2008 02月 05日

お茶の時間




人という文字は支えあうという意味があると知った。
人の好意の一方通行は無いということを知った。
友達だから何があっても信じ続けるということを知った。
いまさらそんなこと当たり前でしょうと云われるかも知れないけれど毎日の忙しい暮らしの中でついつい忘れてしまいがちな「ありがとう」と「ごめんなさい」。
そんな小さな呟きでもちゃんと云える人になりたいなって思います。
「人を悲しませる真実は言わない」と「言い訳の前に誤ること」勉強や塾が嫌いなわたしはよく仮病を使って休んだりした、けれど父は勉強しなくても決して怒らなかったが嘘をつくと猛烈に怒った。
だけど大人になって「嘘」と「思いやり」は背中合わせだと思う。
相手を思いやる心があればその心を和ませてあげたいと思う小さな嘘なら天国の父は笑って許してくれるかしら。
更年期で笑顔を忘れた友人、息子さんの会社が倒産して住宅ローンの返済に大変そうな友人、認知症の両親を抱えて頑張っている友人。
そんな友人達に掛ける言葉が見つからないけれど「わたし凹んでいるから話を聞いてね 一緒にお茶のもうよぉ」とメールをする。
たった一杯のお茶だけれど友達と飲むお茶は甘かったり苦かったり涙の味がしたり・・・・来てくれてありがとう わたしの嘘を見抜いていても笑ってくれる友達っていいなっ。


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