ネットのお友達であり人生の大先輩のゆうさんがご自身のブログに
「銃では紛争状態にある国を救えません
人道支援こそ憎しみを消し去って紛争解決→平和への道です」と
国境なき医師団の事を書かれていらっしゃいました
わたしにも大きな決意をされて新潟を離れられた「名もなき看護師さん」と
その方からいただいた一通の大切な手紙があります
************************************
キッチン粉粉 先生へ
このたび夫の転勤で岡山県津山へ引っ越すことになりました
夫はもともと新潟に住んでおり私が任期途中で新潟に嫁に来ました
せっかく土地になれてきたのに残念です
昨年の夏から現在 春に向かう季節を新潟で過ごしました
冬に向かうグレーの空が続く日々にたまの晴れ間がとてもありがたく
お天道さまのありがたさを教えてくれました
そしてなれない土地でくらすと人とのつながりがとても大切に思えて
キッチン工房 粉粉さんのぱん教室はそのつながりを感じられるものでした
きっとこれからも粉粉さんのことを思いだすときはばんの香りとともに
楽しく話した時間を思い浮かべると思います
ばん生地を発酵している間 一晩添い寝をしながら
育むという事の意味を知ったように思われました
そして 自分で焼いたぱんが愛おしくとても美味しく感じられました
このような機会を与えてくださった先生に感謝しています
ありがとうございました
先生のぱんが食べられなくなるのはとても残念ですが
これからもぱんを焼き続けていこうと思います
まだまだ寒い日が続きますがお身体ご自愛ください JA
************************************
この手紙は悲しい震災があった 3.11 直後にご本人がごあいさつにと
持ってきてくださったものです
そして引越しの荷物が落ち着いて主人が許してくれるなら
みんなから見捨てられた 故郷の福島 に戻り医療の現場で
避難出来ない人たちのための仮設の診療所で働くつもりですと話してくださいました
一点の曇りのない彼女のまっすぐな眼差しに被ばくするかもしれない危険な場所で
それでも故郷の為に働きたいという看護師としての揺るぎない決意を知りました
必ずまた先生に会いに来ますと笑顔で別れた夕暮れ時
その後消息が途絶えたまま、いつも心にあの日の彼女の笑顔が残っています
わたしはあなたから進むべき道に迷ったらどんなに辛くても
人が喜んでくれる道を選んで歩くという勇気を教えていただきました
現状は違ってもあなたは国境なき医師団と同じ名もなき尊い看護師さんです
JAさん どうかこのブログをどこかで目にすることがあったならご連絡ください