他人の車なんぞ、どーにも興味ないわけでありますが
自分の愛車について語るのでありんす。
そう、とりあえずブログのネタがないだけですッ。
つか、終活で写真整理してたら色々出てきましたので...
当時はフィルムカメラしか無かった(写るんです、とか)ので
手軽にパシャパシャ撮る機会もなく
わざわざ現像に出す手間もお金も必要な時代でしたから
あんまりイイ写真が残っていないのですがね...
ま、人生でデジカメやビデオを撮りまくるのは子供が産まれてから~
つーのが一般的でしょうけど。
今はスマホのカメラでクソみたいなモノまで何でも撮って消してく世の中
なので便利ちゃー便利なのでしょうが。
そうそう
この間、親戚の葬式に行った時にスゲーと思った事がありまして
火葬場にて、まさにこれから焼かれる前に棺の扉を開けて
最後のお別れがはじまったら、コロナで遠くから来れなかった人がいたのか
スマホでライブ配信が始まりまして、死に顔が写ったスマホの向こうから
おばーちゃん、バイバイ・・・とか子供の声が聞こえてくる。
その配信は焼却扉が閉まるまで続いてましたがッ....
まぁ、リモート葬儀とかあってもいい時代かもしれませんが、なんだかなーなのでありました。
本題に入ります。
18歳で車の免許取ってから、しばらく親父殿の愛車 いすゞ117クーペ を借りて乗っちょりましたが
この車が錆び錆びのボロ車で、とても彼女を乗っけてドライブできる状態ではありません。
『
おっかぁー、久美子乗せるっけ車買うてくんなせーや』ってな感じで
最初に乗った(買ってもらった)のが
日産シルビア ZSE-X turbo('81 3代目S110) 当時のカタログが残っていて、手書きで192諭吉と書いてあった。
この写真はもう働いて給料もらってた頃なのでタイヤやアルミは純正じゃないケド。
当時のタイヤといえば ADVAN だの PIRELLI だのと宣っておりましたが
オイラが履いてたのは TRI-ACE FORMULA-1。
215/60くらいでもスッカスカですね。
本当はもっと太いタイヤで後ろから見たら戦車かよー! みたいでないとカッコ悪いのでありんす。
ホイールは RONAL TRESER T1。左右非対称エアロってヤツです。
ホシノIMPULのエアロディスクとかも流行ってましたが RONAL TRESER にした理由はこれ。
(ネットで落ちてた画像)
憧れのAudiさんが当時コレ履いてましたのよ。
標準でコレが付いてたのか定かではありませんが...
まー、このシルビアは2ドア・ハードトップですから今では何それ?って感じですし
しかもマニュアルでFR車です。
『
四足の動物は、後ろ足で蹴る』という神のお告げもありますが
当時の冬はスパイクタイヤで、ろくに舗装されてない道も多かったので雪道はスピンしまくってましたがなッ。
その分、運転技術は磨かれたのかもしれませんが。
『
四足の動物は、冬はジッとしてるか冬眠してろ』って事ですわ。
ハイ、お洒落な内装。(国道沿いにあるラブホかよー!!)
つか、
シルビアってドアを閉めると室内灯が消え、徐々に足元ライトが点灯するという
イルミネーション機能が標準仕様なので、そもそもエッチぃー車だったのでありんす。
当時としてはデジタルメーターもお洒落だったのですが、これがなんつーか
停車しても微妙に0と1がパラパラしたり、ぶっ壊れた肉屋の計りかよー!! なのでした。
そー言えば
オイラは高校3年の夏休み前に免許取りましたが、だいたい夏休みくらいからみんな自動車学校
行く生徒が多くなるわけで、うちの3学年には免許とったヤツが自動車学校への送迎をする
という変な慣習もありまして(笑)オイラもあまたの女どもを愛車に乗っけましたがな。
クラスも名前も知らん女子とか.... まったくムフフなアバンチュールもございませんでしたが。
(※当時、学校では車免許取得を公では許可してなかったので、自動車学校の送迎車も学校近くに
来なかったでありんす)
と、
シルビアのお話はこんなところで...
あ、当時のオイラはこの車でドライブとかはあんまりしなかったのデス。
友達とかは夜中に農道を暴走しまくって、よく捕まってましたがなッ。
車の運転が好きじゃないという事ではないのですが
当時の仕事がコレだったので、日常的に運転距離はこっちが多かっただけの話。