書問題に 堅く口を閉ざしていた高齢の体験者たちが 後世に真実を伝え『戦争は絶対にダメ』とのメッセージを悲しみ苦しみを乗り越えて語っています 「命どぅ宝」体験談を聞いて育った私たちが これからの若者達にそれを伝えていかなければなりません NHKの大河ドラマでさえ戦国時代ばかり 映画やゲームでも戦いや殺人ばかりのこの時代に育った若者たちに この体験者の証言が届いて欲しいものです! 先日行われた母の法要でも たくさんの親戚の方たちが話してくれました 「アメリカに捕まったらたいへんな目にあうから自害しなさい」と手榴弾やダイナマイトを選ばせて配ったこと 母の実家の責任者だった叔父(現在90歳)はダイナマイトをもらい 自然防空壕でさぁこれで最期だ!とマッチ係りの祖父にうながしたとき『マッチはない』と祖父がうそをつき爆発を免れ 家族全員が生き延びられたことなど それでも戦争に行った母の兄二人は帰らぬ人となりました 沖縄では戦前のどの家庭でも 必ず一人か二人あるいは家族全員が戦死しました もうすぐ迎えるお盆で また心からの追悼供養が行われます ご先祖様、お母さん いつまでも平和な世界でありますように 見守っていてくださいね |
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2007年7月17日 (Tue)
海の日~「ニライカナイ」 |
台風4号~24時間猛威例年7月上旬に台風の初上陸がありますが 過去2年は本島には大きな台風がこなかったのに・・・7月観測最強!とか 久しぶりに学校公共施設はすべてお休みとなりました なのに 長男はいつものように朝8時 この豪雨暴風の中を革靴と靴下を手荷物にかっぱを着て出勤していきました! そういえば 新人だった昨年は風邪で38度以上の熱をおして頑張ったし社会人の厳しさを知った日になりました いつもは静かなこの一帯も 台風の目を過ぎた後の吹き返しで すごい風と雨に見舞われています 最大風速50メートルを越す暴風ですが 風下にあるこの窓をちょっと開け 撮影に成功! ゆれる大木~水しぶきが見えるでしょうか? 珍しく停電したのですが・・・なんと午前11時過ぎから午後9時過ぎまで!直ぐ点くだろうと思っのに全然~! ロウソクを灯したり キャンプ用のランタンを点けたり トランジスターラジオを聴いたりと 久しぶりの暗い夜を娘と二人楽しみました :・'゜★。.:*:・'゜。.:*:・'゜。.:*:・'☆。.:*:・'゜。.:*:・'☆ 9日夜娘から「ブログなかなか更新しないから 元気かな~?と思ってー」と私を気遣う電話がありました また たくさんの方からも励ましのお言葉をいただきありがとうございました その中のひとつ・・・ 『御身体の疲れと心の疲れと、無条件に無償の愛で包んでくれる人を失った悲しさは しばらく癒えないと思いますが、親ほど子供の幸福を望んでくれる人はいないのですから お母さんを喜ばせるためにも、これからもすてきな幸せにあふれた日々を過ごされますように』 千の風を感じながら元気に過ごそうと その夜ブログを再開したのですが 翌日からネットが繋がらなくなり このBlog&BBSに入ることができないでいました 原因がわからないまま 先ほどなぜか開通しましたので またみなさんよろしくお願いしますね♪ |
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2007年6月22日 (Fri)
慰霊の日62年前 この綺麗な海を「鉄の暴風」が吹き荒れました 6月23日は沖縄県民をあげて 戦争で亡くなられた魂を慰霊する日です 昨日帰省中の姉と姪を案内して「平和記念公園・資料館」へ行ってきました 母から聞いた戦争体験を語り継ぐために・・・ 第二次世界大戦が始まったころ母の家族は 統治領だったテニアン島で砂糖きび栽培をしていたそうです。 当時のお友達が全国にいて今でも友好があり 南洋での楽しい暮らしを懐かしんで話してくれました。辛かった話はほとんどありませんでしたが ある時小学校の娘が「慰霊の日」に体験者からお話をきいてくるようにとの宿題がでて 母の戦争体験を聞くことができました。 1944年7月頃アメリカの攻撃が始まり 住民はさまよい防空壕に隠れていたそうです。そして代表者にいくつか集団自決のための手榴弾が配られていましたが 母のいた壕のその人は怖さで紐を引くことができないうちに米軍につかまり その壕の人たちはみな助かったということです。 戦後62年 戦争体験者が高齢になり少なくなっています 生きているうちにこの悲惨なことを語り平和を唱えなくてはいけないと たくさんの方が立ち上がっています 私たちも次の世代に語り継がなくてはなりません どうか 「平和記念資料館」をクリックして 平和について 沖縄について考えてください 新垣勉さんの『命どぅ宝~沖縄の平和への祈り』を聴いて 静かに慰霊の日を過ごしたいと思います 2年前 朝日新聞に掲載された新垣勉さんのメーッセージ『沖縄戦60年 歌い継ぎたい平和の願い』是非読んでみてください |
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